陳萬攻防記

武州人也

とある攻城戦の記録

 今ではもう昔の話であるが、陳とまんという二つの国が存在していた。

 ある時、陳は軍を発して南のさいという国を攻めた。大国である陳の軍隊が辺境の小国家をひと思いに吹き飛ばしてしまうかと思われたこの戦争は、蔡の思いがけない抵抗によって長期戦の様相を呈した。たまりかねた陳公は蔡の有する城塞都市の半分を割譲するという約束で隣国の萬を引き込み、連合軍を組んでとうとう蔡を滅ぼしその領土を占領した。

 さて、問題が起こったのはこの後である。都市の折半を約定とした陳であったが、萬は野心を剥き出しにした。勝手に兵を進め、陳国の目と鼻の先である後庭城までを占領下に置いてしまったのである。

 当然、陳公は嚇怒かくどし、公子である陳固ちんこ丞相に六万の軍を与えて後庭城を攻めさせた。迎え撃つは萬の公子萬毛まんもうの軍。その数総勢五万である。だが萬毛軍は野戦において陳軍の顔周がんしゅう率いる最強の騎兵部隊、通称「顔騎隊」に側面を切り崩され大敗を喫してしまう。萬毛は後庭城に撤退し、食糧や武器を運び込み、城門を硬く閉ざして籠城戦に備えた。これを見た陳固は全軍を以て後庭城を囲い込んだのである。

 

「進め! 城門を乗り越えろ!」

 澄み渡る青空の下、陳軍はこの日も後庭城に攻撃を仕掛けた。兵士たちは城壁前に殺到し、四方から石造りの城壁をよじ登ろうとする。

「何度やっても同じこと! 弩兵隊構え! 敵を全て射抜くのだ!」

 萬軍も黙って見過ごしはしない。城壁に群がる敵兵たちに、情け容赦ない矢弾の斉射を浴びせる。矢のみならず、熱湯、丸太、岩石など、あらゆる物を投げ落として敵兵を叩き落としていく。

「投石用意! 放て!」

 陳軍の後方から、投石機が姿を現す。陳軍はこの投石機によって、四方から岩石を投射した。岩石は城壁を乗り越え、その内側の萬軍の頭上に降り注ぐ。

「陳軍……やりおるな……」

 総大将たる萬毛は、敵の投石機の性能に舌を巻いていた。このままでは頭上から降る岩石に兵が怯えてしまい、戦闘の続行に支障を来してしまう。

「ようし、目には目を、投石機には投石機だ」

 萬毛は倉庫から投石機を繰り出すよう部下に命じた。この後庭城にも、萬軍の投石機が運び込まれている。兵士たちも、これの扱いに関しては一通りの訓練は受けていた。

「だがな、くれてやるのは岩石ではない。陳軍よ、恐れおののくがよいわ!」

 萬毛の顔に、陰険な笑みが浮かんだ。


 が陳軍の頭上に降ってきたのは、日が中天に昇る頃であった。

 茶色をした物体が、放物線を描いて、城壁の内側から外側へと投射されたのだ。

 べちょり。

 兵士の一人が、まともにそれを頭に浴びてしまった。だが、硬い感触はしない。岩石であれば今頃兜ごと頭をかち割られていたはずだ。

「くっさ! 何だこれ!」

 浴びた兵士が放った一言である。浴びせられたものは、鼻を曲げてしまう程の強烈な悪臭を放っていたのだ。

「これってまさか……」

 投射されたものの正体は、直撃を食らった兵も含めて、その場の者全員の察する所となった。

「うわあっ!」

 直撃した兵士は叫び声と共に汚れた兜を放り出して走り出した。そこに運悪く萬兵の放った矢が飛来し、兜を脱いだ頭に突き刺さってしまい、そのまま斃仆へいふしてしまった。

 萬毛の指示で、萬軍は城内の人々が日常的に生産している茶色の物体をかき集めさせ、集まった端から敵陣に投げ込みまくった。矢弾よりも、これの方が寧ろ効果的であった。その悪臭が陳兵の戦意を削ぎ落としていくのみならず、不潔極まりないそれは衛生環境の悪化を引き起こした。それによって陳軍の間に病気が流行りだしたのである。

「まずいな……非常にまずい」

 陳軍総大将陳固は、焦りの余り汗の滲んだ股座を掻いていた。悪臭は最奥の陣中にまで漂っており、陳固とその周りの幕僚たちは鼻に詰め物をしている。

 どうにも、状況打開のしようもないと判断した陳固は、本国としきりに書状を交わしていた。短期決戦のために、大型の攻城兵器をもっと送ってくれるよう陳公に頼み込んでいるのだ。だが、未だ戦場に到着する気配はない。

 そうしている間にも、陳兵たちは一人また一人と病に臥せり始めていた。陳軍は降伏を勧告する矢文を投射しつつ遠巻きから投石機による攻撃を継続したが、相手が音を上げる様子は微塵もなかった。

「ううむ……如何にすべきか……」

 陣中で、陳固は懊悩していた。一時軍を引くべきなのであろうが、そうなれば此度の失敗を譴責けんせきされることは明白である。注文しておいた攻城兵器はまだ届かない。この総大将は、一日に三つの秋が過ぎてゆくような想いで兵器の到着を待っていた。

