第79話 大聖堂

 ――ネルリンガー領、シュテルネン・リヒト。

 辺りを警戒しながら、マリンダが小さな家に入った。


「……」

 物陰から、明かりの点いた部屋を確認する。


 リターナは口の中でぶつぶつと何かを唱えた。

 すると、何処からともなく、薄い煙と共に黒い鳥が現れ、リターナの腕に止まった。


「行きなさい」


 腕を上げると、黒い鳥は明かりの点いた窓へ飛んでいった。

 リターナは黒い鳥の目と耳を介し、部屋の様子を探る。


『申し訳ございません! 向こうには厄介な魔術師がおりましたので、私の力では……』

 足を組んで椅子に座る女に、マリンダは必死で頭を下げていた。


『……何でも言うことを聞くって大口叩いていたのは誰よ?』

『は、そ、それは……』


『私の見込み違いだったみたいね、ざーんねん』

『ヴィ、ヴィグールさま! な、何卒、お許しを……』


 ヴィグール……、そうか、ヴィグール・ネルリンガー。

 魔導技師の職能を持つ、ネルリンガー侯爵家の長女。

 なるほど、マリンダはヴィグールの子飼いだったわけね……。


『くどい! もういいわ……、あんたに任せた私のミスね』

『ヴィグールさま! もう一度、もう一度だけチャンスを……』


『散々あげたわよね?』

 ヴィグールは丸眼鏡を外し、はぁーっと息を吐きかけた後、ハンカチでレンズを拭いた。


『そ、そんな……』

『あんた、このあと私がどんな顔で父上に報告しなきゃならないと思ってんの?』

『……』

 マリンダは頭を下げたまま肩を震わせている。


『ま、あんたには、色々と協力してもらったし、命だけは助けてあげる。その代わり、二度と私の前に姿を見せないで』

『ヴィ、ヴィグール様……』


 ヴィグールはそのまま席を立ち、颯爽と身を翻すと部屋を後にした。


 窓から部屋を覗いていた黒い鳥が飛び立つ。

 リターナは街の暗闇へと消えた。


 *


 北部に広がるアンダーウッド領は、寒さの厳しい土地だった。

 毛皮や、酒、それに、領内にある多数のダンジョンから得られる希少な発掘品が、アンダーウッド領を支えていた。


 領地を治めるのは、アンダーウッド侯爵家。

 貴族では唯一の侯爵位を持つ女系一族、古くよりこの地に根ざしたアンダーウッド家は、一族固有の職能を持っていた。


 現当主、エリザベート・アンダーウッド、長女、フラム・アンダーウッド、次女、スティリア・アンダーウッド、そして、三女、アローナ・アンダーウッド。


 全員が『聖女』の職能を持つアンダーウッドの聖女達は、領民達から狂信的な支持を集めていた。


 領内にある、アンダーウッド大聖堂。

 アンダーウッド家は、他の領主達と違って城を持たない。

 その代わり、街の中心に建てられた巨大な大聖堂、それが彼女らの居城であった。


 聖堂内には、常に神聖な空気が満ち、毎日のように参拝する領民達が並ぶ。

 皆、聖女を信仰の対象とし、彼女らに救いを求める。


 実際、強力な癒しの能力を持つ聖女は、何の力も持たない領民からすれば、祈りを捧げても何もしてくれない神よりも、実際に手を差し伸べてくれる彼女らを崇めるというのは、ごく、自然の成り行きだろう。

 

 年老いた夫婦の順番が来た。

 祭壇の前へ、妻に肩を借りながら、老いた男はゆっくりと歩み出た。


 二人は目の前の若い聖女、アローナ・アンダーウッドの前で膝を付き、頭を下げた。


「お顔を上げてください。どうされましたか?」

 純白のローブに身を包んだアローナは、まさに聖女だった。

 涼しげで、整った顔立ちだが、冷たい感じはしない。

 むしろ親しみやすい雰囲気を纏っている。


「は、はい……、実は先日、猟をしていましたら、誤って足をやってしまいまして」


 老人はそう言って、足を見せた。

 足にはうっすらと血の滲んだ包帯が巻かれている。


「それは大変でしたね……」

「普通の傷ならいいんですが、傷口から瘴気が入ってしまったようでして、このままだと足が使えなくなってしまいます……、ワシが歩けなくなったら、妻を食わせる事ができません、どうか、聖女様のお力を……」

「聖女様、私からもお願いします、私に出来ることなら何でもいたしますので……」


 頭を下げる夫婦の肩に、そっと手を置くアローナ。


「そう畏まることはありません。私から貴方達に求める事はただひとつ――、アンダーウッド家への愛、それだけです」


 アローナは、おもむろに老人の足に手を翳した。


 ――治癒ヒール


 蒼く、神々しい光が、老人の足を包んだ。

 その光を見つめるだけで、体中から悪いものが抜けていくような、そんな心地よい気持ちになった。


「さぁ、どうですか、もう歩けるはずですよ」

 アローナが微笑むと、老人が恐る恐る立ち上がった。


「お……おおお! な、なんという事だ……奇跡だ!」

「あ、あんた、良かったねぇ……」


 夫婦はひしと抱き合い、

「聖女様、ありがとうございます! このご恩は一生忘れません!」と頭を床に擦り付けるようにして礼を言った。


「よいのです、貴方達の幸せは、アンダーウッド家の幸せなのですから……」

「「おおぉー……」」

 後ろで順番を待つ領民達から感嘆の息が漏れた。

 老夫婦達は涙を流しながら、大聖堂を後にする。


「では、次の方……」


 奇跡の順番を待つ列は、大聖堂の外まで連なっていた。

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