非常識男、減らず口を絶やさず!

六間

第0話 泣き虫と官職気取り

 白井修二しらいしゅうじは変なやつだった。






 私、黒川純くろかわじゅんが白井修二と初めて出会ったのは9年前、小学一年生の時。


 終わりの会を終え、さあ帰ろうかと私は昇降口を出た。下校していく生徒たちの中、一人の男の子が何かを探すようにキョロキョロしていた。フラフラして危なっかしい子がいるな、と思った。それ以上気にせず、私は帰り始めた。

 男の子が少しずつ私に近づいていることに、その時の私は気付いていなかった。


 だからいつの間にか男の子が目の前に現れた時はちょっと驚いた。男の子は鼻をヒクヒクさせて、何か匂いを嗅いでいるような仕草をしていた。何をしているんだろう、と不思議に思った。おい、と声をかけようとした次の瞬間。

 男の子が私の髪に顔を突っ込んで、匂いを嗅ぎ出したのだ。私は「何するんだ」とか「やめろ」とか言いながら男の子を振り払った。


 男の子は私を見据えて、こう言い放った。

「お前、面白い匂いだな」

 そして白井修二と名乗った。


 今同じことをされたら、私自らによる百叩きの刑をくらわせる。警察に突き出した後、極刑を要求する。

 とはいえ小学一年生にそこまでの羞恥心などあるわけもなく。その時は特に恥ずかしがることも怒ることもなかった。


 これが修二との初対面だった。彼はこれを機によく私に絡んでくるようになった。






 彼は同じく一年生の遠山弘樹とおやまひろき斉藤花蓮さいとうかれんと仲がよかった。修二と弘樹は小学一年にして既に悪友同士といった関係だった。花蓮は弘樹と同じ幼稚園だったらしく、繋がるように私たちの交流は始まった。四人だったり、三人だったり、二人だったり、私たちはいつも一緒に遊んでいた。

 あの時はよかったなどと懐古する気はないが、それなりに楽しい日々だったと思う。


 私たちの中心にはいつも修二がいた。ぶっきらぼうで減らず口の絶えないやつだったが、彼には不思議な魅力があった。

 なんというか価値観が独特だったり、言動が他の子とあまりにも違ったりで、少なくとも私は面白いと思っていた。木綿豆腐と絹豆腐の違い、ビデオのVHSとベータの違いについての熱弁だったり。

 小学生だった自分がそんな話理解できるはずもなかった。だが彼と話したり遊んだりするのはどこか新鮮さを感じさせた。


 修二は鼻が効くことをよく自慢していた。実際その通りで、それに助けられた子も何人かいた。お気に入りの鉛筆を無くしたとか、どこかでハンカチを落としたとか。修二はすぐに見つけてきた。

 かくれんぼで鬼になろうものなら、ものの数秒でみんな見つけられてしまった。曰く「匂いで大体わかるのです!」とのこと。程なく修二には鬼禁止令が施行されることになった。






 修二と仲良くなったのにはもう一つ理由があった。

 彼は無類の犬好きだった。当時、私の家ではコータという柴犬を飼っていた。彼がそれを知ると「純!お前の家、行ってもいいか!?」と、やたら強く迫られた。お互いの家が近いこともあって、特に断る理由がなかった私は「構わない」と短く返答した。


 コータと修二はすぐに打ち解けた。家の庭先でなでてやったり、抱きついたり、滅茶苦茶にじゃれ合ったり。その様子は本当に楽しそうで、私もそれを面白がった。帰る頃には修二は泥んこになっていた。それを見て私はまた笑った。

 修二はよく家に遊びに来るようになった。


 その内彼は「コータと散歩に行かせてください!」と母に頼むようになった。「近くの公園までならいいか」と許可が下りた。フリスビーやフンの処理道具を持って、私も散歩についてまわった。庭よりも遙かに広い空間で、全力で自由を謳歌する一人と一匹。

 微笑ましく、どこか尊い時間だったように思う。






 学年が変わるなどの節目で、将来の夢をクラスで発表することが何回かあった。花蓮はケーキ屋さん、弘樹は野球選手。うーん、実に子供らしくてかわいらしい。

 当時の私は本当につまらない小娘だったもので、専業主婦とか適当に誤魔化して発表会をしのいでいた。

 そんな中、修二の夢は一貫して警察官だった。

「警察官であります!」

 ビシッと敬礼する修二はいつも誇らしげにしていた。


 修二の夢の理由は、いつもの通りフラフラとからかうようなものだった。

「宇宙人に洗脳されて、そう頭に刷り込まれたから」とか。

「儲かる職業No.1だと校長先生に教わったから」とか。

 何を適当言ってるんだか、とみんなで呆れかえった。だが三年生に上がった時の彼の言葉に、私は少し動揺した。


「好きな人の憧れが警察官だから」

「えー、修二くん好きな人いるのー」

 周りの子は寄ってたかって面白がっていたが、私は内心穏やかじゃなかった。どうせいつもの戯れ言だろうとわかっていても、なんだか胸の辺りがモヤモヤした。

 今まで感じたことのない感情に整理がつかなかった。お前のせいだ!と修二を睨み付けた。私の視線に気付かず、周りの子に質問攻めにあっている修二。ニヤリとして「ノーコメントで」とか返していた。

