ゴジュウゴ 吸血族

「ん……」

 カズヤが目を覚ました時、ほんのりと首筋に痛みが広がっていた。身体全体が少し気怠く、手足がロープで縛られている事に気が付く。試しに力を入れてみるけれど、充血しない程度には固く縛られており抜け出せそうもない。ポケットにしまってあったはずの銃と弾丸、そして水魔法の紙も無くなっている。

 なるほど、とカズヤは一度落ち着く事にした。

 もとより落ち着いてはいるし、なるほどと思ったところで大して状況は変わらないからほんの気分の入れ替えみたいなものだった。

 ともかく、周囲を見渡してみるが、どうやらここは建物の内部らしい。所々が崩れていて空が剥き出しになっている事を鑑みるに、人が住める様な環境でないのは確かと言える。

 目の前には長テーブルが置いてあり、カズヤはその端に座らされている。まるでこれから誰かが来て会食でも催されるかの様ではあったけれど、生憎料理どころかナイフやフォークすらないから、そういう訳でもないのだろう。

 一見してここがどこなのか混乱しそうになるが、カズヤにはその心当たりがあった。

 『吸血族の城』だ。

 そもそも、こうやって縛られる前、最後の記憶の中では、カズヤはニナ、オリガ、ナハトと共にその城の目の前までやって来ていたのだ。だから、ここは『吸血族の城』だと考えるのが妥当だし、誰が自分を拘束したのかもある程度の予想は付いている。

「あら、起きたのね」

 と、そこまで考えていたカズヤに向けて、まるで歌ってでもいるみたいに美しい透き通った声が掛けられる。パ、と視線を上げると、そこには二人の人物が立っていた。

 片方は頭を少し下げ、前方に居る人物より半歩程後ろで立っている────メイド、だろうか。黒と白を基調としたロングスカートのメイド服を身に纏い、黒い髪を後ろで結い上げている。

 だが、カズヤに声を掛けたのはそちらではないだろう。問題は彼女の前方に佇むもう一人の人物だ。

 丁度、穴の空いた天井から漏れ出た月の光が、彼女を照らす天然のスポットライトと化し、それがより一層美しさを醸し出している。

 真っ赤のドレスを着用している女性は、長く赤黒い髪をかき上げながら椅子に────カズヤと反対側の席に────腰を下ろす。

「……貴女が、吸血族ですか」

 と、分かりきった質問をカズヤはした。

 だから女性は笑ったのだろう。とても上品に、お嬢様みたくお手本の様に笑い、言った。

「初めまして、私の名前はリャノン・ヘクテリアール。誇らしき最後の、吸血族よ」




「ああ、それでこっちはメアリー。メアリー・オーリエ。この子も吸血族で、幼い頃から私に付いているメイドよ」

「……」

 メアリー・オーリエと紹介されたメイドは声を発する事なく深々とお辞儀をする。リャノン、と名乗った吸血族に視線を移したカズヤはなるたけ感情を抑えて聞く。

「僕と一緒に居た三人は、無事なんでしょうね」

「そんなに心配しなくても大丈夫よ。あの子達は別室で待機してもらっているわ」

「そうですか」

 ほ、と取り敢えず安堵する。流石に彼女らに手を出す程、このリャノンという吸血族に敵意がある訳でもなさそうだ。

「……僕の名前はカズヤと言います」

「聞いているわ。妖精族のニナちゃんからね」

 どうやらニナ達とは対話済みらしい。わざわざこうやって分断しているという事は、リャノンが問題視しているのはカズヤの様だ。

 それも無理からぬ。死んでも生まれ返るという力を持っていたとしても、生きていればただの人間にしか見えないのだから。つまり、自分がニナ達を脅している人間と判断して、この部屋に隔離したのだろう、とカズヤは考える。

「ああ、大丈夫よ。貴方が私達魔物の敵でない事は、ニナちゃん達から聞いているわ」

 しかし、そんなカズヤの思考を見抜いてか、リャノンが先回りして答えた。

「……そこまで聞いていて、どうしてここに?」

「ちょっと、貴方と交渉をしたいのよ」

 交渉、と聞いてカズヤは一瞬眉を顰めた。そもそもここに来た理由はナハトの傷を治してもらう為だ。もしもそれをリャノンが見越して表現したのだとすれば、一体どんな見返りを求めるのだろうか。

