ロクジュウゴ 到着
生長する木の幹に乗っていたエレオノーラとラセツが、『吸血族の城』に辿り着いたのは次の日だった。日が落ち始め、辺りが真っ赤に染まっている時間帯で、エレオノーラとラセツはその光景を目の当たりにした。
『吸血族の城』には大木が生えており、際限なく伸びた蔓が人間を縛り上げている。必死に抵抗する者、なす術なく気絶している者、様々な人間が巻き付いた蔓の中で悶えていたのだ。
「これは……凄いな」
ラセツは思わず感心してそう呟いた。エレオノーラがニナに渡したという首飾りに、まさかここまでの魔法が込められていたなどと、まるで予想出来なかったからだ。幹が一度動きを止めると、地面に向かって垂直に進行してようやく二人は目的地に到着した。
ゆっくりと降りる。
「こんな魔法が使えてたとはな、エレオノーラ殿」
「まあね……と言っても、これは私の母が残していった物の一部なんだけれど」
物寂しげにそう笑いながら、エレオノーラは歩を進めた。城の前で一度立ち止まると、仰いでその全貌をゆったりと眺める。所々朽ち果てているが、何らかの攻撃でやられた訳ではなさそうだ。
「確かリャノンと一緒にいたメアリーってのが、防護魔法を使えたはず。建物が無事って事は、それで侵攻を防いでいたって事か」
確認する様にして呟くエレオノーラが、中へ入ろうと足を踏み出すと、「おい!」というラセツの慌てた声で立ち止まった。
「何よ。中にニナとオリガがいる気配がするから、早く────」
「それは、分かっているが、これを……!」
「はぁ、全く……!?」
やれやれと肩を竦めながら青い顔を更に青くさせているラセツの横を通ったエレオノーラは、彼の言う光景に目を見開いた。
それは無数の死体の山だった。鉄臭く、抉れた肉から漂う死臭、そして僅かに腐敗が進行し始めているが為に鼻腔を刺激する異臭……だが驚くべきところはそこではなかったのだ。数十人もの死体の山、あるいはカーペットの半数近くが、ラセツとエレオノーラ両名がよく知る人物だった。
カズヤの死体。
人間の騎士に混じって、彼の屍があちこちに転がっている。中には首から上がなかったり、半身が斬り裂かれているものもあったけれど……間違いない、カズヤだ。
「……どうやら、カズヤ殿が足止めをしていたのもまた、儂らが間に合うに至った遠因なのかもしらんな」
「みたいね。アイツに会ったら、お礼でもしてあげるか」
驚きながらも死体を真っ直ぐに見据えながら、ラセツとエレオノーラは頷き合うと、いよいよをもって『吸血族の城』に向き直る。
だがその中に、カズヤがいないのだと知るのにそう時間は要さなかった。
「オリガ!」
「……! は、母上!」
未だに建造物として形が残っているのが不思議なくらいの城を駆け上がった先に、その廊下で膝を抱える様にして俯いていたオリガが居た。
絶望の中で見出した幻なのではないかとオリガは思った。それでも母に抱き締められる事で伝わってくる温もりに、彼女は少しずつこれが現実であるのだと実感する。
「母上っ、母上!」
気丈に振る舞っていたオリガは、まるで幼い子供みたくエレオノーラの胸に顔を埋めると、大声で彼女の名を叫びながら泣いた。
「オリガ、もう大丈夫よ」
安心させるべくそう諭しながら、エレオノーラはオリガの頭を優しく撫でる。自分が母親にしてもらったのと同様に、ゆっくりと髪を梳く様にして、オリガをあやす。
「ひとまずは安心だな」
ほっと安堵するラセツの存在に気が付いたオリガがパチクリと目を瞬かせた。無理もないだろう。もう数十日以上も会っていない母と、鬼族の長がここに居るとなれば、驚きも隠せない。
「ラセツ、殿も……どうして」
「ニナに渡した首飾りが、私に知らせてくれたのよ。アナタ達が危ないって」
『吸血族の城』に突如発生した巨大な木は、そういう事だったのか、とオリガは納得した。あの木によって、外に残っていた人間の残党を無力化に成功したのは、奇跡ではなく、エレオノーラの心配性から得られた結果だったと言う訳か。
けれど姉上は……。
オリガの曇った表情と、ここには居ないニナとカズヤも相まってエレオノーラの不安が渦巻いていく。
「オリガ、ニナは? それと、カズヤも」
「それは────」
「それは私が説明するわ」
言い出しにくそうに視線を逸らしたオリガの隣の扉が開けられると、リャノンがそう言った。
「リャノン!」
「久しぶりねエレオノーラちゃん」
赤いドレスの端を持ち上げてわざとらしく頭を下げるリャノンに、エレオノーラは「相変わらずね」と苦笑いをした。彼女は前に会った時もこうやって挨拶をしてきたものだ。
「おお、リャノン殿も居たか!」
「あら、ラセツちゃんも来てたのね」
「呼び方も相変わらずだな」
自分よりも倍以上の体格の、しかも鬼族に対してちゃん付けで名前を呼ぶのは彼女らしい話し方だ。訂正を求めても二言目には「ラセツちゃん」となるから、彼ももうこれ以上苦言を呈する事はない。
それに、事態が事態だ。談笑に花を咲かせている場合ではない事くらい、ここにいる全員が理解していた。だからリャノンも挨拶も早々に打ち切ると、口を一文字に結ぶ。
「エレオノーラちゃん、ラセツちゃん、来てくれたのはとても有難いけれど……事態は想定よりも深刻よ」
「深刻って、でも外に居る人間はもう攻撃をしてこないでしょ」
顔を顰めながらエレオノーラがそう指摘した。ニナに渡した首飾りの魔法でもう襲ってくるはずの人間はいないはずだ。