 キザ野郎だ、阿呆だ、こんなやつが警察官になれるものか!と、心の中で吐き捨てた。






 学年が上がると変化したこともあった。私の中にも人並みに羞恥心が芽生え始めたのだ。あの最悪の初対面の日から、修二はたまに私の匂いを嗅ぎにきた。

「お前、面白い匂いがする」

 とは修二の言葉だ。

 

 なんだそれは。


 一、二年生の時は特に不快感などはなかった。こいつ何やってんだろう、と思いながら適当に追い払っていた。いつの頃からかこの行為がなんだかむず痒くなり、いけないことをしているように感じられてきた。

 当たり前だ、冷静に考えてみろ!人の匂いを好んで嗅ぐという変態行為。私は修二が近づいてくると身構えるようになった。








 そんな感じで私たちの充実した日常は過ぎていった。信じて疑っていなかった。幼馴染三人と愛犬に囲まれて、この街で笑い合いながら普通に大人になっていくんだと。だから小学三年生のある日、その話を聞いて私はひどくショックを受けた。

 修二の転校の話だった。


 修二は両親の仕事の都合で、四年生に上がる前に引っ越してしまうらしかった。クラスで担任の先生がそう告げた時、えー!と教室中から声が起こった。当の修二はぽかんとしていた。

「え?俺って転校するのか?」

「いや、なんでお前が知らないの!?馬鹿か!?」

 とかなんとかやり取りしていたようだった。だが私の耳には何も聞こえていなかった。


 私は動揺した。悲しい気持ちにもなっていたかもしれない。引っ越しの日まで修二、花蓮、弘樹と変わらず遊んでいた。なんだか心がかき乱されてる気がして、私はあまり楽しくなかった。

 それでも修二は相変わらず家に来て、コータと楽しそうに転げ回っていた。その様子を眺めて、少し腹を立てたりもした。私はこんなに悲しんでるのに、お前は何も思わないのか。そう非難したかった。

 無邪気に笑う彼を睨んで、寂しい気持ちになった。






 あっという間に引っ越しの日になった。花蓮、弘樹と修二を見送る約束をしていた。だが私は修二に会うのが怖くて家から出られないでいた。早く行かなきゃ、と思っても体が動かなかった。そこへ花蓮、弘樹が家にやって来た。

「やっぱ家にいたかー…」

「純!アンタ何やってんの、さっさと行くよ!」

 二人は私が家に引きこもっていることを見越して、迎えに来てくれたらしかった。促されるままコータを連れて修二の家に向かった。


 修二と彼の家族は家の前にいた。彼の両親は最後の荷物を車にセットして出発の準備をしていた。

「さらばだ諸君!祝福の鐘を鳴らしてくれ給へ!」

「お前こんな時くらいちゃんと挨拶せんか」

 弘樹が修二の頭をはたいた。

 そんないつも通りのくだらないやり取りを見ていたら、私はついに我慢できなくなって泣き出してしまった。

「ちょっと修二!アンタのせいで純、泣いちゃったじゃん!」

「お、俺のせいなのか…」

 花蓮が非難すると、修二は珍しく動揺したようだった。

「当たり前じゃない、早く声かけてあげなさいよ!」


 修二は私に向き合って気まずそうに口を開いた。

「らしくないな」

「…お前こそらしくない」

 小娘を泣き止ませるように声をかけてくるなんて、ぶっきらぼう男らしくなかった。


「お前が泣いてるところを見るのは初めてだ」

 修二がニヤリと口元を歪ませた。私は顔を伏せてしまった。

「…バカ修二」


 修二が歩み寄った。

「純のことは、忘れない」

 修二はそう言ってうつむく私の頭に顔を付けて、クンと鼻を動かした。


 その後彼は花蓮、弘樹、それからコータに声をかけた。糖尿病には気をつけろだの、保健所の世話にはなるなだの。

 まったく、最後までふざけた男だと笑い、ようやく私は泣き止んだ。






 白井修二は変なやつだった。

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