第10話これが嫉妬というもの?

 淑女にあるまじきことだった。

 せめて「きゃー」とか「いやー」だったら格好が着いたかもしれないに。


 私の生まれ持った山猿のような性分は、訓練によりだいぶ隠せるようになってきたつもりだった。

 カール王子の婚約者になってから、それまでのヤンチャさに蓋をして、一貴族の娘という緩い身分から、国の外側を任され、外交もする身になるのだと、気を引き締めて生活してきたつもりだ。


 それが、「うあー」って。


 急いで口を手で覆って隠そうとするが、既に発せられた場にそぐわない大声が、逆に場を沈黙させた。


 皆が私を見ている。

 それはそれは生あたたかい目で……。

 

 傷ついたのとも違う、思い至らない事が目の前で起きて、単純に驚いたのだ。

 漏れてしまったカール王子への独占欲は、もう取り返しがつかないほど衆目に晒された。


 私はなんと愚かだったのだろう。

 傲慢なことに、婚約者となってから、長いこと経つが、カール王子が誰かに奪われることなんて考えたこともなかった。


 ジリジリと胸を炙られるような苦さ、そうか、これが嫉妬というもの……?


 カール王子は何事も無かったかのように、護衛にアメリアさんを引渡してから私に近づいてくる。

「テレジア……?」

 すごく綺麗なのに獲物に喰らいつくような物騒な笑顔で、私の顔に触れるように指を伸ばす。

 頬に手をやれば、一筋涙が零れていた。


「だって、今の……いいえ、違うの。違うわっ!」

 慌てて拭うのに、今度はもう片方の眦から涙が溢れてしまう。

 もう、何から何まで恥ずかしくて、逃げ出したい。


 にやにやと溢れそうになる笑みを噛み殺して、澄ましたカール王子が涙を拭う。

「僕の唇は全てテレジアの物だったのに……そうだね、こんな汚らわしい唇、削ぎ落としてしまおうか」

 必死でぶんぶんと首を振る。

「い、今のは避けられなかったのは分かってるわ。お願いだから唇を削ぎ落とすなんて猟奇的な事言い出さないでちょうだい」

 うっかりすると、本当にやりかねない。

 私は止めようとしても涙が流れ出してしまうことに慌ててしまって、頭の中までぐちゃぐちゃになってしまった。

 こんな所で取り乱すのは嫌なのに。


 カール王子が嬉嬉として頬に伝う涙をその唇で舐めとろうと身を屈めるので、慌ててハンカチを取り出し拭おうとする。

 しかし、その手も拘束され身動きも出来ない。


「テレジア、僕はその涙の理由が知りたいんだ」


 せめてぐちゃぐちゃの顔くらい拭かせて欲しいのに。

「カール、もう、無理。離して……」

 こんな気持ちを意識してしまったらもう後戻りが出来ない。

 ここにいるのは、淑女の仮面も剥がれ落ちてズタボロの、ただのテレジアだ。


「ははは、いつものテレジアだ。ねえ、どうして泣いてるの?」

 泣き顔を覗き込むなんて、なんてデリカシーのない人なの。

「なんでもないわよっ! お昼が食べられなくて、お腹すいただけだわ」

 そうだった、揚げ芋はもう既に冷え切ってしまっただろう。

「だって、君、小娘にしてやられたくらいじゃ泣いたりしないじゃないか」

 カール王子は私に対する完全なる略奪者で、カール王子が別の何かから奪われるような存在では無い。

 私の中で、それは信仰にも似た真実であった。

 嫉妬なんて気持ちが入り込む隙間がないほど、カール王子は私を侵食して、満たしていた。

 

 急に呼吸の仕方を忘れてしまったみたい。


「だってっ……こんなのひどい、カールが……」

 もう子供のように泣くしかなかった。

 私を過酷な状況に貶めたのはカール自身なのに、やけに優しく私のハンカチを奪い、やっと涙を拭ってくれた。


「テレジア、僕……割と君に好かれてたんだね」

 泣いている私を抱きしめて、アメリアさんの護送や連絡やらを護衛に指示していく。

「だいたい、私が大人しく婚約者におさまっていた事を、なんだと思っていらっしゃったの?」

 色々と手遅れではあるが、取り繕ってつんと顎を突き出す。

「国と僕の人身御供になってくれていたのかと」

「……自覚はあったのですね」

「それだけだったら悲しいけど」

 

 確かにそう見える場面は多かったとは思う。

 しかし、それだけでは無いから私はカールから逃げもせずに婚約者として立ち続けて来たのだ。

「それで、テレジアはどうして泣いてるの? それはなんの涙なの?」


 まだ聞くのか、それを。


「……」


 とりあえずそっぽを向く。

「そんなにこの茶番に駆り出されるのが嫌だった? それとも、泣くくらい僕のことが嫌い?」


 アメリアさんが命を落とさない為に必要な茶番だった。

 私がカールに命乞いをしなければ、おそらくアメリアさんは一族と共に捕らえられ、酷い罰をうけるだろう。

「私があなたを嫌いだったら……こんなに長い間、お父様が黙っているはずがありません」

「それはそうなんだけど、宰相閣下なら血の涙を流して国のために耐えてる可能性もあるかな、って」

「父様はあなたが思う以上に、私に甘いのよ」

 父は、十年前、あの騒ぎで婚約が決まった時、本当にそれでいいのか、私に再三確認をしてきた。

 父が本気で動けば、婚約を破棄することは容易だったと思う。

 八歳の私は、いろいろな自由と引き換えに、カールと離れない事を選んだ。

 それはとても個人的な理由で、できればこんな所で皆に知られてしまう事無く、心にしまっておきたいことだった。


「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ作戦が効いたかな」

「いいえ、カールを選んだのは私よ。誰でも無い私自身なの」

 カールはとても満ち足りた顔で頷いた。


「ねえ、テレジア、キスしても?」

 欲に塗れた目で抱き寄せられる。

 はっとして、カールの胸に手をつき距離を取る。

「絶対に嫌よ! 他の女が触れたのを見ていた後になんて、無理!」

 一生懸命首をふる。

「テレジア、僕……ホントに君に好かれてたんだね」

「当たり前でしょ」

「今、僕は君が愛おしくて堪らないんだけど」

 再び抱き込もうと力を入れられるのを、もう一度押し返す。


「……く……を、…………して」


「え?」

「はやく唇を清めてらっしゃいと申し上げたのよ! 貴方が本当に私の物だと嘯くのなら、二度と他の女に触れさせたりしないで!」

「うわっ、ちょ、ちょっと待ってて!」

 

 慌てて、手洗い場へ走って行くカールを見送って、場が和んだようで、さり気なく差し出されたお茶をありがたく頂いた。


 ここの生徒達が国を担う次世代なら、この国はしばらく安泰ね。

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