中古と噂の狛江さんが俺の世話を甲斐甲斐しく焼いてくる件

夜依

襲われそうになっている女子を助けた件

いつもの放課後/始まりの事件

 文化祭も終わり校内の喧騒もようやく落ち着き出したある秋の放課後。

 部室棟の3階の奥、校内の最果てと言っても過言ではない場所にある一室。やる気を微塵も感じさせない字で科学部と書かれた紙が貼られた扉の向こう。科学部の部室でやる気なく本を読む男子生徒と、机に突っ伏しながら暇そうに携帯を見ている女子生徒が向き合って座っている。

 耳をわずかにすませば、秒針が時を刻む音にページを捲る音、ついでに窓の隙間から吹き込む隙間風の音が聞こえるような静寂が、いつもと同じようにトンと携帯を置く音ともに破られる。


「先輩、暇です〜」


 彼女の言葉を無視してさらにページを捲り文字列を追えば、途中で細い指が文字列を遮る。

 観念して顔を上げれば、不満げな様子を隠そうともしない後輩、荒川あらかわ真奈まなと目が合う。彼女は幽霊部員ばかりのこの部活において、9割という脅威の出席率から副部長という肩書を得ている訳だが、日々こんな感じでちょっかいを掛けてくるばかりである。

 小さく溜息を零して、彼女の指をページから剥がしながら本を閉じる。


「で、俺はどうすりゃいいんだよ」

「いや特にどうしてほしいってことはないですけど」


 俺が素直に本を閉じたことに驚いたのか、目をパチクリと瞬かせ驚いた様子の荒川。

 いつものように適当にちょっかいを掛けて暇を潰すつもりだったらしく、偶には本を閉じて相手をしてやろうと思ったのは間違いだったらしい。もう一度読書に戻ろうと本に手を伸ばそうとすると、彼女の手が伸びてきて再び待ったがかかる。


「ちょっ、こんなに可愛い後輩が暇って言ってるんですよ。ここは先輩が一芸でも披露するべきなんじゃないですか」

「なんで俺が一芸披露しなきゃならないんだよ」


 言いながら彼女の方を見てみる。

 肩下当たりまでの軽くウェーブが当てられた黒髪、小さな顔に大きな瞳に通った鼻筋、チャームポイントの泣きぼくろ。いくらか幼さの残る顔は贔屓目を抜きにしても整っているし、男子高校生の平均的な身長の俺よりも顔1個分くらい小さな背丈も合わせれば、十分に可愛いと称される部類だろう。彼女が部活動紹介などの表舞台に積極的に顔を出してくれるなら、もう少し活動メンバーが増えることは間違いないだろう。

 まあ、活動メンバーが増えてしまえば、だらついた時間を過ごすだけというのは許されないだろうし、部長として多少なり科学部らしいことを企画したりしなきゃならんから、悩ましいところだが。

 閑話休題。

 脱線した思考を戻そうとしたところで、荒川が俺の顔を覗き込みながら口を開く。


「そんなに私の顔をじっと見て、可愛さにやられちゃいました?」


 一瞬のつもりだったが、そこそこ彼女を見ていたらしい。その事実と言葉に僅かながら耳が熱を持った気がして、すぐに雑な言葉で切り返す。


「暇ならお友達の誘いに乗って遊びに行けばよかったじゃん」

「せっかく私が誘いを断って、こっちに顔を出しているのに酷いですね」


 大方、面倒な誘いだったから断る理由として部活を使っただけだろう。まあ、そういう使い方でも構わないのだが。


「まあ、それはいいんですよ。それより、先輩はいっつもここにいますけど暇にならないんですか?」

「読み物に困らないからなぁ……」

「もう、そこまでくると科学部っていうより文芸部ですよ。看板変えたほうがいいんじゃないですか。ついでに、もうちょいいい立地にしてもらいましょ」


 例えば、図書室の隣の空き教室とか、と続ける荒川。

 残念ながら、そこは図書委員会のたまり場だった気がする。ついでに言えば、文芸部になったら図書室の蔵書整理やら執筆活動やらをやらされるんじゃないだろうか。まあ、科学部ここの立地が悪いことについては異論はないが。


「まあ、前向きに善処する方向で検討を重ねるってことで」

「それ、絶対やらないやつですよね。まあ、先輩とこうして過ごすのも悪くないのでいいですけど……」


 荒川の言葉を、そうかい、と適当に返して、カバンに手を伸ばす。

 ぼちぼち、ここを出ないとスーパーのタイムセールに間に合わなくなってしまう。


「もうそんな時間ですか」

「ちょっと早いけど、教室に英語の課題忘れたっぽくてな。教室寄ってから帰ろうかと。悪いが、戸締まりよろしく」

「しょうがないですね〜。じゃあ、また明日ですっ、先輩」


 部室の鍵とセットに、また明日、と返して教室を目指す。

 階段をダラダラと降りて部室棟から脱出し、教室のある校舎へと向かう。

 先ほど降りたばかりだというのに、今度は登らされるんだからやるせない。もう、課題は諦めようかという気が湧いてくるが、それを押し殺して教室を目指す。


 *


 教室の前につくと教室での物音が僅かに聞こえてくる。多分部活か何かで使っているのだろう。そう思って扉を開くと、男子生徒数人が一人の女子生徒の服を脱がそうとしていた。男子生徒はイケイケな感じ、女子生徒の方もこの学校では珍しい明るい髪色。どちらに対しても共通して言えることは、スクールカースト高そうだとか、目をつけられたらヤバいとかそんなところだ。

