八 初恋

「いや。待て、ミーケ。落ち着け。どういう事なのかを知りたいのは俺の方だ」




 一郎はガオガブの顔を見つめたまま言った。ガオガブが小首を傾げる。




「かわいい」




 一郎は思わず呟く。




「きゃふ。男の人にかわいいなんて言われたのは生まれて初めてなのです」




「はあああ? おんしゃ、嘘はいかんのう。嘘はよ」




「嘘じゃないのです。ガオガブはこんなふうだから、そもそも人とは一緒いた事がないのです。それに、ガオガブは人より力も強いのです。さっきみたいに抱き締めたら、普通の人なら死んでしまっているはずなのです」




「え? ガオガブちゃん。どゆこと?」




 一郎はさり気なくすすっと後ろに数歩さがる。




「こういう事なのです」




ガオガブが海、もとい、温泉の方に行く。水際に立ったガオガブが、前に向かって足を蹴り上げる。




「海が、いや、温泉が、割れた」




「うん。ミーケもこんなの初めて見た」




 大量の水を湛えた海、もとい、温泉が真っ二つ割れるという、十戒という映画に出て来たワンシーンのような光景を見て、一郎もミーケもその場に呆然と立ち尽くす。




「あ、あの、ええっと、ジャベリンさん、いえ、ジャベリン様? うーん? っとなのです。ご主人様? 旦那様? かな、なのです。えと、あの、こんな女の子じゃお嫁さんにはしてもらえませんか? なのです」




 ガオガブが顔を少し俯うつむけ、もじもじしつつ、一郎の顔を上目遣いに見る。一郎はただただ、渇いた笑い声を上げた。




「ちょっと待った。お母さんって、お前よりも強いのか?」




 ミーケが割れた温泉が元に戻って行く壮大な様さまを見つめつつ言った。




「はいなのです。お母さんは全然ガオガブより強いのです」




「ジャベリン。やっぱり倒そう。出てきた瞬間に姿を変えてしやっちまおう。そうだ。その後で元に戻せばいい。これいいアイディアじゃない?」




「え? あ、ああ。それでいいんじゃないかな」




「お母さんに酷い事はしないで欲しいのです」




 ガオガブが一郎に向かって足を一歩踏み出す。一郎はささっと後ろにさがる。




「あの、どうして、なのです?」




 ガオガブが酷く悲しそうな顔をする。




「何が?」




「後ろにさがっているのです。ガオガブの事、嫌いになったのです?」




「ジャベリン。もうやってしまえ。こいつも姿を変えちゃえばいい」




「いや、ミーケ、いきなり、それは、ちょっと、かわいそうじゃないか」




「旦那様は優しいのです。もう絶対に逃がさないのです。えいっなのです」




 ガオガブが一郎に飛び付き、ぎゅっと抱き締める。




「うおおおああ。って、平気だな。なんでだ? ガオガブちゃん、力抜いてるとか?」




「抜いてないのです。やっぱり旦那様はガオガブの旦那様になる人なのです」




「旦那様、旦那様って、勝手に決めて呼ぶな。それは鎧のせいだよ。そのケミカルウォッシュはこの世界で一番硬い金属ゴルラチマグオリモーンでできてるんだ」




「長い名前だな」




「はい。長いのです」




「呼びにくいな」




「はい。呼びにくいのです」




「ちょっと、なんなの? なんか、二人の空気おかしくない?」




「いや、なんか、こういうの、まんざらでもないっていうか。俺、ほら、一応三十二歳独身じゃん。旦那様とかっていわれるのってやっぱり、憧れてたっていうかさ。悪くないな、なんて。なんか、こういうのって、いいかも、みたいな?」




 一郎がぽりぽりと兜越しに頭をかく。




「ガオガブの得意料理は肉じゃがなのです。お母さんが肉じゃがさえうまく作れりゃ、男はいちころだって言って作り方を教えてくれたのです」




「肉じゃがか。最近食べてなかったなあ」




「何これ? はあ? え? なんなの? ジャベリンは、それでいいの? ここで、その子と、結婚とかしちゃって? そんでもって、子供とか作って? 肉じゃがおいしいとかいって暮すの?」




