第四章 初恋の人と複雑な気持ち

 翌日、ひさしぶりに出勤したアマンダの店で、フィオナがやって来るとすぐに、エミリアは昨夜のアウレディオのおかしな様子を報告した。


「で? 結局、その手紙のさし出し人は誰だったの?」

「さあ……」

 そんなことすらわからないのだから、推理のしようもない。


「諦めて、夕方アウレディオと会うのを待ちなさい」

 フィオナにも見放されてしまい、自分だけで考える。

 少なすぎる情報をうまくつなぎ合わせて何らかの答えを導こうということに集中し、エミリアはその日の仕事中、ずっと上の空だった。


 それでも何も思い浮かばず、ついに考えることを放棄する。

(ディオの嘘つき。今日になったって、やっぱりわかんないじゃない)


 時刻はすでに終業の時間だった。

 マチルダとミゼットはひさしぶりの『今日のアウレディオ様』を見るために、飛ぶような勢いで帰っていった。

 しばらく彼女たちに至福の時間を提供したら、エミリアもアウレディオのもとへと向かうことにする。

 そうすれば、考えることに一日を費やした謎にもついに答えが貰えるはずだ。


「私たちもそろそろ帰るわよ」

「うん」

 フィオナの声に立ち上がり、エミリアは何気なく窓の外に目を向け、夕暮れの街の風景に眩しく目を細めてから、はっと目を見開いた。


(え……?)


 大通りの向こうから、一人の人物がこちらへ向かって歩いてくる。

 背中には大きな荷物袋を背負い、目の粗い生地の旅行用のマントを着た長身のその人物は、手に持った地図らしきものを眺めながら、時折通りかかる人を呼び止め、どうやら道を尋ねているようだ。


(旅行者……よね……いったいどうしたんだろう?)

 その人物からまったく目を逸らせない自分が、エミリアはどうにも不思議だった。


(知っている人? ううん。そんなわけ……ないわ)

 青みがかった黒髪は、肩につくほど伸び放題で、着ている服も持っている荷物も全部どことなく薄汚れている。


 旅人か。

 それとも浮浪者か。


 どちらにせよ、大通りを行き交う他の人々とはあきらかに異彩を放っているのに、嫌な気持ちではなく、本当に純粋に目が離せない。


 長い前髪の間から、その人物がふっとこちらへ視線を向けた。

 夜明け前の空のような、紫色の瞳と目があった瞬間、エミリアはさっと踵を返し、アマンダの店の入り口へ向かって走り出していた。


「どうしたのエミリア?」

 フィオナが驚いて問いかけるが、エミリアには答えている余裕がない。


(早く! 早く捕まえないとまたいなくなっちゃう!)

 必死の思いで通りに飛び出し、大声で叫んだ。


「アル! アルフレッド!」


 黒髪の男はエミリアの姿を見て、遠くからでもはっきりとわかるほど嬉しそうに笑い、それから両手を大きく広げて叫んだ。

「エミリア! ただいま!」


 紫の瞳が、喜びをたたえて眩しく輝く。

 エミリアは全速力で、彼の腕の中に飛びこんだ。




 その後、合流したフィオナとアウレディオと共に、エミリアはアルフレッドと四人で家へ帰ることになった。

 

「なるほど……初恋の人の登場ってわけね……」


 納得したかのように何度もくり返すフィオナの口を塞ごうと、エミリアは大慌てする。

「な、何言ってるのよフィオナ!」

「だって本当のことじゃない」


 しかしそんな様子も微笑ましいと、アルフレッドは目を細めるばかりだ。

「いいね。やっぱり若い子って可愛いね」


「あんただってまだ二十歳だろ。まるでオジサンみたいな言い方するなよ……」

 エミリアがアルフレッドと感動の再会を果たしてからしばらく感涙に咽んでいたため、時計台の前で待ちぼうけさせられるはめになったアウレディオは不機嫌だ。


「そうだったな、ははは」

 そんなことにはお構いなく、アルフレッドはアウレディオの柔らかな髪をぐしゃぐしゃと乱しながら頭を撫でる。


「やめろ」

 アウレディオにいくら身を引かれても動じないアルフレッドの笑顔に、エミリアは懐かしい気持ちになった。


(ああ、何も変わっていない……)


