ゴジュウロク 治癒

「えっと、それでどうやって採血をするんですか?」

 リャノンの付き人────付き魔物?────のメアリーによって縄を解いてもらったカズヤがぐぐ、と背を伸ばしながら聞く。人間との協力関係にあった時は確か切り傷を、と言っていたが、同じ様にすれば良いのだろうか。

「ああ、それについては問題ないわ」

 ナイフがない事に心配していたカズヤとは裏腹に、リャノンがそう言うとゆったりとした歩調でこちらに近付く。赤いドレスの裾から覗かせる脚についドキ、としてしまいそうになる胸を押さえる。

 思えば、魔女とは違う妖艶さがリャノンにはある。魔女は何というか、全てを飲み込みそうな毒々しさがあったのに対して、リャノンは神々しさがある。跪いて頭を地面に付けたくなる様なカリスマ性を感じさせる。

「私達は吸血する魔物よ? 本来は」

 と、リャノンがそう言う頃にはカズヤの目の前に立っていた。平均より少し高いくらいのカズヤの身長を優に超えている。近くに来るとクラクラと目眩を起こしそうな甘い香りが周囲を包んでいて、まるで酔ってでもいるかの様な感覚に陥りそうになる。

「それじゃあ、いただきます」

 囁くリャノンが徐にカズヤの首筋を噛む。彼女の八重歯が深く優しく刺さり、カズヤは貧血気味になった頭の中で合点がいった。

 ああそうか、確かにこれは「吸血族」だな。

 こく、こく、と首筋の血液がゆったりとリャノンの喉を下っていくのが間近だからこそ分かる。背徳的だと感じたけれど、そもそも血を吸っているのは魔物だし、吸われているのも人間ですらないから、そもそも人道に則した行為ではないのだから、この表現は正しくないのだろう。

 ならば一体何なのだ。考えても仕様がない事に思考を委ねながら、カズヤはしばしの間、そんなぼんやりとする意識の中でリャノンに血を与えるのだった。



「ふう」

 とても長い時間に感じたが、実際は二分程度の吸血行為を終えて、リャノンがカズヤの首筋から離れる。そっと噛まれた場所に手を伸ばすが、特に出血もしていない事から、もしかしたら彼女らの唾液には何か特別な成分でも含まれているのかもしれない。まあ、いちいちそんな事まで気にはしないから聞きもしないのだけれど。

 別に乱れてもいないワイシャツの襟を何となく直してから、そういえば、まだメアリーが血を吸っていないなと思ったカズヤがふと顔を上げる。

「っ!?」

 上げて言葉を失った。こちらに近付いていたメアリーが、あろうことかリャノンと唇を重ねていたのだ。二人の唇の間から僅かに見える赤い液体から、吸血したカズヤの血液を口移ししているのだと推測出来るが、いかんせんそれを目の当たりにして冷静でいられるはずもなく。

「んっ……くっ……」

 と、メアリーから漏れ出る吐息に耳を塞ぎたくなる衝動に駆られながらも、慌ててカズヤは視線を落とす。リャノンだけがカズヤの首筋に歯を立てて、何故メアリーは駄目なのか。わざわざ口移しで補給させる意図は……。

 ぶつけようのない戸惑いを下らない疑問に変換させながら、しばらくカズヤは二人の行為が終わるのを待った。というか、今すぐに出て行きたい気持ちでいっぱいなのだが、仮にも捕縛されていた身の上で、部屋から出るのはどうなんだ、と変に律儀な彼が部屋から出ることは果たしてなく。

「っはぁ……急にごめんなさいね」

 一応人前である事を考慮しての謝罪なのだろうが、そもそも謝るくらいならいきなり口移しだなんてしないで欲しい。

「あ、いえ」

 そう思っていたカズヤだったけれど、彼の自己主張の低さ故に軽く流す。流してからようやく再び顔を上げた。リャノンの背後に居るメアリーの頬が赤らんでいて、まるで酒でも飲んだのかと思わされる程だった。