 不安にすら感じていたカズヤではあったけれど、別段拒否する理由もないので、

「僕に出来る事なら」

 と、二つ返事ならぬ一つ返事でリャノンとの対話に臨んだ。

「ありがとう……と言っても、交渉だなんて厳かな物じゃあないけれど。適切に言うなら、お願い、かしらね」

「お願いですか? まあ、拘束されている時点で僕は話を聞かざるを得ないんですけれど」

「それもすぐに外して上げるわ。貴方が私のお願いに頷いても首を振っても」

 随分と下からのお願いだ。

 これでは拘束する意味すら全くの皆無な気もするけれど。まあ、リャノンにとって、ここでもしも自分が乱心して一戦交えようなんて考えないとも限らないだろう。

 そんな事は絶対にあり得ないが。

「じゃあお願いの本題に入るわ。カズヤちゃん」

 まさか自分がちゃん付けされるとは微塵も思わなかったカズヤはそれでも目を丸める事はしなかった。人の呼び方にいちいち反応を示していては「ロボット」と言われていた元の世界でのあだ名に、それこそ疲れる程激怒していたからだ。

 だが、結局彼は目を丸める事になった。リャノンのお願いとやらに。

「血を────分けてはくれないかしら」



 吸血鬼、という伝説上の生き物ならカズヤも知っている。女性の血を飲んだり、十字架やニンニクが苦手だったり、と。そもそも「吸血族」とまで呼称されている彼女らに対して、その生態がまるっきり分からないとは言え、カズヤはそれでもリャノンのお願いに目を丸めた。

「血、て血液ですか?」

 と、馬鹿馬鹿しい質問までする有様だ。

「そう、血液よ」

「いや、それは別に構わないですけれど……何で血が欲しいのかくらいは聞かせてもらっても良いですか?」

 カズヤにとって、血液なんていくらでも貰って下さい、と言いたくはなるが、その気持ちをグッと堪えて質問した。

「吸血族はね、血を魔力に変換する力があるのよ」

「血を魔力に、ですか」

 想像しづらいが、食べた物が栄養として吸収されるみたいなものだろうか、とカズヤは自分なりに解釈を入れつつ頷く。

 リャノンもリャノンで、そのお願いをした理由を隠す気は毛頭ないらしく、カズヤの頷きを見てから続けた。

「私達吸血族は、魔法戦争が始まる前────正確には魔女が人間に魔力と魔法を与える前ね。ある人間の国と吸血族は協力関係にあったのよ」

 協力関係と聞いて、カズヤは内心で驚いた。彼の知っている魔物は、妖精族にしろ鬼族にしろ、人間に狩られる恐怖に苛まれていたからだ。だからこそ、吸血族が人間と協力しているというのは、少し信じ難かった。

「人間は吸血族に血を与える代わりに、吸血族はその国を守る。ああ、と言っても人間を何人生贄にしろとかそういうものじゃあないわよ? 方法は知らないけれど、例えば指先に切り傷を入れて瓶や樽に詰めてもらうって感じ」

 なるほど、あくまでも人間として生死に関わらない程度に付けた傷から出た血を貰っていたということか。

「魔法戦争が始まる前、って事は……」

「そう、吸血族と人間の関係は決裂したわ」

 最後まで言いづらかったカズヤとは対照的に、リャノンは臆面なく言った。

「分かるでしょう? 人間が求めていたのは魔法であって、吸血族ではないのよ。当時は銃や剣で戦っていた彼らにとって、魔法はまさしく夢の様な力だった」

「魔法を与えられた人間は、吸血族に血を与える必要が無くなったと判断した、ですか」

「ええ、そうよ」

 吐きたくなる様な話だ。利害関係ではあったと言え、それまでは持ち合わせていなかった力を得た途端に手の平を返す当時の人間に、カズヤは沸々と怒りが込み上げる。

「結局人間から追われる立場になった私達吸血族の数は少しずつ減っていった。今残っているのは、私とメアリーだけよ」

 それで最後、と表現したのか。

 隠れて生きてきた妖精族と鬼族とは違い、人間と共に過ごしていた吸血族が、結果的に絶滅の危機に瀕しているとは、一体何の冗談だろうか。

 あまりに悲劇的な顛末を聞いたカズヤは、吸血族の事の経緯から話題を逸らす。いや、本筋に話を戻した。

「でも、血ならメアリーさんの、あるいは自分の血を飲むんじゃ駄目なんですか?」

 血が欲しいと言っているくらいなのだから、そんな事は不可能なのだと分かってはいるけれど、それでも念の為に確認する。

 果たしてリャノンは首を振ると、

「それは出来ないの。魔物の血を────魔力を持った生き物の血を吸っても魔力には変換出来ないのよ」

 と言う。黒い瞳に翳りが入り、哀愁を漂わせながらも神々しいリャノンは続けた。

「魔力って言うのは……何て言うのかしら、血や肉に宿っている物なのよ。妖精族には妖精族の、鬼族には鬼族特有の魔力があるわ。それを飲んだところで、得られるのは別の性質を持った魔力であって、変換する事は不可能なのよ」

