第56話 貴族の面子
――真夜中のスパロウ城。
イグニスの部屋には明かりがついていた。
「お前が失敗するとはな」
「申し訳ございません」
書斎机に座る主に、サビクは深く頭を垂れた。
「良い、それよりもその女は何者だ?」
「はっ、恐らく私と同じ"陰"に生きる者かと」
イグニスは席を立ち、後ろの本棚から適当に本を手に取り開く。
「お前とどちらが上だ?」
「……五分と見ます」
「五分?」
イグニスは振り返り、サビクに目を向けた。
スパロウ家に絶対服従を誓うこの男が、自分に嘘を吐くとは思えない。
ならばその女は、スパロウ家が長い年月を経て作り上げた
だが、所詮は陰――、
立場の違いというものをわからせねばな。
イグニスはパタンと本を閉じた。
「ちょうど良い、リンデルハイムの末男を迎えにいくついでだ。私の犬を可愛がってくれた礼をせねばな……。三日後、出発する。用意をしておけ」
「はっ、
サビクが窓に目を向ける。
「どうした?」
窓から一羽の鳥が飛び去っていくのが見えた。
「鳥がどうかしたか?」
「……いえ、何でもございません、失礼しました」
「ふん、もう良い。さがれ」
イグニスが手を払う。
サビクは再び頭を垂れると、音も無く姿を消した。
*
モスカーナの街にある酒場で、一人酒を飲んでいたリターナの元に、一羽の鳥が舞い降りる。
鳥はリターナの腕に止まると姿を消した。
「うん? 何だ姉ちゃん、手品師か?」
酔った男が楽しそうに話しかけてくる。
「いえ、違うわ」
「何だよ、いま、パって消えたぞ? 出し惜しみか~?」
しゃっくりをしながら、近づこうとする男。
リターナは金を置いて席を立ち、街の暗闇へと消える。
「ひっひっひ! 振られたなぁ!」
「はーっはっは、ざまぁねぇ!」
「うるせぇ! ったく、お高くとまりやがってよぉ……」
男は席に戻り、またくだらない話で笑い始めた。
臙脂色のフードを目深に被り、一人裏道を歩くリターナ。
開いている店も無く、街灯の松明も裏道までは置かれていない。
暗闇の中で、手に提げた小さなランプが揺れていた。
「待て」
明かりが止まる。
リターナの背後から男が近づいてきた。
「フードを取れ」
有無を言わさぬ語気、森で会った密偵かとリターナは勘付く。
大人しくフードを取り、
「金ならないぞ」と答えた。
「……⁉」
男はリターナを見て大きく目を瞠る。
そこにあったのは、酒場でリターナに声を掛けてきた男の顔だった。
「何だ、俺の顔に何か付いてるか?」
「……人違いだ、許せ」
「ったく……」
リターナは踵を返し、また夜道を歩き始めた。
変化により変わっていたリターナの顔が、ゆっくりと元に戻っていく。
その背中を、呆然と男が見つめていた。
*
「あ、おっぱい姉さん」
「え、どこだ?」
「ほら、あそこ」
クロネが指さす方角から、リターナが歩いてくるのが見えた。
「本当だ、おーい! リターナ!」
俺は大きく手を振った。
近くまで来ると、リターナは臙脂色のフードを外し、軽く頭を振って髪を靡かせた。
「ただいま」
「おかえり、リターナ」
「お疲れー、おっぱい姉さん」
「ふふ、クロネちゃん? 皆の前では、その呼び方はやめてね」
優しく子供に言い聞かせるように言うと、クロネが面白くなかったのか「むぅ……」と唸った。
「もう、何処から見ても村、というか町ね」
リターナが辺りの建物を見回した。
「ああ、明日、正式に解放が決まったんだ」
「順調なようね」
「うん、採掘所もかなり噂になってる、皆一攫千金を狙うって息巻いてるみたいだよ」
俺がそう言うと、リターナがにっこり微笑んだ。
「そう、ところで……残念なお知らせは何処ですればいいかしら?」
「へ……?」
*
森の屋敷に戻った俺達は三人でテーブルを囲み、メイドさんに頼んだお茶が来るのを待った。
