第2話 8月3日 サキさんと出会う
8月3日
見事に昼夜逆転を決め込んだ。
待ってくれ、確かに布団と枕は好きだ。愛してる。けど、さすがに僕を甘やかし過ぎてはいませんか?
人間、必ずやらなきゃいけないことはある訳で。
「さすがにヤバいって! 間に合うかこれ!?」
スマホのアラームが本当の意味でアラームの役割を果たすまでには5分以上かかる。
だから皆、数分おきに設定するんだろうけど、何故か俺のスマホは1回分しか設定されてなかった。
寝る前の俺は、自分をかなり過大評価していたみたいだ。
夏の真昼。
それはもう、うだるような暑さで、黒いTシャツなんかを選んだことを心底後悔した。
もはや熱を溜めるだけ溜め込んで、カイロですか? って勘違いする程度には温まっている。
時刻は昼の12時52分。
そして、予約していた美容院は13時。
マジで間に合わないんじゃないのか? ああ、憂鬱だ。
目の前に迫る憂鬱を意識すると時間の流れってのは随分と早くなる。
中学や高校の時、分からない問題に限って指名されるアレと似たようなもん。
『後、何番目に回ってくるじゃん。え、もう次?』みたいなパターン。
夏休みを謳歌する学生達や、親子連れ、ワイシャツに汗を滲ませる社会の歯車達(誇りを持て)の間を風のように走り抜け、何とかギリギリで美容院に着いた。
駅前にある2席しかない小さな美容院。
なんでこんないい土地を抑えられたのか不思議だ。
入るとすぐに受付の若い女の子が予約の有無を尋ねてくる。
「宮田です」
名前を伝えると、足元から頭の先まで、品定めするように俺を見てくる。
もう履き潰しそうな革靴。とりあえずこれ履いとけのデニム。無地の黒シャツ。髪はボサボサ。酒焼けした声。
ええ、この場に相応しくないのは分かってますよ。でもしょうがないでしょ? ファッションとか化粧とかよく分かんないんだから。
「ご指名は?」とノートパソコンの画面を見ながらおさげの毛先をクルクルと弄る。夏だと言うのにパーカーを着て、袖を深め、短いスカートから色白の肌が見える。
新入り……? しかも、ギャル系か。
もうそれ白じゃん、ってくらい色の明るい髪と耳についたピアス。目つきは鋭く、小柄な体躯をしている。
派手だなぁ、と彼女をまじまじと観察していると、「宮田くん!」と俺を呼ぶ声がした。
その方を見やると、ブラウンに染めた長い髪を携えた女性がチェアの背を叩きながら微笑んでいた。
「じゃあ、あの人で」
「かしこまりましたぁ」
なんだ、言葉遣いは普通にやれんじゃん(若干、語尾伸びてるけど)。社会人やってるだけはあるな……。
「というか“佐山”って入ってた……」
「ああ、なるほど」
相変わらず逆指名されてるのね。
「いらっしゃい!今日はどうする?」
チェアの座り心地を確かめながら、鏡越しで目を合わす。
佐山楓(さやまかえで)さん。
どうやら、この人に気に入られてしまっているらしい。
なぜか?
その始まりは2年前──大学1年生まで遡る。
その当時、俺は田舎から出てきたばっかりで右も左も分からないよそ者。
伸びきった髪をどうにかしないとな、なんて思って駅前に向かった。
困ったら駅前行っとけ、ってネットの掲示板に書いてあったからだ。しかし、美容院もなければ床屋もない。どうした駅前、情報と全く違うぞ。
諦めて近くの美容院を探そうとスマホを取り出した瞬間、画面が手作り感満載のチラシでいっぱいになった。邪魔で見えない。
「君さ、暇?」
ふと顔を上げると、綺麗なお姉さん。
超タイプです。
すらっと伸びた足にぴっちり張り付くパンツ、純白なワイシャツに少し波打ったロングヘア。
理想を絵に書いたような年上お姉さんに嫌でも心臓は高鳴った。でも、
「暇じゃないです」
そう、断じて暇じゃない。むしろ忙しい。
「えー、何でよ?」
「何で、ってなんスか」
「せっかくイイ子見つけたと思ったのに〜」
カワイイ。何これ逆ナンってヤツ?
こんな美人が俺みたいな冴えない男にも声掛けてくれるの? 都会ってマジすげぇんだな。
「じゃあ、これあげるから良かったら来てね。ばいばーい」
語尾にハートマークが付いてそうな甘い声で、思わず顔が熱くなってしまう。スタイルもいいし、タレ目気味なのもポイント高い。厚めの唇もキュート。
この機会を逃すのは惜しいけど、仕方ないな……って、あれ?
新規グランドオープン、2日後……美容院って書いてるじゃん!
