ゴジュウサン 心臓
「それじゃあローラン、私はもう行くわ」
崩れた闘技場の中央で、ローランと魔女は向かい合っていた。もう魔女の目からは涙が流れていない。長い間泣き腫らした事で赤くなった頬を僅かに拭うと、ローランから少し離れた。
「また……またいつでも来て良いんですよ」
「……ありがとう」
娘を愛する。
その提案に、サロウネは頷いた。しかし、すぐにそう踏み切れる程、彼女の心はまだ安定していなかった。シン・インカレッツィオの死をまだ完全には受け入れられなかったのだ。
少し時間が欲しい。何もかもを忘れたくなるくらい、一人になって落ち着く為の時間が、サロウネには必要だった。
もちろんローランはそれに同意した。改心して更生して、それからまた会えるのならそれ程嬉しい事はないだろう。だから去ろうとする母をローランは止めなかった。
「シン、少しずつ、貴方の死を受け入れるわ。けれど、やっぱり人の事は好きになれないかもしれない。私にとって、貴方とローラン以外に信頼出来る人なんていないもの」
『……それでも、構わないさ。今すぐにだなんて我儘は言わない。ゆっくりと時間を掛けると言い。その為に、生きているのだから』
「ええ……」
剣と触れ合っても傷付くだけだ。サロウネは『砕剣カルテナ』を抱き締めこそしなかったけれど、それでも手を伸ばした。光の中に入って、その温もりが彼とそっくりだったから、また泣きそうになる。
「それじゃあローラン、元気でね」
「はい……」
ふわり、とサロウネの身体が浮遊する。『瞬間移動魔法』を使わなかったのはきっと、名残惜しかったからだろう。でも永遠の別れではない。またいつかきっと会えるのだ。短い顔合わせから少しずつ時間を伸ばして、またあの日の様に一緒に暮らす事だって……望み続ければあるのだから、もう涙を流す必要なんてない。
後ろ髪引かれる想いで背を向けたサロウネの姿が少しずつ小さくなっていく。出来るだけゆっくりと時間を掛けて、娘との距離を開けていく。
「母様!」
ローランが堪らずに叫んだけれど、サロウネは振り返らなかった。ここで振り返れば、きっとまた抱き締めたくなってしまう。
それに、とサロウネは思う。
言いたい事があるのなら、次に会った時聞けば良いのだ。
次に。
結果として、魔女との戦闘においての最もな貢献者は『砕剣カルテナ』だったという事で落ち着いた。死闘を繰り広げこそしたものの、死人が出る事なくて本当に良かった、とマコトとヒヨリは安堵したのだった。
元の世界へ返すという申し出を断って。
「けれど、本当に良かったんですか?」
荒地にも似た場所と化した闘技場にある岩の上に座っていたマコトとヒヨリに、ローランは振り向きつつそう聞いた。
当然の疑問だろう。彼らはローランにとって被害者でしかない。てっきり元の世界に帰りたいとばかり思っていたのだけれど、二人はお互いの顔を合わせると、こちらに向き言う。
「ずっと前に二人で話していたんです。私達がこうやって居られるのは、ベレニアス王国の人達のお陰だから、魔女を倒したらその恩返しをしようって」
それはマコトのエゴによって得た魔法使いとしての教養から来た反省ではあった。しかし、今となっては魔女を倒す理由が明確になくなってしまったのだ。だなら、全て終わったらこの国の人達にお返しをしよう。
マコトとヒヨリはそう考えていた。
「俺達は今日まで、親友の為にこの力を使っていました。けれど、明日からはベレニアス王国の為に使いたいんです。だから帰らなくても良い」
そうハッキリと口にした。
もちろん、元の世界に未練が無いのかと問われればそう言い切れる訳では無い。目を閉じれば両親の顔や友人の顔が脳裏を過る。
しかし、とマコトは思う。
それらの人よりも一番記憶に残っているのは、やはりカズヤだった。
