魔女たちの庭園
園次 奏
序話
序話 燐光讃花
半分の月がようやく起きだす頃、夜空を彩っていた星々は三々五々その身を隠していく。
その一方で地上に縛られている、あるいは到底その手が天まで届くことのない生き物たちの闘争は、これを機にまた一つの転換点を迎えることとなる。
なにせ光の強さが違うのだ。
もちろん、昼を創り出す太陽と比べてしまえば月明りなどほんのちっぽけなものであることなんて自明である。もはや言うまでもない。
とはいえ、それでもやはりその青白い光をばかにすることはできない。
そして今夜、狩るものたちはその力強い光を背に受け益々その活動を活発化させていくのだった。
とはいったものの、はぁ、はぁ、と息を切らしながら歩くその少女――年の頃はようやくふたけたに届いたくらいであろうか――の耳にはきっとそんな喧噪など届かない。
だいいち場所が問題なのだ。
少女がいるのは森の中。これが昼間であったのなら、柔らかい木漏れ日が、その苔むした地面にちらちらと射していたことだろう。
あるいは太陽が沈んだ後であったとしても満月が真上まで登っていたのならば。
だがさすがにこの森の真っ暗闇は、寝ぼけまなこの月などではその地面まで照らすことなど到底かなわない。
せいぜいその表面をゆらりとなでることができる程度だろう。
そうだから必然、少女が今歩いているその場所は外の変化とはどうしても無関係となる。もとより外の音など入ってはこない。
もちろん森の中では外とはまた違う生き物たちの営みが繰り広げられてはいる。
獣が動けば下草をわさわさと揺らすし、鳥たちは思い思いの怪音をあげる。
人によってはこれらを、闇の住人達によるおぞましいうなり声、と称する者もいるのだろう。
そしてまた別の者はこれに昼とはまた違う自然の神秘を感じるのだ。
もっとも、今の少女にはそのような音すらも聞こえていないだろう。
なにせ少女の大好きな母親の命がかかっているのだから。
少女の母親は前日から原因不明の熱病におかされていた。
本人は「一日寝れていればきっと治るわよ」と少し気だるげに、でもいつも少女にしてくれるように優しく微笑んでいた。
また周りの大人たちもみんな口をそろえて同じように言うものだから、少女自身も初めは、次の日には何事もなかったかのように母親の病気は治ってしまうのだと思っていた。
しかし次の日、約束していたその一日が過ぎても母親の体調はあまり回復していなかったのである。
それにも関わらず周りの大人たちは、こともあろうに少女の母親さえも、異口同音に「心配しなくてもいい」「大丈夫」の一点張り。
どんなに少女が強く言っても、少し困ったような顔をして結局は同じことを繰り返すのみだった。
粘って粘ってなんとか一応、次にお医者さまが町に往診に来た時、それまでに治っていなかったら診てもらうという約束は取り付けることができた。
しかしそのお医者さまというのはなかなか忙しい人で、次に少女の住む町に来るのは三日も後の話だ。それまでにさらに症状が悪くなっていないとも限らない。
そもそも少女の母親というものは、少女の知りうる限り病気というものを一切したことがなかったのだ。
多少おっちょこちょいのきらいがある少女を、いつ変わらずそっと笑顔で見守ってくれていた。
そんな大好きな母親であるからこそ、今回のことは特に心配でたまらない。
自分で何かできればよかったのだが、あいにくながら少女はまだまだ非力であった。
そんな途方に暮れそうな中で思い出したのが、町のはずれの森に住んでいるというもっぱらの噂である魔女のことだった。曰く、
「森の魔女はあの手この手で訪れる旅人を誘い、まんまとその誘惑に引っかかってしまったものは、二度と生きて帰ってこれない」のだと。
そう、少女が住む町のはずれの森には、魔女が住んでいるとされているのだ。
しかも実際に夜の森では、魔女が旅人を誘うためなのか、魔術がかけられているかのような美しくも妖しい歌声が聞こえただとか、この世のものとは思えない不気味な薄光りの道を見ただとか、そういった笑い話のような、しかし妙な現実味から無視するにもしきれない、そのような目撃談が絶えない。
そしてそれゆえにその少女含め、町に住む子供たちには決して森に近づいてはならないと大人たちからは口酸っぱく言い含められてきていた。
魔女の住む森というものはそんな恐ろしいうわさが絶えないわけなのだが、お医者さまはしばらく来ない、大人たちは頼れないとなった少女はこう思った。思ってしまったのだ。
(きっと不思議な力を持つらしい魔女ならおかあさんの病気を治す方法だって教えてくれるわ!)
――そんなわけで森の魔女に会いに行くため、誰にも気づかれないように、夜の闇にすくみ上りそうになるその身を押し、ありったけの勇気を出して一人、家を抜け出したのが数刻前。
走って走って、途中で足を取られて転ぶこともありながら、それでも少女はずいぶんと森の奥深くまで入っていた。
初めのころはとにかく早くという思いと、それと決して眠ることのない夜の森の恐怖を振り払うために、少女は可能な限りの速さで走っていたのだが、もうずいぶん走ってきたことでさすがに息も上がってしまい、今になってはまさに鉛でもつけたのかというくらいの重い足を何とか動かしている状態だ。
さらに、それに加え足取りだけでなく瞼まで重くなってきたのはどうにもいたたまれない。
それでも少女がその歩みを止めないのには訳があった。
道である。
いつからか、まさに迷える旅人を導いているような光の道を見つけていたのだ。
本来なら自分の方角さえ見失ってしまいそうな薄暗い森の中、青みのかかった仄白い光をぼうっと放つのは葉なのか花なのか。
その葉は頼りなげな茎からまばらに出てくる枝をまたこれもぽつり、ぽつりと飾る程度。
花はその茎のてっぺんに各々二、三個をちょこんとのせている。
花弁はひし形のものが四枚か五枚か、これもまた間隔を広くとって開いていた。
背丈は少女の膝までないだろう。
だがそれが見事にすっと、まるで久々の来訪者を歓迎するかのようにカーブをなして足元から森の奥へ続いているのだ。
また、ひとつひとつの明るさは強くはないが道をなすほどには集まっているからか、それが周囲の木々をも薄く、蒼く照らし出している。
さらに森の隙間から見える、身を隠しきれない星々や月がやる気なく染め上げる夜空と組み合わさると、何とも言えない幻想的な雰囲気を醸し出している。
(きっともうすぐに違いないわ)
少女はそう自分に言い聞かせて、先ほどから執拗に襲い掛かる睡魔と、ここまでひたすらに歩いてきたことによる疲労とにより崩れ落ちそうになる体を叱咤しつつ、一歩、また一歩とその淡い光の道をたどっていくのだった。
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