第71話 ネルリンガー侯爵家
――ネルリンガー領、城塞都市シュテルネン・リヒト。
透明な天井の向こうで、満天の星空が瞬いていた。
円形の部屋の中央には、足の長い椅子と、巨大な望遠鏡が置かれている。
それをぐるっと取り囲むように、壁一面に本棚が備え付けられていた。
椅子に座り、望遠鏡を覗く老いた男。
時折、その膝に乗せた古い書物のページをめくる音だけが、静まりかえった部屋の中で唯一の音を鳴らしていた。
ふいに、異音が混ざる。
「失礼致します、ルドニック様、皆様お集まりでごございます」
メイド服を着た美しい女が丁寧に頭を下げた。
「……うむ」
*
ネルリンガー城の各部屋には星の名前が付けられている。
ここ『キタルファ』の間は、ネルリンガー家の今後を決める際に使われる部屋だ。
キタルファとは、こうま座α星、『遙か遠くを見つめる瞳』という意味がある。
ルドニックが部屋に入るなり、二人の若い男女が円卓を立ち礼をする。
円卓から少し離れた場所には、頭を下げたままの女がいた。
円卓の上座に座ったルドニックが小さく手を向けると、二人は腰を下ろした。
「待たせたな、どうも星の動きが不穏だ……」
そう言って、ため息を吐くルドニック。
ルドニックは、賢者に次いで希少だと言われる『占星術師』の職能を授かった。
彼は幼い頃から星を読み、その動きから大局を掴むことで、幾度となくネルリンガー家を窮地から救ってきた。
だが、十三年前、自らが行った儀式の失敗により、自領に思わぬ因果の報いを抱えることになった。
儀式の舞台となった小さな村。
その村の一角に、今でも厳重に封印された扉がある。
――
儀式失敗の後、突如現れた異界への道。
漏れ出す瘴気、生息する魔物は現存するダンジョンの比では無く、一歩でも足を踏み入れようものなら、生きて帰れる保証はない。
現に調査に向かったネルリンガー家次男、ルータス・ネルリンガーは帰らぬ人となっていた。
「父上、何かの前兆でしょうか?」
嫡子であり、高位の魔導士でもあるマルハウトが訊ねた。
「
「お父様は賢者にこだわりすぎたのよ」
丸眼鏡を掛けた長女のヴィグールが、三つ編みに編んだオレンジ色の髪を触りながら言った。
「ヴィグール! 口を慎め!」
マルハウトが声を荒げた。
ルドニックはマルハウトを手で制し、
「よい、ヴィグールの言うことも一理ある。だが、過ぎた事は悔やんでも仕方あるまい。問題は例の森だ……」と老人とは思えぬ鋭い目を向けた。
「クロネ村……。物見の話では、ミスリル採掘所を開放していると言います、しかも一般の冒険者にも。一体、何を考えているのか……」
マルハウトが言うと、
「とっくに野に消えたと思っておった栗鼠族が、今頃現れるとはな……」とルドニックが呟く。
「どういう経緯かわかりませんが、リンデルハイム家の末男がレグルス皇帝から密命を受けているとの話もあります」
「それが本当なら、リンデルハイム家は王家反逆の罪により糾弾されて然るべき。末男追放も芝居だったという事になる……」
「どちらにせよ、詳しく調べた方が良いかと」
「その村について、面白い話があるわ」
ヴィグールはそう前置きすると、離れた場所に立っていた女に目配せをした。
「恐れながら、私はベルクカッツェ工房のマリンダと申します」
深く頭を下げるマリンダ。
「おぉ、どこかで見たと思ったが、お前はベスト魔導技師賞の者だな」
「覚えていただき、光栄でございます」
「で、その技師が何の話だ」ルドニックが嗄れ声で言う。
「はい、実は私の妹弟子がクロネ村に移り住んでいます」
「それがどうかしたか?」
「その者は、私の言うことなら何でも聞きます」
マリンダは自信に満ちた笑みを浮かべた。
しばらくの沈黙の後、マルハウトはルドニックの顔を窺い、
「ふむ……、まぁ、現時点で、他にこれといって良い案があるわけでもない。では、マリンダ、その者に村の情報を集めさせろ」と指示を出した。
「はっ、畏まりました」
「ヴィグール……、報告はお前の口からしろ」
「ええ、お父様」
ヴィグールは、丸眼鏡をくいっと持ち上げた。
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