誰でも買えるけど使い勝手の悪い凶器

@SO3H

第1話 事件編

部長が死んだ。殺されたのだ。目を潰され、頸を刺されていた。ハサミで。


部長はそもそも所謂パワハラ上司で、部下である私たちは皆少なからず彼を嫌っていた。

例えば自分の指示による失敗を部下のせいにし、あるいは始業1時間前の出勤を部下に求める。尚本人は重役出勤である。

だから話を聞いた時、安堵や喜悦が心に生じなかったと言えば、誰しもそれは嘘になるだろう。私もその一人だ。


警察の見立てでは、部長が殺されたのは昨夜21時頃。場所は我々が働く事務所のフロアにある男子トイレだ。

このご時世、事務所に入るためには社員証による認証が必要だが、業者の出入りもあるのでエレベーターホールやトイレにはそれが設けられていない。つまり社の内外問わず可能な犯行ではあった。部長に恨みを抱く人間などごまんといる、というのが上司部下ともに社員達の見解であった。また凶器のハサミには指紋や犯人の服の繊維なども残っておらず、捜査は難航するかに見えた。

このハサミが、一般的な右利き用であったなら。


部長の頸に刺さったまま捨て置かれたそのハサミは、刃の合わせが一般的なものとは逆の、左手用のハサミだった。

左利きは人口の10%ほど現れるらしい。意外と多いと思うかもしれないが、大抵の道具は多数派の右利きを想定して設計されており、ハサミも例に漏れない。それで昔は左利きの人を右利きに矯正する家庭も結構あった。

多様性だとかユニバーサルデザインだとかの概念が広がり、現代においては左利きの人が本来の利き手である左手で使いやすく、負担の少ない道具も多数製造・販売されている。

とはいえ、品数はやはり右利き用よりは少ない。

そしてこの事務所において、左利き用のハサミを使っているのはあの子だけだった。




「ま、待ってください!私のハサミはちゃんとここにあります!」

あの子は震える手で自分のデスクの引き出しを開け、刑事にハサミを見せた。それはやはり左利き用のものであった。

「確かに。だが、凶器として使用した後に買い直したとも考えられるし……」

「そんな……」

この日、部長の遺体が発見されて私たちは一旦自宅待機が命じられたが、取引先との連絡や事務処理もあるので、事情聴取も兼ねて昼から出社することになった。

出社して警察から左利き用のハサミが凶器だと聞いて、多くの社員があの子がこの事務所唯一の左利き(または左用ハサミ所有者)だと思い当たった。それは警察にもすぐに伝わり、今は彼女が必死に弁解をしているところだ。

彼女は部長からの当たりが特に多かった。私と同じ26歳独身だが、親の介護がもう必要らしく、たびたび有給休暇の申請や残業の少なさなどから部長から口撃を受けていた。

嫌らしい笑顔で周りに聞こえるように、若者は何を置いても働くべきだ、子どももいないのに、とのたまう部長に、さりとて私含め誰も逆らえず、彼女が黙って耐えているのを見ているだけだった。

ちなみに私は、それでも勤め続ける彼女の踏ん張りには敬意を示しつつも、同期が耐えていては自分が辞めづらいなと思っていた。


だから今も、正直なところその確執を知る大半の社員が、彼女を疑っていると思う。動機は十分にあり、凶器も彼女が持っていて不自然でないものだ。警察は入退室記録を調べているようだが、その時間彼女が事務所にいた記録が残っていなかったとしても、一度彼女が犯人だという先入観があれば、その記録をつける必要のない男子トイレでわざわざ殺したのかもしれないという仮説も立つ。割と辻褄は合ってしまうのだ。

「まあ、これだけ同僚のいる中では話しづらいだろうし、一旦署の方まで。ほかの皆さんはとりあえず仕事に戻っていただいて結構ですよ」

また来るかもしれないがと付け加えながら、刑事は全体に頭を下げ、あの子の腕を引いた。


「私がやりました」

ここで、そう言って先輩が左手をあげた。右手は履いているスカートを力の限り握っていた。

抵抗するあの子も、腕を掴んだままの刑事も、動きを止めた。私たち社員も、静まり返る。

なんで?

誰も口には出さないけれど、そんな声が聞こえてきそうだった。

そんなのわかってる。先輩はあの子を庇ってるのだ。彼女が好きだから。

先輩は仕事が早くて、営業からの覚えも良く、後輩想いでもあった。表立って部長に逆らうことはできなくとも、彼と同じかそれ以上の立場の上司からもその仕事ぶりによって好かれている彼女は、外から私たちを守ろうとしてくれた。

その中でも、一番目の敵にされていた彼女のことは気にしていて、毎日のように励ましのメッセージを送り、都合のつくときには食事に連れて行ったりもしていた。強い手段に訴えられない不甲斐なさを謝りながら。

私がなんでそんなことを知っているかって、同期のあの子からよくよく先輩の話が出たからだし、私も先輩のことが好きでよく見ていたからだ。

いつも先輩はあの子を心配していたし、動機や凶器にもとっくに気づいていただろう。だから当然、これは先輩が本当に犯人なのではなく、あの子の犯行だと思っての行動に違いない。


刑事は怪訝な顔をした。

「あなたは右利き、ですよね?」

「はい。けど、部長は私が刺しました。このために買ったハサミで」

「どうして左利き用のハサミを?」

「なんでもいいじゃないですか」

平らな暗い声で先輩は供述する。刑事は恐らく納得いっていない。

あの子はおどおどと困惑しながらも、先輩の言葉を否定しなかった。このまま肩代わりしてもらうつもりだろうか。

「あの。一応そろそろ仕事もあるのですが……」

私はおずおずと、刑事に申し出た。皆が一斉に私を見る。先輩は後押しよくやったと言わんばかりの眼光で、あの子は鼠のように怯えた瞳で。

「ああ。そうですね。ではまあ、お2人とも一度署で詳しくお話を伺いましょう」

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