ゴ 妖精族

「私は最初、ニナから人間がこの森に入ってきた事を知ってアンタを殺そうとした」

 森を歩きながらエレオノーラは言った。殺気を放ちながら言うものだから、僕は大人しくついて行くしかない。

 揺れる金髪を何となく眺めながら彼女の言葉に耳を傾ける。

「この森には私の魔法で入れなくなっている。だから人間も魔獣も立ち入る事は絶対に出来ない。それなのにアンタは森に入ってきた」

「殺そうとしたって……」

 随分物騒な物言いだけれど、先程の小屋の中での人間に対する嫌悪感から納得がいってしまう。エレオノーラは淡々と口を開く。前を向いたままの彼女の表情は見えないが、少し震えている様にも感じる。

「殺したわ。何度もね」

「は?」

「殺したって言ったのよ。何回も何回も剣で突き刺した。けどアンタは死ななかった。いや、正確には死んだけど生き返ったって言うべきかしら」

「生き返った?」

 何だろう。魔法がある世界なら、その表現はつまり僕が不死性を持つ魔法を無意識に使ったという事か? だが、エレオノーラの口調には少し疑問が生じる。

「うーん……生き返ったっていうのもちょっと違うわね。少し言葉の選別に難しさがあるわね。でもまあ、最も近い言い方をするのなら、『生まれ直した』かしら」

 生まれ直す。よく分からない言い方だ。生き返るともやはり違うし、この二つの言葉には近似さはあまりない。

「もうすぐよ」

 しかし僕の疑問には答えず、エレオノーラはそう言うと歩調を緩めた。少しずつ森が開けていく。木漏れ日に照らされ始めるエレオノーラはとても綺麗で、あの魔女と呼称する女とも違う美しさがあった。

「ここよ」

 それは湖だった。透明で、魚が一匹見当たらないまるでエレオノーラの様に透き通った湖。僕は唖然とした。湖の美しさに見惚れていたのではない。その凄惨な現場に口を開けたのだ。

 死体。死体。死体。幾重にもなった死体が湖を囲って倒れている。ある者は腕を切られ、ある者は腹を抉られ、ある者は首から上がない。

 そしてそれは、全て僕だった。

 カズヤだった。その全ての死体が僕だ。余す事なくカズヤだった。

「うっ……」

 僕は吐き気が込み上げた口を閉じる。生臭い血の匂いと、溢れる屍肉が視界を犯していく。駄目だ、耐えられない。僕は膝から崩れ落ちると、芝生の上で荒々しく息を吐く。

「もう一度聞かせて」

 エレオノーラが隣で言う。僕と同じ景色を見ているはずなのに、全くそれを気にしていないみたいだ。額から汗が噴き出て芝生の上に落ちる。ポタポタ、と。過呼吸気味の僕に、なおもエレオノーラは訊いた。

「アンタは何者なの」



「どう、落ち着いた?」

「ああ、ごめん……」

 僕は側にあった気に背中を預けて座ると、深呼吸をした。未だに目の前に広がる無数の僕の死体にはやはり気持ち悪さがあるが、幾分かは慣れた。慣れてやっぱり僕は自分に嫌気が差した。

 歯を食いしばり、現状の把握に努めた。無数の死体、殺されても生まれる僕。そして魔法のあるこの異世界。

「やっぱり……。僕はそういう魔法を使ったんじゃないかな」

「それは——ないわね」

 エレオノーラは首を振って否定した。正直否定されるとは微塵も思っていなかったから、僕は目を丸めてしまう。どうして、と訊くと彼女は自らの唇を指で当てる。

「人間が魔法を使うには前提がある。口と、陣。詠唱する為の口が必要。もしくは、魔法陣を描かなくちゃいけない。けれどアンタは詠唱もしていなかったし、陣だって描いてなかった。……何よりアンタには魔力がない」

「魔力」

 ポツリと呟いた。またこの単語だ。そういえばあの魔女も言っていた。僕には魔力が無いと、そう言っていた。

「個人差はあれど、魔法を使うには必ず魔力が伴う。魔力を消費して魔法が放たれる。だからゼロの魔力でイチ以上の魔法を扱えるはずがない。けれどアンタには魔力がない。だから魔法は絶対に使えない」

「なら!」

 ならどうやってこの現象に答えが出せるんだ! 僕は自分でもびっくりするくらい大声を出してしまう。瞼が震える。瞳がブレる。ああ、嫌だ。どうしてこんな八つ当たりの様な事をしてしまうんだ僕は。

「っ……ごめん」

 僕は俯くと謝った。

「ま、その口振りからアンタも自分の力に理解が及んでないみたいだし、仕方ないか。それとももう一回体験したら分かるかも?」

「は?」

 僕が顔を上げると、エレオノーラは胸元から服の中に手を突っ込み、一冊の本を取り出した。装丁があまり丁寧には施されていない本だ。使い込まれていてボロボロになった本。

 表紙にも背表紙にも文字が書かれていない本を開き、あるページでその手が止まったエレオノーラが可憐な口を開き、唱えた。

「ルート・イルマ・レイビュール」

「!?」

 パァッ、と本が金色に輝いた。とても柔らかいそれに僕は目を見開いた。そして次の瞬間、本から生えてきた一本の剣が目の前に現れる。

 これが、魔法。初めて見た。いや、屋上のアレを含めるならば二回目か。だが魔法というモノを認識してから見ると新鮮さが溢れ出てくる。

「オリガとの修練に付き合うくらいだから、ちょっと久しぶりね」

 そう言うとシンプルな見た目の剣を軽々と振り回す。ヒュンヒュン、と風を切る音が妙に心地良い。少し懐かしそうにそれを眺めるエレオノーラはやがて僕の方を一瞥した。

「さっきも言ったでしょう。もう一回体験したら分かるかもしれない。私が殺したアンタは漏れなく気絶したままだった。こうやって目が覚めている時だったら、もしかしたら何かに気付くかもしれないわ」