ベレニアス王国の人達を守りたい、彼らの為に戦いたい。その気持ちに嘘偽りなどない。マコトは常に正直に生きてきた自覚がある。だが、ベレニアスの人達と同等に、どうしてもカズヤの事を思い出してしまう。
「……それに、元の世界に帰ったら、アイツの墓参りが出来なくなる」
この世界で死んだ親友カズヤを残したまま、果たして自分とヒヨリはすごすごと帰って良いのだろうか。それは彼に対する侮辱になるのではとマコトは考えていた。
「……そうですか。マコト君が居るなら、この国は安泰ですね!」
「ちょっとローランさん、私は!」
「あ、ヒヨリさんももちろん居てくれてありがたいですよ」
「何か私だけ雑っ」
ローランとヒヨリの遣り取りに、つい微笑ましくなって────というか、これまで張り詰めていた空気が一気に解けてマコトは笑った。
「ああ、そうだ」
ローランはパン、と両手の平を合わせるとゴソゴソと何かを入れた袋を差し出した。誰にだろうと思っていると、彼女は「はい」と言いながらマコトに袋を手渡す。
「え、これは?」
「先ほど母様が貴方にって。「きっと役に立つ」と仰っていましたけれど……」
魔女とは完全に対立しなくなったとは言え、やはり彼女は親友を殺したという点において、マコトは魔女を許せてはいない。だからそんな魔女が自分に何かを贈るのは意外どころか想定すらしていなかった。
目を丸めながらその袋を手に持つ。ずっしりとした重みを感じていて、微かにだが温かい。いや、熱いと言った方が適切だろう。それだけで、マコトはこの袋の口を開くのがとても怖くなった。
「……」
だが、開かなくてはいけない気がした。呼び寄せられる様に、まるでマコトに語り掛けているみたいに、マコトには思えた。徐に口を開き、その中に手を入れる。ぬるりとした感触が指先に伝わり気持ち悪さで顔を歪めてしまう。
何というか……爬虫類の肌を撫でているかの様な……。
「……っ!? これは……!」
がし、と掴み取り出してマコトは目を見開いた。それは拳一つ分の大きさの────心臓だった。
赤黒く、どす黒く、浮き出た血管からはまるで生命の鼓動を感じず、なのに脈打っているみたくマコトの手の平に収まっている。思わずその心臓を、悲鳴を上げて手放してしまいたくかる衝動を懸命に抑えつつ、マコトはその心臓を目の前まで持ってくる。
「マコト、これって……」
「ああ」
ヒヨリの言葉を最後まで聞かずして、マコトは頷いた。見ていた彼女もきっと、これが何なのかを暗に理解していたからだろう。絶句してしまう二人は、今持っている心臓が確かな現実であるのかにすら疑問を抱いてしまう。
だが間違いない。
きっと、自分が思っているのと、ヒヨリが思っている心当たりは合致している。
「カズヤの、心臓だ……」
マコトは呟く。呟いてから少しずつその実感がじんわりと身体の隅々まで行き届く。指先の神経から髪の毛の先まで、あるいは足の爪の先まで伝わっていく。
魔女との戦いが終わってからもう六日は過ぎた。負傷したセツナの腕に包帯を巻き直しながら、ヒヨリは彼に言う。
「にしても、凄いねセツナ君。あんなに激しい戦いしたのに」
「別に、ボクは普通より頑丈なだけっスよ」
感心しながら彼の身体を見ると、壁に衝突したとは思えない程に軽傷だ。正直生きているのが不思議なくらいだけれど、セツナは別段それに対して興味なさそうに答える。
頑丈という表現の仕方に、ヒヨリは特別怪訝には思わなかったけれど、それでも不思議ではあった。それをセツナがきちんと言わないのは、何かしらの意図があるのは明確だが、それ以上聞くのは野暮だろうとヒヨリは詮索しようとはしなかった。
「セツナ君は知ってたの?」
「何をっスか?」
「ローランさんが魔女の娘だって事」
ローランが魔女を「母様」と呼んでいながらも、そう言えばセツナはまるで気にしている風でもなければ驚いてもいなかった。
「そりゃあ知ってるっスよ。ボクも最初聞いた時は吃驚したっスけど……まあ、あの人は魔法戦争が始まってから今日までこの国を守り続けた魔法使いっスからねぇ」