 アルフレッドはアウレディオやフィオナと同じく、エミリアの幼馴染だ。三つ年上で、エミリアの家の向かいに建つ家に、両親と共に住んでいた。

 頼りになる兄貴分に、ちびっ子が三人くっついてまわるという形で、よくこの四人で行動を共にしていた。


 三人より先に学校を卒業したアルフレッドが、遠くの街へ行くことになった時、エミリアはまだ九歳で、彼のマントにすがって、『行かないで! 行かないで!』と泣くばかりだった。


 ある日ふいにいなくなって会えなくなってしまった母と、この三つ年上の幼馴染を、どこか重ねて見ていたのかもしれない。


『大丈夫だよ、エミリア。俺は絶対に帰ってくる。必ずこの街に帰ってくるからな』

 大きな手でエミリアの栗色の頭を叩いて、アルフレッドが行ってしまってから、もう六度の秋が来た。


 いつかこの坂道を登って現れるんじゃないかと、部屋の窓から外ばかりを見ていた頃は過ぎ、いつの間にかエミリアにも他に気になる人ができ、新しい生活の中に楽しみを見つけもした。


 けれど幼い日に大好きだったアルフレッドは、やっぱり今でもエミリアの中では特別だった。




「しばらくはアウレディオの家に厄介になることにしたんだ。この街に、もう俺の家はないからな……」

 並んで歩きながら、アルフレッドは急の帰郷について説明してくれる。


 アルフレッドの就職を機に、一家ごと違う街へ移り住んだのだったか。

 エミリアの家の前に建っていたアルフレッドの生家跡は、今ではもうただの空き地になっている。


「おば様とおじ様は? 元気にしてらっしゃる?」

 フィオナの問いかけに、アルフレッドはいったん口をひき結び、それから改めて答える。


「いや。二人とも亡くなった。だから俺も、今はこいつと同じ天涯孤独の身の上って奴だ」

 アウレディオの髪をまたぐしゃぐしゃとかき混ぜながら、アルフレッドはなんでもないことのように笑うので、エミリアは一瞬、何を言われたのだかわからなかった。


「えっ……?」

 歩みを止めてしまったエミリアに向かい、アルフレッドはわざわざひき返してきた。


 どうにか現実を受け止めようと、必死にパチパチと瞬くうす茶色の瞳をのぞきこみ、この上なく優しく笑う。

「ごめんなエミリア。きっと帰ってくるって約束、守れなくって悪かったって……それが親父とお袋からの、お前への伝言だ」


 ポタポタポタとエミリアの頬を伝って大粒の涙が零れ落ちた。

 頭の中に次々と、昔の隣人の面影が甦る。


 アルフレッドの恰幅のいい母親。

 人のいい父親。

 みんなみんな優しかった。

 母親のいなくなったエミリアを、本当に可愛がってくれた。


「私……私……!」

 顔を覆ってしまったエミリアの肩を、フィオナがぎゅっと抱きしめる。


「悪い……泣かせたくはなかったけど、結局黙ってることはできないもんな」

 アルフレッドが優しく頭を撫でてくれる。


 その全てのぬくもりの向こうから、声が聞こえた。

「エミリア」


 めったなことではちゃんと名前を呼んでくれないアウレディオが、自分を呼んでいる。

 そのことにハッとし、エミリアは止まらない涙を必死に手の甲で拭って、顔を上げた。

「ごめんなさいアル……一番辛いのは私なんかじゃないのに……!」


 涙声のエミリアを見つめるアルフレッドの笑顔は、ますます優しくなる。

「気にするな。エミリアがこんなに会いたがってくれてたんだって、きっと親父たちだって喜んでるさ」


 子供の頃に大好きだった人の笑顔は、やはり今も変わらず、エミリアの胸に切ない痛みを与えた。


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