中2 春(本編1)

「みつき」


 ちひろの吐息が顔にかかった。

 放課後、彼が部活に行く前に体育館の裏でこうすることが日課になっている。

 そう言えば、これで何度目のキスだっけ。

 唇を離すと、唾液が糸を引いた。


「ん」


 ちひろが髪を切って学ランを着て、ぼくははじめてスカートを穿いた。ぼくたちが付き合い始めてから、1年が経った。


「みつき、好きだよ」


 ちひろが鼻と鼻を合わせる距離で、声変わり途中のかすれた声で言う。もともと中性的な顔の彼だったけれど、最近少しずつ、男らしくなってきたように思える。


「ぼくも」


 一方で、ぼくはどんどん体がまるっこくなって、最近ワイヤー入りのブラに変えた。

 広がっていく身長差にはちょっと凹むものがあった。

 だって、ぼくの身長は小6あたりからほとんど伸びていないのだ。

 まあ、でも、そんなの些細なことだ。

 女になったぼくのことをちひろは好きで居てくれているみたいだから。


「あー、でも」

 

「うん?」


「そろそろぼくっていうのやめない? ほら、お前を男だったって言うやつも、ほとんど最近居なくなったし」


「じゃあ、なんて言えばいいかな」


「わたし、とか」


「わたし。じゃあ、わたしにするね」


 ぼくが微笑むと、ちひろは頭をなでて顔をくしゃりとした。


「みつきは可愛いなあ」


「なんか照れくさい」


「かわいいよ、みつきは。どんどん可愛くなってる」


「自分じゃよくわかんないよ」


「俺、幸せだよな」


 ちひろが体を離して、微笑んだ。


「わたしもだけど。……急にどうかした?」


「別に! みんなから羨ましいって言われるんだよ、みつきと付き合ってるって言うと。ちゃんと女になってるよ。自信持てよ」


「うん」


 女子として自信があるかって言われると、確かに全然ない。

 でも、今のちひろとの関係は、ぼくはすごく満足している。

 ちひろがどうしてこんな事を言うのかわからなかった。

 次の言葉を探して彼の顔を見つめていると、彼は一気に破顔して吹き出した。


「おっぱい大きいし。男子的にはすごく重要っぽい」


そう言って、彼はくるりと背中を向けた。


「え!?」


 茶化すような声音に、ぼくは思わず胸元を隠した。

 あははってを開けて笑っているであろう、ちひろの後頭部を睨みあげる。「それ、普通の女子に言ったら大変なことになるからね」


「言わねーよ。部活行ってくる。気をつけて帰れよ」



……。


 校門に行くと、友達が二人待ってくれていた。

 聖ヶ丘さんと、関戸琉希(せきどるき)さんだ。

 聖ヶ丘さんが少し不機嫌そうに息を漏らして、言う。


「百草くん、やっと来た」


「ごめん! おまたせ」


 彼女はぼくの手首を掴んで、ぐいと引っ張る。「帰ろう。ゲームしたいし」


 ちひろの家で遊んで以来、彼女はすっかりゲーム好きになってしまった。

 今でも時々4人でゲームをしたりするのだ。


「待って無くても大丈夫だよ。悪いし」


「うわ、出た。彼氏が出来た途端そっちを優先する女」


「ええー……」


「冗談。っていうか、一人で帰るの寂しい。一緒に帰ろう。百草くん以外に友達いないもん、わたし」


「あたしあたし! あたしは!? 悠里、あたしは!?」


 関戸さんがポニーテールを揺らして、聖ヶ丘さんの前に立ちふさがって両手を広げた。

 彼女は身長がすごく高いし、手足もすらりと長くて、それにすごくおしゃれだし社交的でスポーツも万能で頭もいい。劇団に所属していて、「将来は舞台俳優になりたい」なんて夢じゃなく真顔で言えるような人だ。


