君のいない今、君のいる未来
工藤銀河
第1話
もしも過去に戻れたら…
そんなことをいつも考えていた。
でも、その理由は、人生をやり直したいとか、好きだったあの子に告白したいとかじゃなくて、ただ、救えるはずだった命を救いたかったからだ。
「くそっ!またかよ!」
俺は机を拳で叩いた。もう片方の手には、スマホが握られている。
「どうしたのよ海斗?」
母の質問がわかっていたかのように、俺はすぐに答えた。
「また誘拐されていた女子高生が殺されて発見だってよ」
どうしていつも警察は殺されたりしてから発見するんだ。それじゃあ意味がないじゃないか。俺はずっとそう思っていた。
俺、佐倉海斗は、様々な犯罪の中でも誘拐して監禁、そして殺されるといった事件が大嫌いだった。いつも被害者は俺と同じぐらいの高校生で、そう言ったニュースを見るたびに心が苦しくなっていた。
そして俺は、警察も嫌いだった。肝心なところで発見せず、被害者が出てから、あーだこーだという姿が、俺には言い訳にしか聞こえなかった。
特に「この被害者は、救える人でした。」などというセリフは、救ってもいない奴が言えるセリフじゃないと思っていた。
そんなことを言っていても、所詮俺はただの高校生で、自分には何もできないことはわかっていたから、こんなことは誰にも言えなかったし、言うつもりもなかった。特に、自分の親父にだけは…
理由は簡単で、親父が警察官だからだった。もう四十歳も過ぎたというのに、警部補のまま出世することのなく、ただ毎日、市民のために働いていた。親父が一生懸命働いているのを知っているからこそ、警察が嫌いだなんてことを、言えるはずがなかった。
だが、毎日真剣に働いている親父を小さい頃から見ていて、一つ、最近になってようやく気づいた事があった。
親父は、仕事中、ずっと悲しい目をしていた。
親父はよく笑っている人だったので、その悲しい目が気になった。まるで、仕事をしていても、何か別の事を考えている様な、そんな感じだった。
でもそんな事は頭の片隅に置いてある程度で、気にもとめていなかった…
「おい!海斗!」
次の日の朝、突然大きな声が聞こえたので、俺は反射的に目を覚ました。
「父さん、どうしたんだよ?」
「どうしたんだよじゃないだろ!お前、学校遅れるぞ!」
「なにぃ!」
パッと時計を見た。時刻は六時半、急ぐほどの時間ではない。だがよく見ると、秒針が動いていない。というより、時計が分解されている…
「まさかっ!」
俺は分解された時計を手に取った。バラバラになった時計のそばには一枚の紙が置いてあった。
機械いじりって楽しいわよね?
母より
「楽しくねぇよ!」
母は、機械いじりが大好きだ。自分でライトを作ったり、発信器などの男のロマンのようなものまで作ってしまう。
「実は俺も同じことをされてな、もしかしたらと思って様子を見にきたんだよ」
高校生にもなった息子に、こうも接してくる両親はどうかと思う。母は楽観的だし、仕事は警察官なのに父は心配性だ。
「それで、今は何時だ?」
「心して聞けよ?今は、七時四十五分だ」
とても絶望的な時間が父の口から告げられた。何故なら学校に間に合うかもしれない絶妙な時間だったからだ。家から学校までは大体四十分ぐらいだ。もし後少し遅ければ、遅刻覚悟で準備をして、割と焦らず、学校へ行っていただろうが、何とかなるかもしれないので、とりあえず、急ぐことにした。すぐに顔を洗い、制服に着替えると、朝ごはんを食べず、歯も磨かずに、家を飛び出した。家を出る前に母に一言言ってやろうかと思ったが、すでに母は仕事場に出かけてしまっていた。
そして学校へは、間に合わなかった…
こういう急いでいる時に限って、信号や踏切にひっかかってしまうのだ。焦りとは恐ろしいものだと改めて思う。
学校に着いた後はいつも通りの日常だった。友達と喋って授業を受けてもうすぐ期末テストということもあり、みんなそれなりに勉強していた。俺の通う松葉高校はテストの数が他の高校よりも多く、全部で十五教科もある。だからテスト前は大変だ。俺自身は決して成績が良いわけではないので、友達と勉強しながら、何とか乗り越えている。だが、全ての教科ができない訳ではない。父の影響のあり、昔から人の命に関わる教科は得意だった。特に今回の総合は犯罪についてということだったので、他の教科を中心に勉強した。
「あーっ、全っ然、わかんねぇ!」
俺が苦戦しているのは数学だ。困り果てていると、
「教えてやるよ、一緒にやろうぜ」
親友の遥希が声をかけてきた。
「おお、頼む」
遥希は小学生からの家族ぐるみの付き合いでもある親友だ。お互いのことを心置きなく話すことのできる、数少ない友達だった。テスト前はいつも助けられているし、俺が助けることもある。助け助けられの関係のとても良い奴だった。
「いや、この公式が分からなくてさ…」
「ああ、それなら…」
そして大変だけど楽しいテスト期間は過ぎ、テストの日がやってきた。
「終わったー!二つの意味でーっ!」
テスト一日目、案の定数学はできなかった。せっかく遥希に教えてもらったのに、テスト前日に寝落ちして、確認ができなかったのだ。そして俺という生き物は割と引きずるタイプなので次の日も、その次の日も集中できず、テストはうまくいかなかった。