 恐らくこの感覚は、カズヤには分からないものだろう。魔力と共に生きてきた魔物にとって、言わば固有の魔力を貰うのは異物感に苛まれるのかもしれない。

 だから、何も魔力を持たない、生き物ですらない弾丸には魔力が込められるのだろう。

「一応、ベレニアス王国に行って交渉はしたのよ」

「ベレニアス王国にですか!?」

 ベレニアス王国と言えば、魔法戦争を勝ち越して生き残った唯一の人間国家だ。

「ええ、十年程前かしら。ほんの少しでも良いから、血を分けて欲しいって……まあ、交渉する前に追い払われたのだけれど」

「……」

 まあ、そうだろう。

 カズヤが出会ってきた人間は総じて魔物に対して見下す風があった。家畜以下とすら思っているかもしれないが────そんな人間が、吸血族の申し出に快く頷いてくれるとは到底考えられない。

「まあ、奇跡的に交渉が上手く行ったとしても、意味はなかったでしょうけれど」

「……魔女が人間に魔力を与えたからですか」

「そうよ」

 リャノンは頷く。そうか、魔力を持った生き物の血を飲んでも意味がないのなら、確かに今現存している人間でも意味はないのだろう。

「でも、無意味と分かっていても、縋り付きたくなるくらい、私達には後がないのよ」

「後がないって……魔物は飲まず食わずでも魔力があれば生きていけるんじゃないんですか? それに、魔力は自動で回復するものたって、聞きましたよ」

 確か道中で聞いた事がある。健康の維持は魔力によって自動的になされるのだと。ならば、魔力に変換こそ出来ずとも、最低限の魔力さえあれば問題はないはずだ。

「それがそうもいかないのよ」

 と、リャノンは首を振った。とても深刻そうに溜め息を吐きながら、組んでいた脚を組み直すとテーブルの上に手を乗せる。

「例えば妖精族のニナちゃんやオリガちゃん、それと竜族のナハトちゃん」

 ナハトを竜族として堂々と言ったのは、恐らくはカズヤが気を失っている時に聞いたのだろう。

「十あった魔力を全部使ったとしても、あの子達なら一時間と掛からずに回復するでしょうね。けれど、吸血族はそうもいかない。私達だって、もちろん魔力回復はするけれど、それでも十の魔力を回復するのに一日以上は掛かる」

「つまり、遅い回復速度を補う為に、血が必要という訳ですか」

 魔力のある生物の血は飲めず、しかも魔力の回復スピードは桁違いに遅い。確かにこの問題点は死活問題に関わるだろう。

「このままでは、ただゆっくりと死ぬのを待つだけだった。最後の吸血族の死因が、魔力不足なんて笑えるでしょう? 私も笑いながら死のうと思っていたわ」

 リャノンが自虐的に笑いながらそう言った。恐らく、彼女は死ぬ事にはさほど抵抗が無いのかもしれない。いや、鈍感になっている、だろうか。

 楽観的なリャノンの態度に疑問が生じるカズヤではあったけれど、それが解消されるのはだいぶん後の話になる。

 ともかく、

「そうやって覚悟を決めていたら、貴方が現れた。不思議ね。貴方には魔力が全く感じられないのよ」

 現存する人間は漏れなく魔力が備わっている。地上の荒れ果てぶりから、野生の動物にもお目に掛かれない。完全に手詰まりだった彼女の前に、カズヤが現れた。

 カズヤ自身が持つ特性故に、それがリャノンらにとっては最たる奇跡とも言える。

「なるほど、確かに僕には魔力がありませんから、リャノンさん達にとっては好都合ですね。でも……」

 と、カズヤは言葉を切り考えた。

 必要なのは、魔力のない『生物』の血液だ。少し前、カズヤは胸に秘めたあらゆる不安をナハトに吐露した事がある。自分という存在が分からなくなり、それで『カズヤ』という自己の崩壊が起きている事を、彼はナハトに打ち明けた。