二人共落ち着いていて、そわそわしているのは俺だけだ。
残念なお知らせが何なのか、気になって仕方が無い……。
むしろ、クロネはなんで気にならないんだ⁉
隣で眠そうに欠伸をするクロネを見て、俺は小さくため息をついた。
「お茶が入りました」
「あぁ、ありがとう」
テーブルに紅茶が置かれ、いよいよかと俺は姿勢を正した。
「オホン! えーっと、それで……残念なお知らせっていうのは……」
リターナは静かにカップを手に取り、口を付けた。
そしてカップを置くと、やっと話し始めた。
「二日後、スパロウ伯がこの森に向かってモスカーナを出るわ」
「え⁉」
「スパロウ伯って貴族でしょ? 何でそんなお偉いさんが来るの?」
クロネがクッキーをかじりながら訊る。
「目的はクラインと私ね……」
「どういうこと?」
「スパロウ伯の部屋に使い魔を飛ばして聞いた話では、あの時、森で会った密偵はスパロウ伯の飼い犬だったの。犬を追い返されたスパロウ伯は、面白くなかったのかも知れない。クラインに関しては、恐らくリンデルハイムに売るつもりね」
「バカみたい、貴族ってホント意味不明だわ……、あ、クラインは別だからね?」
毒を吐いた後、クロネが慌ててフォローしてきた。
「いいっていいって、まぁ、貴族って特殊な社会だし、怒ったりするポイントが普通の人とは違うのかも。面子を異常に気にするしね」
「そういえば、クラインって四大貴族家に生まれた割には……普通よね?」
「そうね、確かに貴族ずれした感じも無いし……」
クロネとリターナの二人が不思議そうに俺を見てくる。
「うーん、リンデルハイムでは、15の成人の儀までに基礎教育を受けるんだけど、俺は兄さん達と違って、エミリアって言う魔導士が教育係だったんだ。それも関係あるのかな……?」
「へぇ~、可愛い人?」
クロネがニヤニヤしながら訊いてくる。
「ま、まあ、綺麗な人だったよ。でも、変な気持ちとかは無くて……、俺は純粋にエミリアの事を尊敬してた。彼女は高レベルの冒険者で、普段はダンジョンや遺跡に潜るような人だったよ」
「そんな人が、なぜリンデルハイム家に?」
「エミリアみたいな冒険者は結構居てね。あ、でも、父に認められた高レベルの冒険者だけだけどね。食客っていうのかな、そういう感じで一年くらい居たと思ったら急に居なくなったり、色んな人が居た。聞いた話では、情報収集の一環だったみたいだね。冒険者は何かと便利だって父が良く言っていたな」
「ふーん、じゃあ、そのエミリアさんが"初めて"の人なんだ……」
「誤解を招く言い方はやめろ! ……オホン! 本当にそういうのは無かったよ。エミリアは自由な人で、優秀な魔導士だったけど酒癖も悪かったし、酔うとすぐ殴ってくるし、何て言うか……問題の多い人だったなぁ」
「今、その人は?」
俺は小さく頭を振った。
「わからない、生きてるのか死んでるのか……。成人の儀を迎える前に居なくなったんだ。まあ、いま思えば最悪なところを見られなくて良かったかな……ははは」
「別にいいじゃない。あんたは、その『最悪』のお蔭で、そんな無茶苦茶な職能を授かったんだし、私も命拾いした。む、胸張って良いと思うわ……」
クロネはそう言って、恥ずかしそうに目を逸らした。
「……そうだな、うん、ありがとうクロネ」
「二人とも、盛り上がっているところ悪いんだけど、スパロウ伯は待ってくれないわよ?」
「そうだった! どーすんのクライン⁉」
「え⁉ あ、えーっと、そうだな……こうなったら迎え撃つ! なんて無理だしなぁ……」
「――それ、いいわね。迎え撃ちましょう」
リターナが不敵な笑みを浮かべた。
「さっすがーー! よっ! おっぱい姉さんっ!」
「リ、リターナ……⁉」
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