英雄みたいな人っスよ。
と、セツナは惜し気もなくそう明かした。なるほど、英雄か。父がそうであった様に、娘のローランも────彼女自身に意図こそなかっただろうけれど────英雄として慕われているのは、何だか救われた気分にもなる。
「つーか、本当に良いんスか? 『砕剣カルテナ』……に宿っていたシン・インカレッツィオの申し出を断って」
信じられない、とでも言わんばかりにセツナが口にした。申し出、と言うのは「元の世界へ返す」という申し出だ。
セツナにとって、それを断るのは恐らく相当理解出来ない事だろう。
「まあ、最初はね、帰ろうと思ってたんだ」
最初と言っても、本当に最初の頃だ。まだこの世界へ召喚されてから間もない時期に、ヒヨリとマコトは元の世界に帰る為に魔法を習ったと言っても良い。マコトにとっての目的は、それに限った事ではないのだろうけれど。少なくとも、彼女は帰る為に魔法を習得していた。
「でも、マコトも言っていた様に、この国の人達って皆優しいじゃない? そんな人達の為に戦った事って、そういえば無いなぁ、って」
「だからってせっかく帰るチャンスだったのに」
セツナの言う事は最もだろう。一応、『砕剣カルテナ』は「いつでも言ってくれれば返す」と付け加えてはくれている。つまり、マコトとヒヨリは心変わりしたらいつだって帰れる訳だが、今のところその心変わりが起きるとは思っていない。
「良いの。魔女は倒したって言うより、説得してもらったって言う方が正しいけれど……それでも何となく、カズヤがもう良いよって言ってくれた気がしたから、満足してる」
結局、防護魔法を壊すきっかけを作ったのはローランだったし、魔女を説得したのはシン・インカレッツィオの意思だったから、人間と魔女の対立は魔女の身内で解決した様なものだ。その点において、マコトもヒヨリも全くと言って良いほど活躍はしていない。
「それに、マコトも言っていたでしょ? カズヤを残して帰るなんて、無責任だよやっぱり」
彼の亡骸を置いてここを去るのは、不本意極まりない。それ以前に、彼がこの世界で死んでしまったという事実を、ヒヨリ達はこの世界で覚えていたかったのだ。
だから、帰る訳にはいかない。
「ふうん。人間っていうのは、不思議なもんスね」
「でしょ? 後は、セツナ君が危なっかしいっていうのもあるかな」
「また子供扱い!」
「あははは」
拗ねるセツナを、笑いながら宥めているヒヨリは密かに今ここには居ないマコトの事を思い浮かべた。彼は現在、ローランと二人で大事な話をしているらしいけれど、それが何なのかは分からなかった。
だが、想像は付く。
あの心臓の事だろう。
「この六日間、か……魔女から受け取った心臓を私なりに調べてみました」
母様、と言いそうになったローランはやや顔を紅潮させてコホン、と仕切り直す。ここは、ベレニアス王国の中央にある城の一角に設けられた研究室だ。呼び出されたマコトは、椅子に座り前方で立っているローランが言った。
「まず、この心臓は生きています」
「生きている?」
心臓単体で生きているという表現にも、そもそも心臓そのものに生死の概念がある事自体、マコトにとっては疑問だらけではあったが、取り敢えず彼女の言葉に耳を傾けた。
「まあ、生きているというより活動している、ですかね。この心臓は不定期に鼓動を打つんですよ」
四角いガラスの箱に入れられた心臓を指差しながら、ローランは続ける。
「そしてその鼓動を打つ時、この心臓は周囲から魔力を吸収しているんです」
「吸収、ですか? そんな事、可能なんですか?」
首を傾げたマコトにローランは魔法使いらしく答えた。
「五十点の質問ですねマコト君。その疑問が浮かぶのは当然ですが、愚問ですよ」
愚問なのに五十点も貰えているのは奇跡に近い気が、と言いたくもなるけれど、余計な会話は省きたいマコトは沈黙を貫いた。