 その際に出た結論と言えば『生まれ返ったカズヤをナハトが思い続ける事で、自分はそれに拠り所を見出す』というものだった。

 端的に言えば、自分が『生物』か否かについてはまるで理解が及んでいないのだ。理解どころか、考えてすらいなかったかもしれない。

 人間なのか別のモノなのかとは考えてはいたけれど、そもそも今ここにいるカズヤを────水と土だけで生まれる『カズヤ』そのものを、果たして生き物と言えるのかどうか、彼には判断が出来なかった。

 自己性の乖離から脱したカズヤが、なら今度は生物か否かについて思考を巡らせて悩み苦しむのかと問われれば、そんな事は別にない。

 もうどうでも良い事だ。

 ナハトが自分を思ってくれている。それだけで十分だ。

 それは回答というより、逃避の延長線上にしかない気もするが、もちろんその事にすらカズヤは目を背けていた。

「……もちろん、僕は構いません。ですが、もしかしたら僕の血を飲んでも魔力が回復するかどうかは、保証出来ません」

 ぬか喜びさせてしまっては申し訳ないという気持ちからか、カズヤは念の為そう口にした。それから、

「僕が生き物なのかどうかは、僕にも分かりませんから」

 と、付け加える。さすがにその言葉には難色を示したのか、リャノンはコテンと首を傾げる。

 生き物かどうか分からないというのはどういう意味?

 そんか風に聞いてくるかと思っていたカズヤは、事前にその答えを用意する。用意して、それから答える準備が出来た時に彼女から発せられた言葉に、感情を殺したカズヤの目が再び丸くなるのだった。

「生き物かどうかなんて、重要な事かしら?」



「────え?」

 思わずそう呟いてしまう。あまりにも想定外の問いに、カズヤは豆鉄砲を喰らった鳩の如くポカンと口を開けた。

「まあ、もちろん何で魔力がないのか、とか、魔物でも人間でもないのなら貴方は何者? みたいな疑問は浮かぶけれど、それって大した話ではないでしょう? だって、貴方は貴方なのだから」

 呆けてしまう。毅然とした態度で、脚を組みながらお上からのお達しみたいにそう言われて、何故か跪きたくなる衝動に駆られる程だった。

 貴方は貴方なのだから。

 そうだ、どうして気付かなかったのだろう。いや、何度も気付いているではないか、とカズヤは自問自答する。今まで会ってきた人間は、カズヤを「化け物」や「人形」と揶揄していた。あの憎きマグナ・レガメイルに至っては、「生命に対する侮辱」とまで言う始末だ。

 そんな、カズヤを批判する人間ばかりの言葉に苛まれていたからこそ思い出せていなかったのかもしれない。

 エレオノーラも、ニナも、オリガも、ラセツやオババ────ナハトだって、カズヤの力を知ってもその態度を一変する事はなかった。エレオノーラは正確に言えば、最初こそ敵意はあったけれど、それでも最終的には『妖精族の森』に滞在するのを許してくれた。

 人間だから、魔物だから、とそう区分して物事を分別するのはあまり好きではないが、それでも魔物側は少なくともカズヤに嫌悪感を一切示さなかった。

 死んだカズヤと同様に、生まれたカズヤと接していた。

 その当たり前の彼女らの接し方に、当たり前として感じていたからこそ、たった今思い出したのだ。

 リャノンの何気ない一言をきっかけに。

「……」

「あら、えっと、大丈夫かしら? もしかして腕とか鬱血し掛かってる? メアリー、そこらへん調整してるわよね?」

 などと、心配する素振りまで見せるのだから、本当に今までの苦悩していた自分が馬鹿馬鹿しく思える。

 生物か否か、人間かそうでないか。

 そんな違いなど、魔物達にとってさほどの差異もないのだろう。

 俯いたカズヤは、これまで押し殺していた感情がなだれ込みそうになるのを抑える。何回か深呼吸を繰り返して、それからパ、とリャノンの方を見た。

 こんなの、交渉でも何でもない。

 こんな自分に接してくれる魔物に対する答えなんて、たかが知れているのだから。

「……僕の血で、二人の魔力が回復するなら、どうぞいくらでも僕の血を飲んで下さい」

 心からの答えを、カズヤは口にしたのだった。

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