「あのっ! そこのお姉さん!」
「ん?」
背中に声をかけ、呼び止める。
なんか声のかけ方が酒屋のキャッチみたいだな。
そして、お姉さんもお姉さんの自覚があるのか反応した。
「行きます、髪の毛! ちょうど探してたので!」
完全に振り向いたお姉さんは目の色を変えて、俺の手を握ってきた。
「ほんと!?」
「ほんとです……でも、なんで手握って……」
何だこの人、押しの強さがおかしい。テレビショッピングの販売員より激しい……けど、嫌じゃない。
俺は今さぞかし鼻の下が伸びていることだろう。気持ち悪い? ふん! 羨ましいだけだろ。
「じゃあ行こっ!」
「エッ!? 今からですか?」
「そうよ? だって髪切りたいんでしょ?」
「そうですけど、明後日からなんじゃ」
「いいのよ、別にいつだって。っていうか私が待てないわ!」
押しに押されて、流されるがまま手を引かれた。
後に分かったんだけど、『2日後オープン!』を決めたのは佐山さんだった。
チラシ配りだってもう少し前からやるもんだろうし、自分で決めたオープン日も待てないって、ぶっ飛んだ人だ。
とまぁ、そんなこんなで佐山さんと出会い、今では行きつけの美容院だ。
2年も経てば色々と勝手が分かってきて、こちらから美容師さんを指名するシステムだと聞いていた。なのに、何故が勝手に佐山さんになっている。さすが店長。権力ハンパない。
「おまかせでお願いします」
「えー、またぁ? せっかくサンプルとかあるんだから1回くらい自分で選んでみなさいな」
呆れた顔をされたけど、「おまかせで」と2度目を返す。
自分にどんな髪型が見合うかなんて判断できない。だったら、生業にしている佐山さんにおまかせした方がよっぽど安心できる。
「はい、できたよ」
ほら見ろ、今回も完璧だ。
伸びすぎてカーテンのようになっていた前髪もさっぱりとして、傍から見てれば鬱陶しい全体のボリュームも控えめに。
伸ばしきってから来るせいで、毎回毛が刈られた羊みたいに変わるけど、このスッキリ感が堪らない。
一気に頭が軽くなる。
「あのさー、余計なお世話だと思うけど、もう少し何とかならないのかね?」
「何がっすか?」
「頭よ、頭! 毎月1回は来るとかしないと女の子にモテないぞ?」
ほんとに余計なお世話だ。だれの為に髪を切る? 女? 周りの人を不快にしないように気遣って? 馬鹿なことを。自分の為に決まってるだろ。
「俺はありのままの自分を好きになってくれる人がいい!」
「自信たっぷりに何を言っとんじゃ」
「面倒事はなるべく避けたい! 叶うなら、ずっと家に居たい! 掃除も洗濯も、誰かにやってもらいたい!」
「初めて出会った時の純粋な宮田くんは遠くに行ってしまったようね」
やれやれ、と肩をすくめて掃除を始める佐山さん。
今日はお客さんも少ないみたいで、待合席を使って簡単なお茶会が振る舞われた。
「コーヒーまで頂いてすいません」
「……」
受付をしてくれたギャル子ちゃんが、物凄い剣幕で睨んできてる。
「最低ですよ」
もはや軽蔑の眼差し。
さっきの話を全部聞かれていたらしい。
最低です、って……そりゃ俯瞰的に見ても最低だよな。誰かのヒモになりたい宣言だもんな。
「まあまあ、サキちゃんも落ち着いて。休憩にしましょ?」
佐山さんは持ってきたコーヒーをテーブルに置いて、視線でなだめた。
これでテーブルにはアイスコーヒーが3つ。
視線を泳がせたギャル子ちゃんは「楓さんが言うなら……」と納得した様子で向かいに席を取る。
なぜ、彼女を正面に座らせたんだ佐山さん。
コーヒーを置く位置、絶対狙ってやってるだろ。
それなりに付き合いが長くなると、佐山さんがどういう人柄がだいたい分かってきた。
いつも明るくて、元気を振り撒くような人。彼女といると、誰もが自然体になれる。ギャル子ちゃんもその1人なんだろう。
ただ、少し悪女でもある。何も考えていないように見えて、実は裏で思考を練っている。
髪を切っている最中も決して会話を途切らせないし(それが苦手な人もいるだろうけど)、なんと言っても聞き上手だ。
ついつい、あれこれ話してしまいそうになる。今だって、俺とギャル子ちゃんを仲良くさせようと間に入って、正面に座らせれるよう自然な誘導まで。
できる女だ。
ならば、その気遣いに答えようじゃないか。
まずは、フランクに。
「ギャル子ちゃ──」
「ア゛?」
────し、しまったァァァ!! 名前の呼び方から間違ってんじゃねぇか!
『初めまして、で近づこうとしたけど、実は裏で色々噂話してました』感が出ちゃってる!
悪い方に勘違いされるパターンのやつじゃん!
