非常識男、減らず口を絶やさず!
六間
第0話 泣き虫と官職気取り
私、
終わりの会を終え、さあ帰ろうかと私は昇降口を出た。下校していく生徒たちの中、一人の男の子が何かを探すようにキョロキョロしていた。フラフラして危なっかしい子がいるな、と思った。それ以上気にせず、私は帰り始めた。
男の子が少しずつ私に近づいていることに、その時の私は気付いていなかった。
だからいつの間にか男の子が目の前に現れた時はちょっと驚いた。男の子は鼻をヒクヒクさせて、何か匂いを嗅いでいるような仕草をしていた。何をしているんだろう、と不思議に思った。おい、と声をかけようとした次の瞬間。
男の子が私の髪に顔を突っ込んで、匂いを嗅ぎ出したのだ。私は「何するんだ」とか「やめろ」とか言いながら男の子を振り払った。
男の子は私を見据えて、こう言い放った。
「お前、面白い匂いだな」
そして白井修二と名乗った。
今同じことをされたら、私自らによる百叩きの刑をくらわせる。警察に突き出した後、極刑を要求する。
とはいえ小学一年生にそこまでの羞恥心などあるわけもなく。その時は特に恥ずかしがることも怒ることもなかった。
これが修二との初対面だった。彼はこれを機によく私に絡んでくるようになった。
彼は同じく一年生の
あの時はよかったなどと懐古する気はないが、それなりに楽しい日々だったと思う。
私たちの中心にはいつも修二がいた。ぶっきらぼうで減らず口の絶えないやつだったが、彼には不思議な魅力があった。
なんというか価値観が独特だったり、言動が他の子とあまりにも違ったりで、少なくとも私は面白いと思っていた。木綿豆腐と絹豆腐の違い、ビデオのVHSとベータの違いについての熱弁だったり。
小学生だった自分がそんな話理解できるはずもなかった。だが彼と話したり遊んだりするのはどこか新鮮さを感じさせた。
修二は鼻が効くことをよく自慢していた。実際その通りで、それに助けられた子も何人かいた。お気に入りの鉛筆を無くしたとか、どこかでハンカチを落としたとか。修二はすぐに見つけてきた。
かくれんぼで鬼になろうものなら、ものの数秒でみんな見つけられてしまった。曰く「匂いで大体わかるのです!」とのこと。程なく修二には鬼禁止令が施行されることになった。
修二と仲良くなったのにはもう一つ理由があった。
彼は無類の犬好きだった。当時、私の家ではコータという柴犬を飼っていた。彼がそれを知ると「純!お前の家、行ってもいいか!?」と、やたら強く迫られた。お互いの家が近いこともあって、特に断る理由がなかった私は「構わない」と短く返答した。
コータと修二はすぐに打ち解けた。家の庭先でなでてやったり、抱きついたり、滅茶苦茶にじゃれ合ったり。その様子は本当に楽しそうで、私もそれを面白がった。帰る頃には修二は泥んこになっていた。それを見て私はまた笑った。
修二はよく家に遊びに来るようになった。
その内彼は「コータと散歩に行かせてください!」と母に頼むようになった。「近くの公園までならいいか」と許可が下りた。フリスビーやフンの処理道具を持って、私も散歩についてまわった。庭よりも遙かに広い空間で、全力で自由を謳歌する一人と一匹。
微笑ましく、どこか尊い時間だったように思う。
学年が変わるなどの節目で、将来の夢をクラスで発表することが何回かあった。花蓮はケーキ屋さん、弘樹は野球選手。うーん、実に子供らしくてかわいらしい。
当時の私は本当につまらない小娘だったもので、専業主婦とか適当に誤魔化して発表会をしのいでいた。
そんな中、修二の夢は一貫して警察官だった。
「警察官であります!」
ビシッと敬礼する修二はいつも誇らしげにしていた。
修二の夢の理由は、いつもの通りフラフラとからかうようなものだった。
「宇宙人に洗脳されて、そう頭に刷り込まれたから」とか。
「儲かる職業No.1だと校長先生に教わったから」とか。
何を適当言ってるんだか、とみんなで呆れかえった。だが三年生に上がった時の彼の言葉に、私は少し動揺した。
「好きな人の憧れが警察官だから」
「えー、修二くん好きな人いるのー」