「あー。悪くないかもな、そういうのも」




「きゃああなのです。子供は何人作るのです?」




「アドミニミニコード。あの怪獣をナマコにして」




 ガオガブの体からぼふんっと煙が出ると、ガオガブの姿がナマコになって砂の上に転がった。




「ふん。ミーケの勝ち」




「うわ。おい。ミーケ。何やってんだ。アドミニミニコード。ガオガブちゃんを元に戻して」




 ナマコがぼふんっとなると、ガオガブの姿になる。




「ジャベリン。余計な事すんな。アドミニミニコード。ナマコ」




 ぼふん。




「ミーケ。やめろって。アドミニミニコード。ガオガブ」




 ぼふん。ぼふん。ぼふん。ぼふん。




「ジャベリン。まだやるのか?」




 アドミニミニコード合戦が三十二回続いた所で、ミーケが言った。




「いや。疲れた。もうやめよう」




「じゃあ、もう一回だけやってやめる」




「待て。もう一回やったら、ナマコのままになる。今ので終わりだ」




「なんでかな。なんで、この子の味方ばっかりするの? おかしくない? ミーケは悪い事してる? してないよね?」




 ミーケが大きな声を出す。




「びっくりした。急にそんな大きな声出すなって」




「だってさ。おかしいよ。ミーケの事大切じゃないの? お嫁さんだから? ミーケじゃ駄目だったの? なんで、そんな怪獣なの? しかも、今日、会ったばっかりなんだよ」




「ミーケ? お前、そんなに、怒るとこじゃないだろうに」




「もういい。もうなんか嫌だ。今日は調子が悪い」




 ミーケがくるりと一郎とは反対の方向を向くと猛ダッシュを始める。




「お、おい。ミーケ。調子が悪いって、まさか、さっきの光線の所為か?」




 一郎はミーケを追いかけようと走り出す。だが、そこはそれ。鎧に不慣れな一郎である。また、転びそうになる。




「危ないのです」




 ガオガブが一郎を助けようとするが、二人して砂浜の上に転がってしまい、本日二度目のラッキースケベが訪れる。




「旦那様。また、揉むのです?」




 ガオガブの頬がほんのりと赤く染まる。




「ジャベリンの馬鹿。何やってんだよっ。死ね。ウンコ野郎。もう、絶対に許さないんだから」




 ミーケの声が響いた。




 「ウンコ野郎って。どんな悪口だよ。というか、広島弁チックなのはどこに行ったんだよ。それに、走って行ったんじゃなかったのか? もう、ツッコミどころ満載じゃないか」




「どうするのです? 後を追うのです? それなら、しょうがないのです。ガオガブは、怪獣だし、お母さんの事もあるのです。去って行く旦那様を追いかける事はできないのです」




「いや。ミーケの事は放っておこう。追いかけて、こっちに戻らせても、またガオガブちゃんの事、変身させるかもしれないし。今は、お母さんの事をなんとかしよう。それが終われば、ミーケがガオガブちゃんを攻撃する事もなくなるだろうし。それからミーケの事は考えよう」




「それでいいのです? ミーケさん、傷付くと思うのです」




「そう、かな」




「そうなのです。ミーケさんは早く旦那様に追いかけて来て欲しいはずなのです」




「そうなの?」




「もう。旦那様は乙女心が全然分かっていないのです。早く行くといいのです。ガオガブは平気なのです」




 ガオガブが立ち上がりながら、軽々と一郎の事も立たせてくれる。




「でも、それじゃ、なんかさ、ガオガブちゃんに悪いし。体の方は平気? 何度も変身してどこかおかしかったりしない?」




 胸とか散々もんじゃったし。旦那様は良かったし、名残惜しいし。と一郎は思いながら言う。




「ガオガブは全然平気なのです。早く行くのです。そうしないとガオガブの気が変わってしまうかも知れないのです」




 ガオガブが言って、くるりと回り一郎に背を向ける。




「はっ!?」




 ガオガブのせつなげな後ろ姿を見た一郎は、昔プレイした事のあるとあるエロゲーの事を思い出した。




 このシチュエーション。こんなのあったぞ。ガオガブちゃんは俺の事を本当に好きなのかも知れない。だから、俺を行かせようとしてくれてるんじゃないのか? こんな事、現実に、いや、ここはゲームの中だけども、エロゲー世界以外の場所で、俺にこんな事が起こるなんて。ここでこのままミーケの所に行ったら、俺は一生に一度しかないかも知れないチャンスを逃すんじゃないのか? でも、ミーケは? ミーケをこのままにしていいのか? このままガオガブちゃんとあんな事やこんな事をした後で、俺はミーケの所に行けるのか? というか、ミーケの事なんて、忘れてしまうんじゃないのか?




「ガオガブちゃん」


 ごめん。俺、とりあえず今は、ミーケの所に行くよ。ミーケと仲直りしたら、戻って来るから。とここの部分を言う前に。


「ちょっと、あんた。ここまでやっておいて、うちの娘の事、捨てようってんじゃないだろうね?」




 二十歳過ぎくらいの女性の声によって一郎の言葉は遮られた。

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