靴紐

狐火

しがらみ



先ほどまで何の用事を済ませていたのかもう思い出せない私は、帰り道を歩いていると左足に不思議な浮遊感を覚えた。私は歩みを止めて俯くと、その浮遊感の正体は靴紐が切れたことであると知った。


 もう5年も、私はその靴を履いていた。だから靴紐が突然切れるのも無理はない。私は靴屋を探して靴紐を買おうかとも思ったが、今日はもう家に帰るだけであるためその買い物には気が乗らず私はその計画を辞めた。


 他にもその靴の靴紐を買おうとしなかった理由があった。それは、その靴が私と彼氏のお揃いのものであるからであった。思い出がたくさん詰まったその靴を、新しい靴ひもで変化を与えてしまうと、何だか彼氏との思い出が変わってしまうような気がした。

 

 私と彼が出会って何年経ったか、はっきりとは思い出せない。その年月の長さが私たちの関係を当たり前のものにしている。彼が私にとって大切な人であることは間違いないが、彼にとって私が大切な人なのかという疑問は長年一緒に居れば居るほど分からなくなっていった。


 昔は週末に外でデートすることも多かったが、最近では一緒にいてもすることは性行為か食事かだった。それ以外に何かで時間を共にしようと彼はしてこない。


 もう私は、彼が私を好きでいてくれるだろうという期待をとっくの昔に捨てていた。今の私は自分の人生に生きるのに必死で彼の事までは考えられない、そういうことにしておきたい。これはただの現実逃避だった。


 付き合ったばかりは当たり前だった事が段々と日常から消され、その事を問い詰めるといつまでそんな甘い関係でいるつもりだと彼は私を嘲笑う。絶対に私に歩調を合わせてくれない彼に私は仕方なく歩調を合わせ、後にその不満が爆発し彼に自分の気持ちを話すと、なぜ我慢していたのだと彼は私を叱る。彼は自分に非があるとは全く思っていないようだった。


 何度も彼と別れようと思ったがやはり私は彼のことが好きらしく、彼に対する愛着のような執着が寝ても覚めても消えなかった。体を許してしまうと、女はその男に心まで縛られてしまうらしい。


 いや、もしかするとそれは私のような恋愛経験の少ない女だけかもしれない。愛着が心に根を張る程長い年月をかけて付き合ってしまったことは、私の人生において大きな失態と言える。彼さえいなければ私はもっと違う人と恋愛し、もっと違う人生を歩めたのに。心の底から彼を好きだと思いながらも、私は無自覚に彼を憎んでいた。

 

 傍から見たら私は変な歩き方をしてしまってるのかもしれない、周りの人はわたしをすれ違いざまにチラチラと見ていた。この靴の浮遊感は少し気持ちが悪い。ガスの入った風船のように、手を離せば空高く飛んでいってしまうのではないかと錯覚を起こすような浮つきが、帰りたいという願望すらも見失いただ歩いている今の私の心の状態を表しているようだった。

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