 立ち込める悪臭、続々と斃れ行く兵たち。総大将の精神は、もう限界に達している。追い詰められた陳固が頭を抱えて呻いていた、まさにその時であった。

「本国から攻城兵器が到着しました!」

 その声を聞いた陳固は、素早く立ち上がってそちらへ赴いた。その目の前には、注文していた攻城兵器の姿がある。陳固はそれを目にするや否や、勝利を確信し笑みを浮かべた。

「ようし、早速前線へ投入しろ!」


 後庭城の城門の上には、物見櫓が各所に設置されている。萬兵たちは交代で櫓に立ち、監視の任務に当たっている。

 当初後庭城の内部に漂っていた張り詰めた空気は、この頃になると緩んでいた。城壁を昇ってくる敵兵はおらず、攻撃といえば投石による散発的な遠距離攻撃のみ。それも結局、そうそう当たるものではない。陳軍に継戦能力がなくなっていることは明らかであり、そのことが萬軍に楽観気分を生み出していた。

 西の城門に設置された櫓の上で、兵士は欠伸をしながら陳軍の様子を眺めていた。だが、この時、兵士の視界に見慣れないものが飛び込んできた。

「おい、何だありゃ?」

「雲梯でも運んできたのか?」

「うーん、雲梯ではなさそうだが」

 兵士二人は、近づいてくるそれを凝視した。片方の兵士が言う通り、それは雲梯ではなかった。

「お、おい見ろ!」

「な、何だありゃ!」

 二人の驚愕は、半分嘲笑混じりであった。

 陳軍が繰り出してきたのは、横倒しにされて屋根付きの馬車に運搬される、巨大な男子の象徴物であったのだ。

大魔羅破城槌だいまらはじょうついの威力を見せてやれ!」

 陳固が、陣中で吠えた。男子の象徴物を象ったそれは、巨大な破城槌なのだ。

「せーの!」

 城壁全体に、激震が走った。大魔羅破城槌と名付けられたそれが、陳兵によって城門にぶつけられたのだ。見た目は面白おかしく見えても、その威力は本物であった。

「火矢を使え! あんなものの攻撃を許すな!」

 城壁の上から、火矢を携えた弓兵が現れた。燃える鏃が、破城槌に向けて放たれる。だが、矢が刺さりはしたものの、その炎は燃え移ることなく立ち消えてしまった。実はこの大魔羅破城槌、火攻め対策のために屋根に濡れた布を被せているのである。

 どしん、という音と衝撃と共に、とうとう城門が悲鳴を上げた。門がこじ開けられたのだ。

「門を破ったぞ! 突撃!」

 後庭城に、陳軍の騎兵、戟兵、弩兵が一斉になだれ込む。城門を開けられた萬軍は、脆かった。気の緩んでいた萬軍は、突入してきた陳軍に対してろくな抵抗ができない。結局、萬軍は城壁内での戦いでさんざんに打ち破られ、総大将である萬毛は多数の兵を失いながら城を捨てて敗走してしまった。

 

 総大将陳固は、逃げていく敵を見て、さらなる追撃を画策した。勝ちに乗じて他の城も手に入れたいと思うのは当然の心情である。だが、陳軍はもうそこまでであった。病に斃れる兵士たちが増えすぎて、これ以上の行軍には堪えなかったからだ。突入に使った健康な兵士たちは、まさに虎の子の兵隊であった。萬軍は敗れはしたものの、既に手痛すぎる一撃を陳軍に与えていたのである。

 その後、両国の間で正式に協定が結びなおされた。当初の通り、蔡の旧領を折半し、その中間を国境とすることを取り決めたのだ。これによって、両国の戦争は終わりを告げた。


 全ての戦後処理が終わった後、陳固将軍の城攻めの成功を祝う酒宴が催された。扇情的な衣装を身に着けた少年が艶美な歌舞を披露する中、文武百官が酒で頬を染めている。

「いやぁ、ご苦労でしたな、丞相」

「いやいや、それほどでも」

 陳固は、叔父の陳珍ちんちんと向かい合って酒を飲み交わしていた。二人とも、すっかり酔いが回り、紅色の顔をしている。

「それにしても、奴らの投石攻撃にはさんざん苦しめられましてなぁ……ん?」

 ふと、陳固の鼻が、何か異様な臭いを捉えた。戦場でさんざん嗅ぎ慣れた、あの臭いである。

 臭いの源泉を辿ると、右の方で、うずくまっている男がいる。確か、あれは廷尉の陳雲ちんうんであったか……

「廷尉殿!」

「誰か、侍医を呼べ!」

 陳雲の周りに人が集まり、何やら騒いでいる。

「どうしたんだ?」

「廷尉殿が突如腹痛を訴えて、あそこで漏らしてしまったんだとよ」

 たまたま居合わせた陳固の兄、陳歩ちんほが教えてくれた。その時、再び陳固の鼻に、あの強烈な悪臭が突き刺さった。

「あ……あ……」

 その臭いが、あの戦場での記憶を、陳固の頭の中に蘇らせた。みるみる内に、陳固の顔が恐怖で青ざめていく。思い出したくない記憶が引き出され、陳固の正気を失わせてゆく。

「ああああああああ! もう嫌だあああああああ!」

「丞相!」

 陳固は、居ても立ってもいられなくなった。恐怖で表情を歪めながら、陳固は走り出して酒宴の会場を飛び出してしまったのであった。

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陳萬攻防記 武州人也 @hagachi-hm

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