周りの子は寄ってたかって面白がっていたが、私は内心穏やかじゃなかった。どうせいつもの戯れ言だろうとわかっていても、なんだか胸の辺りがモヤモヤした。
今まで感じたことのない感情に整理がつかなかった。お前のせいだ!と修二を睨み付けた。私の視線に気付かず、周りの子に質問攻めにあっている修二。ニヤリとして「ノーコメントで」とか返していた。
キザ野郎だ、阿呆だ、こんなやつが警察官になれるものか!と、心の中で吐き捨てた。
学年が上がると変化したこともあった。私の中にも人並みに羞恥心が芽生え始めたのだ。あの最悪の初対面の日から、修二はたまに私の匂いを嗅ぎにきた。
「お前、面白い匂いがする」
とは修二の言葉だ。
なんだそれは。
一、二年生の時は特に不快感などはなかった。こいつ何やってんだろう、と思いながら適当に追い払っていた。いつの頃からかこの行為がなんだかむず痒くなり、いけないことをしているように感じられてきた。
当たり前だ、冷静に考えてみろ!人の匂いを好んで嗅ぐという変態行為。私は修二が近づいてくると身構えるようになった。
そんな感じで私たちの充実した日常は過ぎていった。信じて疑っていなかった。幼馴染三人と愛犬に囲まれて、この街で笑い合いながら普通に大人になっていくんだと。だから小学三年生のある日、その話を聞いて私はひどくショックを受けた。
修二の転校の話だった。
修二は両親の仕事の都合で、四年生に上がる前に引っ越してしまうらしかった。クラスで担任の先生がそう告げた時、えー!と教室中から声が起こった。当の修二はぽかんとしていた。
「え?俺って転校するのか?」
「いや、なんでお前が知らないの!?馬鹿か!?」
とかなんとかやり取りしていたようだった。だが私の耳には何も聞こえていなかった。
私は動揺した。悲しい気持ちにもなっていたかもしれない。引っ越しの日まで修二、花蓮、弘樹と変わらず遊んでいた。なんだか心がかき乱されてる気がして、私はあまり楽しくなかった。
それでも修二は相変わらず家に来て、コータと楽しそうに転げ回っていた。その様子を眺めて、少し腹を立てたりもした。私はこんなに悲しんでるのに、お前は何も思わないのか。そう非難したかった。
無邪気に笑う彼を睨んで、寂しい気持ちになった。
あっという間に引っ越しの日になった。花蓮、弘樹と修二を見送る約束をしていた。だが私は修二に会うのが怖くて家から出られないでいた。早く行かなきゃ、と思っても体が動かなかった。そこへ花蓮、弘樹が家にやって来た。
「やっぱ家にいたかー…」
「純!アンタ何やってんの、さっさと行くよ!」
二人は私が家に引きこもっていることを見越して、迎えに来てくれたらしかった。促されるままコータを連れて修二の家に向かった。
修二と彼の家族は家の前にいた。彼の両親は最後の荷物を車にセットして出発の準備をしていた。
「さらばだ諸君!祝福の鐘を鳴らしてくれ給へ!」
「お前こんな時くらいちゃんと挨拶せんか」
弘樹が修二の頭をはたいた。
そんないつも通りのくだらないやり取りを見ていたら、私はついに我慢できなくなって泣き出してしまった。
「ちょっと修二!アンタのせいで純、泣いちゃったじゃん!」
「お、俺のせいなのか…」
花蓮が非難すると、修二は珍しく動揺したようだった。
「当たり前じゃない、早く声かけてあげなさいよ!」
修二は私に向き合って気まずそうに口を開いた。
「らしくないな」
「…お前こそらしくない」
小娘を泣き止ませるように声をかけてくるなんて、ぶっきらぼう男らしくなかった。
「お前が泣いてるところを見るのは初めてだ」
修二がニヤリと口元を歪ませた。私は顔を伏せてしまった。
「…バカ修二」
修二が歩み寄った。
「純のことは、忘れない」
修二はそう言ってうつむく私の頭に顔を付けて、クンと鼻を動かした。
その後彼は花蓮、弘樹、それからコータに声をかけた。糖尿病には気をつけろだの、保健所の世話にはなるなだの。
まったく、最後までふざけた男だと笑い、ようやく私は泣き止んだ。
白井修二は変なやつだった。
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