 本当なら、ちひろと同じく、クラスの上に居るべき人間なのだ。

 実際のところ小学生の時は女王だったはずの、ひなこさんの影がすごく薄くなってしまったのは、彼女のせいだろう。


「わたしの友達は百草くんだけだから」


「みつきはあたしの友達だよね」


 関戸さんが、ぼくにきれいにウィンクしてみせる。

 キザな所作が様になってるのが、すごいと思う。


「友達だよ」


「みつきはあたしの友達で、友達の友達はやっぱり友達。じゃあ悠里はあたしの友達でしょ」


「意味わかんない。だいたい会ったばっかりじゃないわたし達」


 2年生で同じクラスになって、初めて会話をした。

 クラスの上になるべき人間は、なぜだか爪弾きものであるぼくと聖ヶ丘さんに興味を持ったのだ。


「友情に時間は関係ないのさ」


 つっけんどんな聖ヶ丘さんにも臆さず、関戸さんはふにゃりと笑う。


「もう。百草くんもなにか言ってやってよ」


「わたしは、関戸さんのこと好きだけど」


 わたしという言葉を吐き出すためには、舌に力を入れることが必要だった。

 関戸さんの別け隔てなさの影響力は、クラスでも大きい。表面上かもしれないけど、聖ヶ丘さんとぼくが平和に暮らしていけるのは彼女と同じく上であるちひろのお陰だ。

 そんな打算を抜きにしても、単純に彼女の性格が好きだった。


「うへへ。あたしも、みつきのこと好きだよ!」


「君たち好きって簡単に言い過ぎ。好きって、そういうもんじゃないでしょ」


「悠里が好きを重く考えすぎなんだって。いいじゃん、好きなものは好きで。あたしは悠里も、もーちゃんも好きだよ」


 もーちゃん?


「…で。百草くん、わたしって?」


 聖ヶ丘さんが急に水を向けてきてびっくりした。

 たぶん、関戸さんに言い返すことが出来なかったせいだ。


「中2にもなってぼくは流石に変かなって」


「ふうん。片倉くんに言われたとかじゃなくて?」


 案の定彼女はすぐに気づいた。

 そして気づいたことは即座に尋ねてくる。察して推し量って、空気を読む。

 そんな事をしない彼女のことが、ぼくは結構好きだ。気が楽なのだ。

 

 女の子同士の配慮の押し付け合いは今でもあんまりできない。

 ちゃんと女の子になれてないから、仕方ないんだけど。


「それもあるけど、わたしもそう思ったから」


「別に君がそれでいいなら良いけれども」


 言いつつも、責めるような目をぼくに向けてくる。

 間に関戸さんが割って入ってこなければ、もう一言ぐらい言われてたかもしれない。


「みつきは、片倉と付き合ってんだよね」


「うん」


「じゃあ、みつきはホモなの? だってみつきは男として生まれたんでしょ? あ、別に悪いとか言いたいってわけじゃないよ。なんか単純に気になって」


 一瞬、時間が止まってしまったような気がした。


「関戸。あなたのそういう無神経なところ本当に嫌い」


「ええー。別に悪気はないって」


「余計に性質悪い!」


「ごめんって、悠里。そんなに怒らないでよ」


「もういい。百草くん、さっさと帰ろう」


 聖ヶ丘さんに手首をぐいと引っ張られて、ようやく深い水の底から上がってこれたような気がした。


「みつきもごめんって」


 目の前に本当に申し訳無さそうに両手を合わせる関戸さんが居た。悪気がないのは、きっと本当なんだろう。それに別に、ぼくも怒ったとか、そういうじゃなくて。

 自分のことは割とどうでもよくて。


「あ……うん。関戸さん、別にわたしは怒ってない。でも、よくわかんないや。ちひろのことは好きだけど、男が好きなのかな? わたし」


 女になりたいって言ったちひろはどっちなんだろう。

 どっちの性別が好きなんだろう。そのことばかり考えていた。

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