陽水晶の傷痕
小湊セツ
暁の章
王国歴1011年
蒼に消ゆ (前)
空の蒼に翻る青のマント。王家の盾となる近衛騎士の正装に身を包んだその人は、雲の波間を戯れあって飛ぶ竜の群れを見上げながら自慢げに微笑んだ。
「あの子は、風に愛されているからね」
太陽に翳した手は、すっと長く空に伸びる。何かを掴もうというよりは、吹き荒ぶ風を押し留めようとするかのように真っ直ぐと、決して揺らがない。
「お腹の中にいた頃から、竜に乗って空を飛び回っていたからな。あの歳で風を操るのが誰よりも上手い。陛下があの子を王太子にと望むのは、それが一番の理由だろう。戦神の器になるのだ、誰よりもシュセイルの風を知らなければ」
そりゃあ、母親が元近衛騎士団所属の竜騎士であれば、生まれる前から空を飛んでいたというのも頷ける。
「それじゃあ、僕は光に愛されていないって言うんですか?」
師匠は目を丸くして、困ったように笑うと「さあな」と濁した。
僕にとっては死活問題なんだけど、師匠は何でもないことのように笑い飛ばす。
強い風に煽られた浮島が擦れ合い、遠雷の轟きのような音が空に響く。削れてひび割れ、やがて分裂する。それは、今かもしれないし、百年後かもしれない。元は四つしかなかったという浮島が、今は大小合わせて百を超える群島になってしまった所以だ。
「お前はフィリアスのように魔法に長けてはいない。ディーンのように恵まれた体格や膂力、風を掴む才能があるというわけでもない。だが、これから戦うだろう相手は、お前の事情に配慮などしてはくれないぞ」
風に靡く長い銀の髪に雪の結晶を模した髪飾りがチカと煌めく。師匠はバサリとマントを払うと、両手を腰のベルトに差した双剣の柄に置く。
「剣を抜け、クリスティアル。彼らに並び立ちたいのなら、同じ道を目指してはいけない。お前はお前自身の強さを見い出し磨かねばならない」
予感のようなものがあった。僕に予言の力は無いけれど、僕のこういう予感は悲しい程、よく当たる。
俯いた視線の先に、花畑を埋め尽くす白い花々が映る。風に花がぷつりと切れて空の蒼に舞い上がって消えた。
――おそらく、今日が最後になる。
音も無く滑らかに抜かれた剣の鋒をこちらに向けて師匠は悠然と構えた。風に流される浮島に日が翳り、粉雪のような花びらが僕と師匠の沈黙を埋める。
的は極力小さく。身体は相手に向かって半身に。
僕は修行用の二振りの木剣を抜くと同時に、掌の内で柄をくるりと回して握る。腰を落として両の剣先を向けた。
風が通り過ぎるのを待って、追い風を背に花畑を駆け抜ける。充分な助走を取って大きく踏み切り、右手に握った長剣を渾身の力で突き出した。だが師匠は片方の剣で軽く受け流し、ガラ空きの脇にもう一本の剣で鋭い突きを見舞う。
素早く切り返した剣で突きの軌道をずらすと木剣の表面を摩擦が焦がした。着地して息つく間も無く上下左右から二撃三撃と急所を狙った猛攻が続く。
高く跳ね、風と踊るように軽やかに。しかし、その一撃は雷のように重い。
僕は左手に握った短剣で攻撃を凌ぎ、右手に握った長剣で隙を突くも、その鋒は届かない。力を込めれば受け流され、手数を増やし速さを意識すれば弾き返される。まさに、風に舞う花びらの如く。その剣は決して捕らえられない。
「もっと疾く、もっと鋭く、もっと重く。だが、柔らかく。片方で守り、片方で攻撃をするのならば双剣の必要は無いぞ!」
凌ぎ切ったと攻撃に転じようとしたその瞬間、バシッと強かに手の甲を打たれて長剣が叩き落とされた。骨が折れないギリギリの威力で叩くのだから敵わない。
師匠が言うように、師匠の双剣術は双剣で攻め、双剣で守るのが基本だ。防御と同時に攻撃に転じなければ、その速さに対応できない。僕の今の使い方は片手に盾を握っているのと変わらない。
落とした剣を拾おうと手を伸ばすと、その剣を踏まれて頭を小突かれた。
「痛ッ!」
「愚か者。敵の前で膝をつく馬鹿がどこに居る!?」
「二本使えって言ったじゃないですか!」
師匠はやれやれと首を振ると、顎を上げて冷たく見下ろす。
「なんのために双剣を握るのか。最後の最後まで戦うためだ。魔法が使えないお前は盾にはなれない。ならば、剣になるしかない。その手にもう一本あるのなら抗え! 剣を拾うのはそれからだ」
師匠は剣を拾って僕に投げ渡した。風に飛ばされそうになって咄嗟に掴むと、叩かれた手がじんと痛む。
……やっぱコレ折れてない? 曲がるから大丈夫か。
「もう一度だ。そんなやり方は教えていないだろう?」
僕は魔法が使えない。特別な才能も無い。けれど、誰よりも我儘で寂しがりだった。ただ、彼に置いていかれるのだけは嫌だった。僕にあるのは、この厳しい運命に必死に食らいついて来たという矜持だけ。
同情も共感も要らない。
欲しいのは、僕を親友と呼んで憚らない彼からの揺らぐ事のない信頼と、ほんの少しの褒め言葉だけだ。
足を揃え、胸の鼓動に耳を澄ます。
足のつま先でタンタンと拍子を取る。
生き続ける限り鳴り止む事の無いリズム。
吹き荒ぶ風の音が遠ざかり……――とても静かだ。
左足を大きく下げて、つま先で円を描くように一歩踏み出す。左の短剣は相手の水月。弓引くように胸を張り、肩上に構えた長剣の鋒は相手の喉元に照準を合わせる。
斬るか、突くか。剣の軌道をイメージする。
「そうだ。それでいい」
合わせ鏡のように構える師匠は、その日初めて満足そうに微笑んだ。
「風と踊れ」
蒼空の花畑に雪のような花びらが舞う。蒼に散った花の行き先は、誰も知らない。
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