「……何か、直接飲めない理由でもあるんですか?」

 と、念の為カズヤが聞いた。何となく気まずいからこそ捻り出した質問に、リャノンは「ああ」と口元を拭うと、

「メアリーは潔癖症だから、昔から私が口移しして飲ませているのよ」

「……そうですか」

 吸血する魔物なのに潔癖症とはこれいかに。

 そもそも体内に他人の血液を流し込む事自体に抵抗はないのか? そんな事を考えながら、これ以上掘り下げる気もさらさらないカズヤが立ち上がる。

 二分くらいは血を吸われていたとは言え、やはり立ちくらみがする程度には血液を飲まれたらしく、カズヤはよろよろとおぼつかない足取りでリャノンに近付く。

「それじゃあリャノンさん。血を飲ませたから……って言うのは上からで申し訳ないんですけれど、ナハトの傷を治してくれませんか」

 交渉と表現していたから、恐らくはその辺の事情についてもニナやオリガが話しているだろう。そう考えたカズヤが少し痛む喉から声を絞り出して頭を下げる。

 元々、『吸血族の城』へ来たのはこれが理由だ。

 空を飛びたいと願い、それが人間によって潰された竜族の少女。穴の空いた彼女の美しい片翼を、リャノンが治せるかどうかについては定かではないものの、縋り付くしかない。

 魔法があるこの世界において、カズヤは全くの役立たずなのだから。

「ええ、もちろん。安心してちょうだい。すぐに飛べる様にはならないと思うけれど、血を頂いた恩は返させてもらうわ」

 下げた頭にぽん、と手を乗せたリャノンの包み込む様な優しい声音にカズヤは安堵した。



「カズヤさん!」

 別の部屋にいる、というリャノンの言葉はどうやら正しかったらしく、三人を迎えに部屋を出たメアリーがカズヤとリャノンの元へ戻るのに十分と掛からなかった。

 入ってきて早々に走り寄り飛び込んできたニナを受け止めて、カズヤは彼女の頭を撫でる。

「カズヤさん大丈夫ですか?」

 まるで人質でも取られていたみたいな言い方に、カズヤは苦笑しつつも「大丈夫だよ」と答えるとニナは涙まじりに嬉しがる。

 すぐにオリガとナハトも駆け寄る。さすがに飛び込みこそしなかったものの、それでも二人も二人なりに心配はしていた様で、安心した表情をしながら胸を撫で下ろしていた。

「ちょっとニナちゃん。「大丈夫ですか」は無いんじゃないからしら?」

 椅子に腰掛けていたリャノンが別段傷付いてもなさそうにニナへ申し立てる。

「だってあんなに「カズヤさんは敵じゃない!」って言ったのに、全然信じてくれなかったじゃないですか!」

「そりゃあ疑いもするでしょうに……」

 喧嘩というよりかはからかっているのだろうと判断したカズヤは仲裁に入らず、ナハトに視線を移した。不安そうに瞳が揺れていて、表情もどこか曇っている。そんな彼女を安心させるべく、カズヤは微笑みながら言う。

「リャノンさんがナハトの翼の傷を治してくれるそうだ。これでまた、空が飛べる様になるよ」

「カズヤさん……ありがとうございます」

 ナハトの不安の混じった笑みを眺めながら、カズヤは一つの達成感で胸がいっぱいになる。

 死ぬ事でしか戦えない人形が、誰かの役に立てたという達成感に。



「それじゃあナハトちゃん、汚れたベッドの上で悪いのだけれど、背中を上にして横になってくれるかしら」

「はい」

 シン、と静まり返った夜、ナハトとリャノンは部屋に二人になる。カズヤ、ニナ、オリガ、そしてメアリーは現在別の部屋で待機している。汚れた、とリャノンは言っていたけれど、やけに綺麗に整えられたベッドの端にナハトが腰を落ち着ける。

「ああ、その服は脱いでちょうだい」

「え?」

 と、リャノンの言葉に首を傾げたナハトだったが、すぐに自分が裸ではない事に気が付く。

 そうだ、今私は彼から貰った服を羽織っているんだった。

 ここに来る道中、ボタンの付け方を教わっていたナハトは、言われるがままに上から外していく。一つ目、二つ目、三つ目に差し掛かってからナハトの手がピタリと止まる。外し方を忘れた訳ではなく、このまま脱ぐのが何だか怖くなったのだ。

 このシャツを脱いで、そしたら喪失感で頭がおかしくなってしまうのではないか、と。不毛な思慮であるのは分かっているつもりだけれど、それでも脱ごうという気持ちが憚れる。

「……」

 『大地の裂け目』の奥底で出会った時のカズヤから貰った服を、一日も欠かさず着続けたが故に、汗で少し臭うワイシャツの袖をギュ、と握る。何故こんなにも脱ぐ事に躊躇っているのだろう。羞恥心があれば、そもそも最初に彼と会った時、裸で彼の前には立ってなどいない。

 怖いのだ。

 彼が遠くに行ってしまう気がして、怖いのだ。

 ナハトは自分自身に芽生えつつある感情に、鈍感ながらも気付き始める。だが、それが一体どんな感情なのかを理解出来ない彼女にとって、胸中を渦巻くその感情がただひたすらに不安感を募らせるばかりだった。

「……大丈夫よ」

 何を思ったのか、ボタンに手を掛けて静止していたナハトの肩にそっと手を置いたリャノンが穏やかな口調であやす様に言う。仄かな甘い香りが鼻腔を擽り、混乱していた頭を少しずつ落ち着けていく。

「きっとまた、飛べる様になるわ」

「……はい。お願いします」

 そうだ。成長しなければならない。

 彼が自身の悩みから立ち上がった様に、私もまたトラウマを克服しなくてはいけないのだ。

 失敗した時の恐怖感をグッと堪えて、ナハトは再びボタンを外し始めた。するりとワイシャツを脱ぐと、それを前に持っていき抱える様にしながらベッドにうつ伏せになる。

 彼と約束したんだ。

 一緒に空を跳飛ぼうと。

「それじゃあ、始めるわよ」

 背中に付けられた大きな痣にそっと指を下ろしながら、リャノンが言った。触れられるだけでも、ピリピリとした鋭い痛みが走ってくるけれど、ナハトは声を上げはしなかった。ただジッと、カズヤのワイシャツを抱き締める。

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