第8話  カラフル

音沢 おと

第8話  カラフル

                               音沢 おと


 

「駒さん、良ちゃんが戻ってきたんだって?」

 二軒先の金物屋のヤスさんが、ガラスの引き戸を開けるなり、番台に座っている駒太郎に言った。あいかわらず、木枠の軋んだ引き戸が、がらがらと音を立てる。

 駒太郎の家は三代続く銭湯、この古い商店街でも、かなり古い。

「いやー、それが」

 駒太郎は番台に座り、ヤスさんの入浴料を受け取りながら、首を傾けた。

「なんだい、なんだい。よかったじゃないか。駒さん、良ちゃんが東京の大学行って、向こうで就職したらどうしよう、とずいぶん悩んでいたじゃないか」

「そりゃ、そうなんだけどな」

 今年六十になる駒太郎の、妻は四年前に心筋梗塞で亡くなった。早すぎた。良太は、一人息子で、映像を学びたい、専門の大学は東京しかない、そう言って出て行った。妻はその二か月後、亡くなった。

 駒太郎には思うところもあるが、良太との関係がぎくしゃくしているのは、事実だ。

 だが、その映像の勉強とやらを終えて、大学を卒業して、昨日良太が戻って来た。

「よかったじゃないか」

 ヤスさんが、脱衣所で茶色のトレーナーを脱いでいるのが、駒太郎の目に入る。

 古い銭湯の造りで、番台からは男女それぞれの脱衣所が見えるのだが、さすがに、このご時世、女性の方には大きな仕切りをつけた。

 プライバシーの侵害だと、商店街の婆さんたちに押し切られて、薄利の銭湯にしては出費だった。まあ、それも商店街の大工の玄さんに頼んだから、かなりおまけしてもらえたが。

 ヤスさんが、早々と裸になって、浴場に向かう。そちらの引き戸は、湿っているから入口ほどの軋んだ音はしなかった。

 と思ったら、別の戸の音がした。自宅から、銭湯に入るための引き戸だった。

「親父」

 髪をピンクに染めた良太が、銭湯に入って来た。

「なんだ?」

 駒太郎は、心で大きくため息をつき、良太を見る。

 こんな色に人は髪を染められるのか、と感心もする。どういう手順でやれば、黒がピンクになるのだ? なんで、ピンク?

 お前は、昔、テレビでなんとかレンジャーの、青色のやつが好きだったよな。で、確か、ピンクは毎シリーズ、女の子だった。

 今時、男色、女色なんて考えは流行らないんだろうけど、駒太郎にはまるで良太が理解できない。

「なあ、親父、ここで、ちょいと撮影させてもらえないか?」

「撮影ってなんだ?」

「カメラで写すんだよ」

「そのくらいは分かる」

「じゃあ、話は早い。営業が終わった後でいいからさ。十時だろ。待ってるから」

 良太は言い、ピンクの髪をかきあげて、また自宅に上がっていった。


 商店街は、最近、静かになってきている。通りには昼間もシャッターが閉まっている店が増えた。

 ヤスさんの金物屋は、再来月の六月に、店じまいをするらしい。大工の玄さんも、一代限りだ。惣菜屋のお春婆さんも、最近じゃあ、毎日店を開くわけでもない。体調の良いときに出来る分だけ、なんて仕事をしている。魚屋も八百屋も、週三の開店で、まるでパート仕事みたいになってしまった。

 唯一、毎日続けているのは、まだ若手のパン屋と駒太郎の銭湯だった。古い商店街には、風呂のない昔ながらの家もある。内風呂があっても、年寄りには、風呂洗いや沸かしたりするのが面倒らしい。一人暮らしならば、銭湯は社交場にもなる。