「か……魔女ですら、魔力を吸収するなんて芸当、出来やしません。恐らくですが、特性として心臓そのものに根付いているのでしょう。しかも、吸収された魔力を使って魔法を発動させているのですから、なおさら驚きです」
「心臓が、魔法を使う? 詠唱や魔法陣も無しに、心臓が魔法を発動させるなんて、考えられないんですけれど」
「それは私も考えられないですよ。しかし、物には意思が宿る、というのは『砕剣カルテナ』で証明されています。つまり」
この心臓には意思が宿っており、その意思が何らかの作用を働かせて魔法を発動させている。
「じゃあ、カズヤの心臓には、カズヤの意思が宿っているって訳ですか?」
「まあ、そう解釈するのが妥当でしょう。しかし、魔法を発動させる手段や方法は分かりましたが、何故魔法を使うのかについてはさっぱりです」
問題として取り上げた「目的」に、マコトも眉を潜めた。カズヤの意思が、一体何を望み魔法を使っているのか……まるで見当もつかない。
カズヤの一番の親友だという自負はあれど、彼が何を考えているかなんて、自分にだって分かりかねる。それが何だか歯痒くて、マコトは堪らず口を開くと言った。
「魔女は、事情を知っているんですよね?」
この心臓に対して「役に立つ」とまで言ったのだ。何の事情も状況も把握せずに渡しただなんて、ほぼ有り得ないと言っても良いだろう。
「恐らくは知っているでしょうね。ですが、もうこの国には居ないですから、聞こうにも……」
心臓を渡された時点で既に魔女は去っていた為、聞くことは出来ずにいる。魔法だけが発展していったこの国の技術力はお世辞にも高いとは言えないから、電話などという文明の利器も存在しない。
「魔女はどこに住んでいるんですか?」
ならば直接会いに行く他ないだろう。そう思っての質問だったのだが、ローランは苦虫を噛み潰したような表情をした。
「それが、私にも皆目見当が付かないんですよ。住む場所を転々としていましたから」
となると、本人に聞くのはだいぶん厳しいという事だ。マコトは椅子に深く腰掛けて熟考した。
死んだ親友の意思。
役に立つ。
そして心臓。
「……はあ」
ガラス張りの箱の中にある心臓に向けて、マコトは溜め息を吐いた。意思が宿っているのなら、『砕剣カルテナ』の時のように心臓が話し掛けてくる展開が当然な気がするのに……。
「……まだ何の役に立つのか想像も出来ないです。なので、しばらくもう少し考えさせてください」
結局、そんなありきたりな返答しか出来なかった。役に立つ、などと魔女が言わなければ、マコトは今すぐに目の前の心臓をカズヤの墓に埋めてあげたかった。それでカズヤが生き返るかもしれない、などと思いもしないけれど、やはり故人の心臓を抜いたままというのは気が引ける。
引けるけれど、安易に埋めるのは違う。
マコトが立ち上がろうとすると、薄暗い研究室の扉が勢いよく開かれる。
「ローラン隊長!」
「まあまあ、そんなに慌ててどうしたんですか?」
何やら焦っている風な騎士に対し、ローランはやや間延びした口調で近付く。
「ヴラド・カノッサ様がお戻りになられました!」
「ほ、本当ですか!」
その名前を聞いて、ローランは歓喜に打ち震える。『砕剣の聖騎士団』団長のヴラド・カノッサが帰ってきたのだ。
「そ、それで、大変申し上げにくいのですが……」
「? 何ですか?」
どうやら、慌てていたのは別の理由らしい。騎士は少し気まずそうに、それでも僅かな深呼吸の後に言う。
「ヴラド・カノッサ様いわく、魔法部隊副隊長マグナ・レガメイル様の死亡を、確認したとの事です」
この時、誰がマグナ・レガメイルを殺したのかなんて、ローランどころか、マコトにも想像が及ばなかった。
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