ただひとつ、うまくいったのは総合で、一番勉強しなかったのにも関わらず、手応えは一番あった。特に犯罪についての意見をまとめて意見文を書く問題は、かなり苦戦した奴らも多かったらしいが、俺には簡単すぎる問題だった。減点があったとすれば、最後の犯罪の解決法を考えろという問題に対して、「過去に戻る」と書いたことぐらいだろう。
ともかく、結果はどうであれ、テストは終了した。これからはテスト休みに入る。テスト休みと言っても、後は面談日やテスト返却日ぐらいしか学校に来ることもないので、半分夏休みに入った様な気分だった。
その日の帰りの会で、担任から夏休みの宿題が渡された。高校生の夏休みの宿題というのは予想よりも遥かに多かった。
夏休みの課題一覧
・国語の読書感想文三冊分
・数学ドリル四〇ページ
・理科ドリル五十ページ
・社会レポート
・自由レポート
・職業レポート
以上
「多いなぁ…」
心の底からそう思った。数だけを見ればそうでもないかもしれないが、レポートや読書感想文など、無駄に時間がかかりそうなのもが多い。夏休みが二カ月近くあるとはいえ、少しでもサボってしまえば、取り返しのつかないことになりそうだった。俺は気分が乗らないまま、席を立ち、遥希を誘って教室を出た。
帰り道、遥希とは夏休みの計画を話しながら歩いた。
「夏休みの課題どうしようか?簡単には終わらないよな」
「協力してできるものは、ドリルぐらいだろうな」
「だよなー、なんか予定あるのか?夏休み」
「俺は短期留学するんだ」
「えっ?」
突然、驚きのことが告げられた。そんな事は遥希は言っていなかったのだ。
「昨日いきなり決まったんだよ。父が出張で海外に行くからついて行くことにしたんだよ。今日海斗には言おうと思ってさ」
「マジかよ…、いつから行くんだ?」
「八月の最初かな」
「頑張れよ!それまでにドリルとかやっちゃおうぜ!」
「おう、勿論だ。じゃあ明日から合宿でもするか?」
遥希の提案はとても良いものだった。合宿の内容は簡単で、ドリルが終わるまで家に帰らないというものだった。俺たちは長期休みになる度に、合宿を行っていた。
「よし、明日からやろう!今日準備して行くぜ!」
「わかった。待ってるぞ!」
家に帰るなり、俺は親に合宿について相談した。
「明日から遥希の家で勉強合宿をやろうと思ってるんだけどやっても良いかな?」
両親は意外とあっけなく許してくれた。
「向こうに迷惑かけすぎない様にしなさいよ?」
「そうか、気をつけて行ってこいよ」
父はいつもこう言う。学校に行く時も遊びに行く時も「気をつけて行ってこい」と言う。その言葉が不思議と安心感をあたえてくれるのだ。
両親の了承を得たので、俺は合宿に向けての準備をした。数日分の着替えと少量の非常食、大量のおやつをリュックに入れた。一通りの準備をしたところで、ようやく俺はこれが勉強合宿であることに気づいた。
「テキスト入れてねぇ!」
これでは遊びに行くだけだ。急いでリュックにテキストを入れようとしたが、おやつが多すぎて入らない。仕方なくおやつを抜いて、今日はもう寝ることにした。
次の日、俺は朝から出発した。
「お邪魔しまーす」
「おお、来たか海斗」
「いらっしゃい、海斗君」
遥希の家に行くと遥希とお母さんが出迎えてくれた。遥希の家は父親が大の読書家ということもあり、家の横に大きな書物の倉庫がある。合宿をするときはいつもそこを使わしてもらっている。本を守るためにエアコンや空気が篭らない様に窓も付いているのでとても快適だ。早速俺と遥希は倉庫に行くと勉強を始めることにした。
「じゃあ俺は理科やるから遥希は数学を頼む」
「了解、任しといて!」
幸い、俺らの得意教科は同じ理系教科でも分かれていた。俺は特に理科の生物が得意で、他の分野もそこそこできる。一方遥希は、数学ならほぼ分からない事はないんじゃないかと思うほどよくできる。
とりあえず俺たちは自分の得意な教科を終わらし、その後で教え合う(写し合う)ことにした。
結局、自分の分担のドリルが終わったのは五日後のことだった。もちろん勉強時間だけらなら三日とかからず終わっていたのであろうが、話が盛り上がったり、とても普通に過ごしていたら読む事はないであろう珍しい本を読んでしまったりと、かなり無駄な時間を過ごしてしまった。
だが、自分のドリルさえ終わってしまえば後は簡単で、お互いに書いた物を写し合う楽な作業だった。ドリルの答えはなく、教師が確認するので、間違っていると相手も同じ場所を間違えたことになってしまい、怪しまれてしまうのだが、特にそんな事は気にしないで、俺たちは作業を続けた。
「よーし!終わりだぁ!」
「お疲れさーん!」
写すだけの簡単な作業ではあったが、油断というのもあって、これまた三日ほど時間がかかってしまった。とは言っても、ほとんど読書感想文や自由レポートのための本を探していた時間だったとは思うが…
ここにはたくさんの本がある。家にある本はあらかた読んでしまったし、図書館に借りるに行ってもあまり面白い本は見つからないだろう…
と言っても、合宿の目的はドリルを終わらせる事だったので、俺は明日には帰ることにした。
その夜、俺は遥希に、
「この本持っていっていいか?」
と四冊の本を見せた。三冊は読書感想文用の簡単に読めそうなやつだが、ひとつは凄く分厚く、少し埃をかぶっていた。表紙には、
・retrograde time
と書かれていた。確か、英語で時間遡行という意味だったと思う。
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