 駒太郎は、毎日来る年寄りが急に来なくなったら、様子を見に行く。

 ここを潰したら、どうなるんだろう、と思う。


「ああ、ここじゃね?」

 軋んだ引き戸が開けられる。

 駒太郎の目の前に、赤や黄、青、緑の色とりどりの髪の毛が見えた。

 皆、黒いTシャツに、大き目のバッグを持っていた。

 思わず、口を開けた駒太郎に、背後から声がした。

「なんじゃい? 珍しい客も来るんだなあ」

 風呂上りのヤスさんが、薄くなった頭をタオルで拭い、冷蔵庫から牛乳を取り出して、「ほい、百円」とお金を番台に置いた。

「お客さん?」

 駒太郎がようやく声を出すと、何やら、二階からどたどたと激しい足音がして、自宅と銭湯に通じる戸が開いた。

「おう、来たか? ここ、すぐに分かった?」

 ピンクの髪をわさわさと搔きあげながら、良太が笑った。

「良、めっちゃ昭和してるじゃん」

 赤い髪の男が、銭湯を見回して言った。

「これ、なんて言うんだっけ、お祖父ちゃんちで見た映画にあった。ほらほら、銭湯の受付嬢が座るカウンターみたいなやつ」

 緑色の髪の女の子が、きゃはきゃは笑いながら、駒太郎の方を指さす。

「番台だよ。面白いだろ」

 良太は、少し得意そうに言った。

「わー、なんか古語みたい。古典の教科書とかにありそう。番台、いとをかし。みたいな」

 駒太郎は、色とりどりの頭を見ていた。

 心の中のため息が、かなり大きくなる。

「ま、とりあえず、部屋に上がれよ」

 良太は銭湯の横から案内した。

 二階へ通じる階段を上がっていく音がした。

「良ちゃんが、ピンクになって帰ってきたと、商店街ではもっぱらの噂だったが」

 ヤスさんは、牛乳をぐいっと飲み干した。

 ふうー、と息をはいて、ヤスさんは続ける。

「いやー、初めて、あんな色の髪の集団みたよー」

「はあ」

 駒太郎は、妻を思い出す。

 妻よ、長生きしなくてよかったぞ。あのとき、死ななくても、今、心筋梗塞になる。

「まあ、駒さん、我々には、分からんこともあるさ。あんたんちは、まだ、それでも良ちゃん、戻ってきたんだろ」

「さあ、どういうつもりなんだか。風呂の薪入れ一つもできん」

「これからだ」

「あんな、ピンクになっちまって」

 駒太郎の本音が漏れた。少し声が掠れた。それを隠そうと、あー、と声を上げて、頭をかいた。

「だけどよ、惣菜屋のお春婆さんも、髪の毛、紫だぜ」

 お春婆さんは、髪が綺麗に真っ白になってから、商店街の端の美容院で、どういうわけが紫に染めてしまった。年寄りには、時々、白髪を染める人がいるらしい。

「だけどさ」

 駒太郎は言葉を止めて、「いらっしゃい」と声を掛けた。

 軋んだ戸が開いて、紫のお春婆さんが、銭湯にやってきた。

「ほれ」

 と手には、売れ残った惣菜のパックが三つあった。


 銭湯の外に、終了の看板を出す。

 二階から、足音が聞こえてきた。駒太郎が見ると、戸から、赤青黄緑、そしてピンクの髪が出てきた。

 みな、サテン地の、てらてらした着物のような格好をしている。

 駒太郎が呆然としていると、良太が言った。

「ちょいと、今から、銭湯貸し切りにしてな」

 そう言うと、良太はカメラを構えだした。番台を背に凭れながら、緑の髪の女の子が斜めの表情を作る。すかさず、何枚もシャッターを切る。他のメンバーたちが、脱衣所の床に座り込み、着物っぽい衣裳の裾を直し、カメラを睨む。良太は撮り続けた。

 見ると、良太だけ、奇妙な衣装を着ていなかった。

 むしろ、良太は動きやすいような黒のTシャツだった。体を曲げてみたり、脱衣所の床に寝そべってみたりして、撮り続けた。

 駒太郎は、それを見ていた。シャッター音が、静かな銭湯の中に響いた。駒太郎のピンクの髪は、寝そべったりしているうちに、くしゃくしゃになった。それでも、他の赤や黄、緑、青の服を直したり、髪を綺麗に梳いてみたりして、写真を取り続けた。


「親父、これで終わりだ」

 駒太郎が脱衣所の椅子に座って、うたたねをしていると、良太が声を掛けた。

「また、明日の準備もあるんだろ」

 良太の後ろには、四色の髪たちが微笑んで、頭を下げていた。満足した、という顔だ。

「親父、この銭湯、レトロだろ。でさ、コスプレーヤーの撮影に使えないかと思ってさ。

結構、昭和レトロ、人気なんだよね。まして、古い銭湯なんて、なかなか撮影OKでないじゃん。この雰囲気、絶対いける。商店街の活性化になるかもよ。俺、撮影なら出来るし」

「はあ」

 駒太郎は、良太の言う言葉の意味があまり理解できない。

「じゃあ、二階で着替えて、解散だな。このあたりさ、店ないんだよな。悪いな」

「大丈夫です。面白かったです。なかなか、本物のレトロに会えないんで」

「そうですよー。何て言ったっけ。このカウンター」

 女の子がまた指を指す。

「番台」

 今度は、駒太郎が答える。

「そうそう。古典に出てくる言葉みたいなやつ。ここ、いい感じですよねー。本物って感じで」

 良太がうんうん、と頷き、言う。

「本物だしな。みんな、この商店街、古いけど、いわば、本物だよ。皆レトロだけど、本物。働いている人もレトロだけど、本物だし」

 良太は、駒太郎をちらりと見る。ピンクの髪の下に、少しはにかんだ笑みが浮かんでいる。

「しかし、少しお腹すきましたねー」

 赤い髪の腹がぐう、と鳴った。

「あ、チキン南蛮あるぞ。そこの惣菜屋のお春さんがくれたやつ」

 駒太郎が奥の自宅に入り、惣菜パックと皿と箸を持ってくる。

「よければ、食わんか? 若い人にはちょうどいい」

「わー、いいんですか?」

 緑の女の子が目を輝かせる。

「ああ。だけど、ビールとかはないがな。あ、そうだ、そこの冷蔵庫に、風呂あがり用の牛乳がある」

「あー、喉も乾いてた」

 赤髪も言う。良太が冷蔵庫から、牛乳を取り出す。

「えー、瓶なんですか? レトロ。写真撮って」

 牛乳瓶を持つ女の子を、良太が撮影する。

 惣菜パックと、小皿、箸を、脱衣所に新聞紙を広げて置いた。

 色とりどりの髪が、箸を伸ばす。

「なあ、親父、新たな商店街の活用、どうだ?」

 良太は、チキン南蛮を頬張りながら言う。

「コスプレーヤーの人口は、結構いるんだ」

 良太の言葉に、女の子も言う。

「あ、そうそう。この惣菜屋さんのお婆さんも、コスプレですよね? 来るとき見た。紫の綺麗な髪してた。なかなか、あんな風にうまく染まんないよー。いいサロン、この辺にあるのかな」

「商店街の端の美容院だよ」

 駒太郎が言う。お春婆さんの髪を思い出して、ほほ笑む。

「腕、いいんですねー」

 良太も嬉しそうに頷く。

「おう、食べたら、風呂入ってくか? まだ、今なら温かいぞ。広いしな」

 駒太郎が言い、色とりどりの五色の髪が、「はい」と返事をした。

                                                                         了

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第8話  カラフル 音沢 おと @otosawa7

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