騎士団の宿舎に設けられた医務室でエミリアが目を覚ましたのは、もう窓から夕日が射しこむような時間だった。

 模擬試合の決勝が行われていたのは昼過ぎのことだったので、かなり長い時間眠っていた計算になる。


 医療衣を着た医師からは、やんわりとたしなめられた。

「睡眠はきちんととらないといけませんよ」


 目隠しにもなる衝立ての向こうから、フィオナが顔を出した。

「どうやらやっとお目覚めのようね、お姫さま。エミリアが倒れたあと、それはそれはたいへんな騒ぎだったのよ」


 にやりと唇の端を吊り上げるフィオナは、珍しく嬉しそうにことの次第を報告してくれた。


 倒れたエミリアを抱き止めてくれたのは、やはりアウレディオだったらしい。

 ちょうどアルフレッドの喉元に、折れた剣の先を突きつけた直後、エミリアの元へと走りこんできた。

 地面に倒れる寸前のエミリアを、文字どおり身を呈して、滑りこんで助けた。


 周りにいた観客たちは突然の出来事に大騒ぎだったし、そのあとすぐアルフレッドも走りこんできたので、騒ぎはいっそう拡大した。


 アルフレッドはエミリアを、自分が医務室まで運ぶと言いはったらしいが、アウレディオにしがみついたエミリアが、どうあっても腕を解かなかったので、そのままアウレディオが運ぶことになった。


「あんなに遠いところから、それも試合中に、隣にいた私よりも先にエミリアの変化に気づいたのよ。二人とも異常だわ」

 フィオナの呟きになんと答えていいのかわからず、エミリアは黙りこむ。

 あまり居心地のいいものではない静寂は、医務室の扉がトントンと叩かれたことで破られた。


 用があるからと部屋を出て行った医師と入れ替わるようにして、入ってきたのはアルフレッドだった。


「私もちょっと席を外すわ」

 気を利かせたつもりのフィオナがいなくなって、部屋の中はエミリアとアルフレッドの二人きりになる。


 けれどエミリアの目は、垣間見えた扉の向こうの廊下に、淡い金髪の人物が佇んでいることを見逃しはしなかった。


「エミリア、大丈夫か?」

 心配そうに眉を寄せるアルフレッドに、エミリアはこっくりと頷き返す。


 アルフレッドは今朝までと同じ、優しい眼差しを向けてくれていたが、その中にどうしても消せない暗い色が生まれたような気がして、エミリアは心が痛んだ。


「アル……私ね……」

 言いかけた言葉を彼は聞きたくなかったらしい。

 首を振って子供みたいに拒否しようとする。

 けれどフィオナの言うとおり、やっぱりエミリアには嘘がつけない。


「ごめんね……」

 寝台の上に座ったまま、深々と頭を下げるエミリアを、アルフレッドは見下ろして呟いた。


「聞きたくないよ」

 今度は声に出して言って、エミリアの肩に手をかける。


 もの凄い力でその肩を抱き寄せながら、

「ずっと好きだったんだ」

 苦しげな声で、絞り出すようにそう告げた。


 エミリアにはアルフレッドの気持ちが痛いくらいによくわかった。

 切なくて苦しくて、エミリアの心までキリキリと締めつけられるように痛い。


 それでもやっぱり、エミリアは嘘がつけない。


「アル……私……」

 それがアルフレッドを傷つける結果になろうとも、そのことで自分自身も傷つこうとも、エミリアは心を強く持って、真実を告げようとした。


 しかしそうはさせまいとするアルフレッドの顔が、エミリアの顔にどんどん近づいてくる。

 自分の唇で、エミリアの言葉を塞ごうとしているアルフレッドの決意が、エミリアにも伝わった。


「ま、待ってアル!」


(これでもしアルがミカエルだったら、元の姿に戻っちゃう! そしたら違う世界に行っちゃって、もう二度と会えなくって、そんなのって……!)


 頭の中を渦巻くさまざまな思い。

 でもそれよりも何よりも、涙が出そうな思いで、たった一人の顔が胸に浮かぶ。


(このままじゃアルにキスされちゃう……そんなの嫌!)

 エミリアは心の叫びを、最後の部分だけ感情に任せて実際に口にした。


「ディオ!」

 言った本人が一番驚いた。


 ピタリと動きを止めたアルフレッドも息を呑んでいる。


(馬鹿だ! 私本当に馬鹿だ! こんなことにならないとわからないなんて……今さら遅いよ!)


 エミリアが両手で顔を覆った瞬間、医務室の扉を蹴破るようにして、本当にアウレディオが飛びこんできた。


 淡い金色の髪は乱れ、白い頬にも腕にも、ひどい傷がある。

 蒼白にも見えるほどの真剣な顔で、真っ直ぐにアルフレッドににじり寄りながら、彼は固く引き結んでいた口を開く。


「アルフレッド……悪い。やっぱりエミリアだけは、あんたにも渡せない!」


 気がついた時には、エミリアの体は勝手に動き出していた。

 寝台を滑り降り、まっしぐらにアウレディオに走り寄る。


「ディオ! ディオ! ディオ……!」

 待ち構えていた腕にしっかりと抱きしめられて、そこで初めて、エミリアは自分が震えていたことに気がついた。


 アウレディオの肩口に額を押し当てて、涙の止まらないエミリアに視線を向け、アルフレッドはポツリと呟いた。

「わかってるよ、そんなこと。十年以上前からずっと」


 はああっと大きなため息を吐いて、決まり悪そうにポリポリと頭を掻き始めたアルフレッドの様子に、なんだか違和感を覚えて、エミリアはアウレディオの腕の中、涙を拭き拭きふり返った。


「まったく損な役回りだよな……ごめんなエミリア。びっくりしただろ?」


 たった今失恋したわりにはあまりにもあっけらかんとした声で、アルフレッドはエミリアに向かって両手をあわせる。


 その様子にエミリアは首を捻った。

(…………?)


 次の瞬間、アウレディオは目を剥いて、エミリアの体を自分の体から引き離した。

「まさか、ひっかけたのか!」


「「その通り」」

 アルフレッドと同時に答えを返し、アウレディオが破壊した扉の向こうから姿を現したのはフィオナだった。


「エミリアの好きな人なんてどう考えたってアウレディオに決まってるのに、当の本人たちが見当違いな方向ばかり捜すから、私がアルフレッドに頼んだのよ」


 あまりの出来事に、エミリアは開いた口が塞がらなかった。

 アウレディオにしがみついていた手を慌てて放す。


「ほらね。下手に身近なものだから、意地を張っちゃってなかなか素直に好意を示せないでしょ? こういう場合は荒療治が効くのよ……」


「フィオナ……! アル……!」


 エミリアの手が次第に震えてきた。

 もちろん最大級の怒りによってである。


 察しのいいフィオナはエミリアの周囲にぐるりと視線を巡らし、即座に彼女に背を向ける。

「……それじゃ、私はこれで」


「じ、じゃあ俺も……」

 アルフレッドもそそくさと部屋を出て行く。


「ちょっと待ってよ!」

 二人を追いかけようとしたエミリアは、うしろからふわっとアウレディオに抱きすくめられた。


「もういいよ。いいだろ? ……エミリア」

 ため息混じりではあったが、いつになく優しい声で名前を呼ばれて、思わず泣きそうになった。


(ああ、私はやっぱりディオが好きだ……)

 改めて自覚して、このあとに待つ事態を想像して、だからこそここは素直に、認めたくはなかった。

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