「あ……ああ、そうじゃなくて……」
必死の取り繕いも、押しつぶされそうなオーラに気圧された。そして、口から出たのは、
「ギャンダムっ子なんですよね〜、僕ぅ……」
ギャンダムってなんだぁ……?
「必死すぎてキモい」
言い訳に無理があるのは分かってんだよ!
もう少し優しく扱って下さいよ! 豆腐メンタルなんですから!
あはは、と苦しい愛想笑いをして仕切り直す。
「えーっと、サキさんでしたっけ?」
「うん」
両手でグラスを持ちながら飲む姿がちょっとカワイイ。いや、サキさんはよく見なくても、カワイイって言い切れるほど可憐な顔立ちをしていた。どうしてギャル系のメイクなんてしてるんだろうって首を傾げたくなるような物静かな雰囲気。
「新入りさんですか? 見ない顔だったので」
サキさんは首を振って、気まずそうに佐山さんを見た。助けを乞う子犬のような瞳だ。
「この子、暫く家で預かってるんだ」
「佐山さんが?」
「うん。それでお店の手伝いしてもらってるの。ちなみに16歳だから」
「ゴフッ!」
飲んでいたコーヒーを豪快にぶちまけた。
肺に入りそうになる水分を体が拒絶して咳が止まらない。テッシュを渡す佐山さんは、あーあ、と苦笑い。
落ち着いてきたので、思いの丈を存分に叫ぶ。
「じゅ、じゅうろく!?」
絶対ウソだ!こんな16歳いる訳ないだろ! 成長早すぎでしょうが! 最近の高校生は一体どんな体のつくりをしとんだ!
「最近の子は早熟よね〜。私が16歳の時なんか、道端の草食べてたわよ」
「ウソ……」
なんでショックを受けたような顔をするんだサキさん。嘘に決まってるだろ、純粋かよ。
そういう所は16歳の子供って感じだ。にしても5つも下って……めっちゃ敬語で話しかけてたわ。
よし、ここは年上の威厳をだな……。
「なあ、サキ」
「ア゛?」
「すいません、サキさん」
またしても距離の詰め方を間違えてしまったようだ。ゴホン、と咳払いを1つして。
「サキさんは高校生だよね?」
「まあ、一応」
「一応?」
何か気に触ったのか、ムッとした顔になる。
「意味がなくても“一応”ってつけちゃうもんなの。おじさんには分からないだろうけど」
お、おじさん……。そうですか、21歳はあなたから見ればおじさんになってしまうのですね……。時間の流れは残酷です。
突き放したような言い方をされて肩を落としていると、入口のドアが開かれた。
「こんにちは。予約した────」
新しいお客さんだ。
佐山さんは「またね」と小さく耳打ちして颯爽と客の傍に寄り、チェアまで案内する。
俺もそろそろ、おいとましようかな。
「俺も帰るよ」
「わかった」
お金を払い終えて扉を開けると、「またね」とサキさんが佐山さんの真似をするように呟いた。
違うところがあるとすれば、肩の前で控えめに手を振っていたこと。
見た目と仕草のギャップで絶命してしまいそうだ。
せめて最後くらいカッコよく締めくくってやろう。
スッキリ爽やかになった髪型、澄ました顔を作って。
「アデ──」
────パタン
俺の「アデュー」がサキさんに届く事はなかった。
扉よ。お前は何故、いつもいい所で邪魔をするんだ? 思いを伝えようと奮闘する男達になにか恨みでもあるのか? それとも助けてくれたのか? 『そんなの言わない方が身のためだよ』って?
やかましい。俺だって言わなくて済んで感謝してます。ありがとう、扉。
帰り道。既に1日の大仕事を終えたような気分だ。
髪もスッキリしたし、心なしか日差しも弱まってきたような気がする。
散歩がてら駅の周辺を散策してみる事にした。
大学3年にもなってまだ駅前ですらまともに歩いた経験がない。
本当に必要最低限の外出で生きてきたんだな。我ながら感心する。
暫くほっつき歩いたが、どうも人が多い場所は落ち着かない。引きこもり体質の弊害が如実に現れた。結局、細い裏道を歩いて小さな世界を広げる方へ指針転換をしてみる。
裏通りは随分と居心地がいい。
人が多いのは苦手だが、人の雑踏を感じるのは嫌いじゃない。
表はワイワイ賑わって、裏に流れてくる霞がかった騒がしさが俺にはちょうど良いのだ。
「ん? なんだアレ?」
全くと言っていいほど人通りのない裏通りに立てられた看板が目に入った。
興味を引かれて近づいてみる。
「喫茶店?」
チョークアートで描かれたショートケーキやコーヒーのイラストが喫茶店を示唆させた。
こんな人目につかない場所で店を構えるなんて、ツイてないな。佐山さんの美容院を見たら、立地の良さに嫉妬するんだろうな。
「古民家風の小さな喫茶店か。雰囲気も好みだし、今度また来てみようかな」
宮田宗治、引きこもり気味の男。久しぶりに新しい世界が開けました。
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