 そんな彼らの視線は呑気に扉を開けて入ってきてしまった俺を現在進行形で捉えている。つまり何が言いたいかというとだ、ヤバい。


「えっと、お邪魔しました」


 一歩踏み込んだ足を廊下に戻し、ちゃんと一言残してから、見なかったことにするために扉に手をかける。

 こういうプレイは使ってない教室か体育倉庫とかでやってくれ。あと、ちゃんと鍵かけとけよな。お兄さんとの約束だぞっ。多分同い年だけども。


「たっ、助けてっ!」


 扉を閉まりきる間際、女子生徒が声を上げ、俺の手は一瞬止まった。

 あまり関わりたくない。とはいえ、助けてという声も聞いてしまったため無視もしがたい。

 ラノベや漫画の主人公ならここで颯爽と彼女を助けるのだろう。けれども俺は割引総菜がエネルギー源で、筋肉とは無縁のガリガリボディ。彼らのうち誰か一人との一対一でも勝機がない。やはり、陰キャの俺では主人公力が足りず駄目みたいですね。

 俺は見知らぬ誰かのために勝ち目のない戦いに挑めるほど、人間として出来てはいない。

 彼らのうち一人がこちらを視界に捉えたまま立ち上がろうとしている。目撃者は消すというのが彼らのやり方らしい。俺は手に力を込め扉を閉める。刹那、彼女の絶望する顔が目に映った。


 しかし、アレだ。勘違いしないでほしい。別に見捨てるわけじゃないのだ。ただ、俺ではどうやっても勝てないから、彼らに勝てるカードに頼るだけだ。適材適所、餅は餅屋、昔の誰かだってそう言ってるのだし。

 後ろから追手が来た時のために、ことが始まらないように。とにかく全力で階段を駆け下りて、渡り廊下を渡った先の職員室を目指す。

 彼らとて学生。教師に逆らうなんて愚かな事はしないだろう。


 渡り廊下を走り抜けついにゴールか、と気が緩んだところで勢いよく何かにぶつかる。


片倉かたくら。省エネとか言って机でうつぶせになるのがデフォルトなのに、節約したエネルギーを消費する先は廊下での徒競走か」


 その声に恐る恐る顔を上げると、担任にして生徒指導の三鷹みたか先生が笑顔で青筋を立てていた。


 せっかく曲がり角でぶつかるんだったら、トーストを加えた美少女であってほしい。今すぐラブコメがはじまりそうな出会いであってほしい。などという莫迦な思考はもちろん一瞬で飛んで行った。

 いや、三鷹先生も美人の類ではあるんだけどね、違うんだよ。


「いや、違うんですよ。これには深い訳があってですね」


 話ならじっくり聞いてやる、という言葉とともに生徒指導室へと引きずっていこうとする先生に、何とか口を開いて廊下を全力疾走していた事情を端的に説明する。先生は俺が事情を話していくにつれ顔色を変え、話が終わるとともに駆け出した。

 俺も一応目撃者ということで後を追うが、先ほどで体力を使い切ったので、先生との差はみるみる開いていく。


「お前たち、何をしている」


 先生が教室に入っていたのをようやく視界に収めたところで、いきなり怒鳴り声が聞こえた。呼吸を整え、ひっそり隙間から覗いてみると、下着姿、といってもキャミソールなのだが、制服を剥がれた女子生徒を男子生徒が囲んでいる。

 まあ、なんとなくそんな気はしていたけれども、本当にやるやつがいるとは思わなかった。こういうのって創作物の中だけの話じゃないの?


「片倉、覗いてないで応援を呼んで来い。っていうか呼んでおけよ」


 余計な考え事は三鷹先生の声で吹っ飛んだ。ハイ、と答え、余力を振り絞り職員室に応援を呼びに行く。


 *


 今度こそ職員室にたどり着き、授業の話をしていたガタイの良い体育教師たちに、女子生徒が襲われているからとにかく急いで来てほしい。今は三鷹先生が一人で対応していると事情を話す。最後に教室を教えたところで俺の体力は底をついた。


 その後は職員室の談話スペースで待たされ、目撃者としての事情聴取をたっぷり、じっくり、これでもかというほどに受けた。


 解放されたのは20時を回ったあたり。

 ことがことだけに、男子生徒の処罰やら世間体やらをめぐって保護者を呼び出したり、臨時の職員会議になったりとで、他はまだまだ忙しいようだ。それでも俺は話した以上の情報を持っていないと分かってもらえ、厳重すぎる口止めとともに帰宅許可が出た。


 帰り道スーパーに寄ったが、もちろん割引総菜は売り切れていた。黄色い箱のブロック栄養食と10秒チャージなゼリー飲料、計400円が俺の夕飯になった瞬間である。課題? もちろん回収できなかった。

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