「ええ、確かに人間からの脅威は何とか耐え切ったわ。けれど、人間が残した爪痕は想像以上に深かった」
「……どういう事」
今一つ話が前に進まない。何か躊躇っている様にも見えるリャノンの語り方に、エレオノーラは苛立ちよりも不安が募っていく。
嫌な予感が、山積していく。
「ニナに、何かあったの……?」
だから敢えてエレオノーラは単刀直入にそう訊いた。はぐらかされない為に、リャノンから放たれる言葉がどんなものであろうと受け入れるという確固たる自信を表すべくして、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめる。
はあ、とリャノンが一息吐く。とても重いその息を吐き切って、逸らしそうになりそうな昔馴染みの友────エレオノーラと視線を合わせた。吸い込まれそうな碧眼に映り込む自分は、何とも言い難い表情をしていた。
しかし言わねばならないだろう。
「────ニナちゃんは、あと三日で死ぬ事になる」
胸を深く穿たれたニナは、リャノンの惜しまぬ努力によって報われた。だが傷は癒えても毒は消えない。この場合、毒とは所謂人間の魔力な訳だが────ともかく、ニナの身体が毒に蝕まれている事には変わりない。そしてそれが全身に行き渡り、彼女の命を奪うまでの時間はそこまで余裕はなかった。
三日。
外見上ではどんなに無傷に近い姿まで回復させようとも、人間の魔力だけを吸い出す方法などリャノンが知るはずもない。不幸中の幸いにほんの些細な、けれどこれまでで一番重大な不幸が混じってしまっていた。そしてそれを解消する手段がない現状においてオリガが自分の姉の、ましてエレオノーラの愛娘の一人の危篤状態を語るなど、出来るはずもない。
あまりにその言葉は重過ぎる。
だからリャノンがこれまでの経緯を説明する役を買って出た訳なのだが────やはりそれでも重過ぎた。計り知れない悔恨の念が声音に投影されるのを感じながら、リャノンはここに到着したばかりの友人ら────エレオノーラとラセツに『吸血族の城』で起こった全てを話した。
「……」
ひんやりとした寝室の中で、少し前までは喧騒と轟音の鳴り響いていた場所とは思えない程の変わり振りに慣れない気持ちを抑える。
寝室。
場所を変える事に別段気持ちの変化がある訳ではもちろんない。しかし、ここにはニナが居る。横になり、穏やかな表情で眠りについている妖精族の長女の姿は、まるで人形の様であった。
まるで死んでいるみたいに。
「……所謂仮死状態にあるわ。恐らくだけれど、ニナちゃんが自分にそういう魔法を掛けたのだと思う」
事の経緯を説明し終えたリャノンは、ニナの隣に座るエレオノーラに向かってそう言った。
「人間の魔力の侵攻を防ぐ為に、きっとこの子なりの最後の手段を使った訳ね」
リャノンの予想した反応とはしかし、ほぼ反対にエレオノーラは返答した。目を細めてニナの額に手を当てると、ほんの少し感じる体温にまだこの子は生きているのだと実感する事で、エレオノーラはまだ正気でいられた。
「人間の魔力、いわば毒を浄化する方法はないのか?」
ラセツの問いにリャノンはしばらくの沈黙の後、「一応」と口を開く。
「一応あるわ。けれど、それが出来るのは竜族だけみたいなのよ」
そう言うと、リャノンは近くに立っていたナハトに視線を移した。彼女は半歩前に出ると、背を向けているエレオノーラは力強く、
「私は竜族のナハトと言います。私には出来ませんが、ニナさんの毒は長であるヴィルム様が治せるはずです!」
と言った。
「それは良いんだが……竜族の元まで行けるのか?」
「そ、それは……」
ラセツの問いもさることながら、現在のナハトの片翼はほぼ使い物にならない。それこそニナの様に、見た目だけが綺麗なままではあるが、今すぐに飛び立てる訳ではないのだ。
だからこその窮地。
ほぼ手詰まり。
「……ナハト、だっけ。ありがとう」
「え?」
ニナから手を離したエレオノーラが振り返ると、ナハトの目の前に立ち僅かに微笑んだ。そんな彼女の反応にナハトは戸惑った。
てっきり責められるかと思ったのだ。曲がりなりにも共に旅をしてきたはずなのにも関わらず、何一つとして守りきれない事を、エレオノーラから言われるのではないかと。
しかし当人はそう心配していたナハトの思惑とは反対に、「ありがとう」と呟いたのだ。か細く、震えている事から、きっと泣き出したくなりそうなはずなのに。毅然と立ち振る舞うエレオノーラは、その佇まいを崩す事なく、
「大丈夫よ」
と胸を張った。彼女が「大丈夫」と発言したのは、見栄を張った訳ではなかった。大丈夫なのだという自信があるからこその発言な訳だ。
「大丈夫って、でもどうやって竜族の所へ行くつもりなの?」
皆が感じていた疑問を、代表してリャノンが口にした。思いの外感情的にならないエレオノーラに安心しつつも、やはり状況は改善されていない。
その場にいた全員を、エレオノーラはゆっくりと見渡した。
ラセツ、リャノン、メアリー、ナハト、オリガ、ニナ────そして、ここには居ないカズヤを思い浮かべながら、エレオノーラは名一杯の得意げな表情で言った。
「言っておくけれど、私は妖精族よ。雲を貫く木を育てるなんて、容易いわ」
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