「いや、ちょっと待っ——」

 僕はそこまで聞いて彼女の真意を察知した。殺す気だ。殺される。そう直感して僕は急いで起き上がろうとするが、それよりも速くエレオノーラは行動していた。




 一度、ヒヨリが道場で真剣を扱った姿を見た事がある。道着に身を包んでいる彼女の前には佇んでいる竹が三本、均等の間隔で置かれているそれがあった。

 彼女が刀を振るうと、三本の竹は見る間もなく真っ二つになっていた。カラン、と水の含まれていない音が鳴り響く。僕とマコトは圧倒された。ヒヨリの剣捌きがとても美しかったから。

 どうしてこんな過去を思い出したのかと訊かれれば、それはきっと走馬灯だからだろうと答えるしかない。そして、エレオノーラの剣捌きがヒヨリのそれを彷彿とさせるからだろう。

 美しく、そして神々しい。僕は見惚れてしまった。だから反応が鈍った。ズルリと足を滑らせてしまい、体勢が崩れる。けれどエレオノーラの剣身は既に僕の腕に食い込んでいる。

 ギチギチと制服を斬り、肉を押し除けて僕の腕を斬り裂いてしまう。腕がポトンとまるで一匹の生物の様に痙攣しながら地面に落ちる間、しかし剣の勢いは落ちる事なく僕の胴体へと侵入する。

 痛い。

 痛くて辛い。五臓六腑が悲鳴を上げている。骨が砕ける音が身体の中で響き渡る。まるでスローモーションみたく進む時間がとてももどかしく感じる。

「っがァ!」

 ようやく僕は後ろに倒れ込んだ。それによって剣撃から逃れ、僕は痛む脇腹を抑える。ぬるぬるとした血液の触感に気持ち悪さが込み上げてくる。

 意識も遠くなってしまう。これはいけない。あの時魔女に胸を貫通された時と同じ気分だ。死ぬ、死ぬ、死ぬ。

「ハァっ、ハァっ、ハァっ……!」

 息が吸い込めない。吸い込もうとすると肺がそれを拒絶する。僕は芝生を握り痛みに耐えようとしたが、抗えない。

 片目がもう機能していないのか、僕は痙攣する瞼を必死に開ける。目の前に広がる屍に僕はゾッとした。このままだと僕もああなってしまう。それは嫌だ。

「全く、案外としぶといわね」

 頭上からエレオノーラの声が聞こえる。鋭敏になっている三半規管が彼女の声を脳に届ける。凄く冷たくて、とても気怠そうなのはきっと僕が言葉通りしぶとく生きているからだろう。

 何だよそれ。剣をマジシャンの如く出現させたかと思ったら、華麗な剣撃で僕を殺そうとするなんて、突然過ぎる。

 いや、彼女からすればこの工程は幾度となく行われた作業なのだろう。目の前に広がる僕を見ればすぐに分かる事だ。

「っダい……い、たい……!」

「あーもう、サクッと痛み感じる前にやりたかったんだけど、ごめん久しぶりだったから」

 場違いな謝罪に僕はツッコミすらままならない。身体を引き摺って何故か湖を目指そうとする僕に、エレオノーラは剣先を下に向ける。

 そしてそれを僕の背中へ突き立てた。

「カハッ——」

 激痛が走る。じんわりと温かくなる背中に、まるでお風呂に入っているみたいだと僕は彼女にも劣らない場違いな連想をしてしまう。

 視界がボヤける。もう駄目だ。

 もう——。



「ハッ——!?」

 僕は目を開いた。そして次に斬られた左腕を触った。ある。僕の左腕はきちんとあるべき場所に備わっていて、触られているという感覚もある。

 僕は安堵した。そしてここがまだ湖である事も気が付いた。隣には剣を肩の上で軽くトントン、と小突いているエレオノーラが居た。

「ここは……ったぁ」

 身体を持ち上げると、左腕と背中が鋭く痛んだ。けれど出血してはいない。腕もやっぱりくっ付いているし、動いている。

 僕が痛みに悶えているとエレオノーラはしゃがんで空いている片方の手で一本の木を示した。そこには僕が居た。左腕の失われた、背中から止めどなく血が溢れているカズヤが居た。死んでいる。

「どう? 何か分かった?」

「分かったって……これやる為にわざわざ殺したのかよ」

 突飛過ぎてもう怒りを通り越して呆れてしまう。剣を地面に突き刺したエレオノーラが今度は肩を竦める。どうやら質問に答えて欲しかったみたいだ。

 けれど彼女の意には申し訳ないがお力添えが出来そうにはない。

「はぁ」

 僕が首を振る様を見てエレオノーラが盛大に溜め息を漏らした。人を殺しておいてその反応は何だか変な気がする。

 人。人なのだろうか、僕は。

「まぁ、こういう事情でアンタを殺すのは諦めたって訳。魔法が使えないんじゃあ私の相手にすらならないし。無害認定してあげる」

「はは、そりゃどーも」

 何だか嫌味ったらしい。まぁ確かに、何度も殺されてはいる状況で、こうやって表現するのもおかしな感じだけれど、生かしておいてもらえるのはありがたい。

 ふぅ、まずはもっと僕自身の力を知る必要がありそうだ。そう考えて、僕はまた自分に嫌気が差す。あんなに痛くて怖かったはずなのに、どうしてこんな冷静なんだ、僕は。

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