3章16話 裏切り

アリオクと別れたシークは、再びシエラの娼館を目指す。

歩きながらアリオクの語った物語を考える。

願いを持つことが魔法の第一歩であるように。願いを持つことが未来をつかむことの第一歩なのだとしたら。

シークとシエラはなんと離れた存在であることか。

シエラは毎日一歩づつでも進んでいる。

シークはただ同じ場所から動いていない。

このままいけば二人の距離は遠く離れたものになるだろう。

シークはシエラとの未来を願っている。だがそのために行動をしていない。

そんな自分にシエラの隣にいる資格はあるのだろうか?シークは自分に問いかける。

そして娼館にたどり着く。

まだ多少はお金がある。

シークは店主のいるカウンターに小銭を乗せる。もう夜も更けている。これから朝くらいの時間までならシエラといれる値段だ。

シークの後ろからほかの客が入ってくる。

シークは後ろを振り返る。この娼館でほかの客に出くわすのは珍しい。シークはそして振り返ってからさらに驚く。さびれた場末の娼館を訪れるにはその人物は身なりがよかった。

おそらく坑夫ではない。魔具技師だ。

「303号室だ」

その現れた客がシークの隣で部屋の番号を言う。

シークは耳を疑う。それはシエラの部屋の番号だった。

シエラは娼婦だ。もちろん客をとる。

だが不愛想でそこまで美しい顔立ちとはいえないシエラを指定する客は少ない。シークはその時点で不吉な予感がする。

「悪いな。今こいつがその部屋に行くと言っている」

店主が哀れなものを見る目でシークを見る。

「なら、俺のほうを優先すべきだな?シエラを身請けするのは俺なんだから」

魔具技師が堂々と言う。

「それもそうだな」

店主がうなずき返し。シークは恐れたことが現実になったのだと知る。

「シエラ、が?」

シークはからからののどから絞り出すように聞く。

こうなる日が来る気はしていた。

だがその前にシエラの口から教えてほしかった。こんな形で知るのはひどく残酷な裏切りの気がした。

「そうだ。シエラから聞いていないのか?俺はヒューイ―」

ヒューイ―がシークを見据えていう。

「だが、シエラを、なぜ選んだ?」

「彼女には稀有な才能がある。お前もそれは知っているだろう」

ヒューイ―の言葉にシークは胸をえぐられる。知っている。それはシークだけにあかした秘密だと思っていた。

「歌を聴いたのか?」

「いや、歌を教えた。彼女はそれを数度でそらんじて見せた。分かるか?そのすごさが。ルーンの発音を一瞬で記憶して再現したんだ」

ヒューイ―の言葉に熱がこもる。

ルーンの魔法の言葉の再現。確かにその発音はどんな言語にも似ておらず。習得に時間がかかると聞いたことはある。

ヒューイ―が好きなのはシエラではない。彼女の才能だ。シークはそう言いたかった。だがそれも負け犬の遠吠えだ。

シエラは彼を選んだのだから。自分ではシエラをここから連れ出すことができないのだから。シエラには選ぶ権利があるのだから。

シークはそう思い。苦い思いをかみしめ。何も言わずにその場を去った。


シークが歩き出すころには東の空が白んでいた。

シエラとあの絶景の朝日が見たかった。もうそれは叶わないのは分かっていた。

シークは何もする気が起きなかった。

このまま家に帰って寝てもいい。

だがそうすればずっとシエラのことを考えてしまうことは分かり切っていた。

シークはポケットに入れた神の薬を握りしめる。いっそぼんやりと暗い気持ちをやり過ごせたらいいのかもしれない。

だがシークは、薬を取り出さなかった。

こういう時は、何も考えずに済むように、仕事に行くほうがいい。

だからシークの足は、坑道への入口へ向いた。

アリオクとは待ち合わせをしたわけではない。だがお互い、仕事を始める時間は決めてあった。

だから、坑道へ続くフロウトに並ぶ列にシークは並び。アリオクが来るのを待った。

朝早くだが、相当な数の坑夫が列をなしている。基本的に坑道に潜るのは列に並んだ順だ。

それでも同じ組のものが先に並んでいれば、あとから来た同じ組のものはその列に横入りすることが許されている。坑道には三人一組で入ることが決まっているからだ。

今はシークの組には二人しかいない。だが一人いなくなっても、いずれ補充される。

それまでは、かけた人数で潜ることは許可されている。

アリオクはあとからやってきて、すぐにシークを見つけて列に並ぶ。

「何か、あったんだな」

アリオクが言い。シークは涙を見せまいと、ただうなずいた。

アリオクがあきれたような、ため息をついて。

「どうしたんだ?」

「シエラが、他の男と一緒になる、と決めたんだ」

シークが声をふりしぼる。泣くまいとしていたのに、声が裏返った。せめて涙をこらえる。

「神の薬を飲むといい。休息も時には必要だ。今日は仕事を休んでもいい」

アリオクがシークに気を遣う。苦虫をかみつぶしたような顔をしているから勘違いされがちだが、アリオクはいつも優しい。

「ありがとう。でも神の薬は、飲まない。この痛みは、きちんと受け入れるべきだと思うから」

「シークらしくない、な。あるいはシークらしいと言えるのか」

アリオクが言った意味をシークは理解できない。

「どういう意味だ?」

「肝心なところで、逃げない、ということだ」

アリオクが言って、その思わぬ優しさにシークは余計に涙が出てくる。歯を食いしばってこらえる。

「俺は、あの希望と絶望の説話の末っ子みたいにはできないけどな」

「いいや。現実と戦って見せた。お前は、立派な戦士だ」

アリオクがシークの背をたたいた。一族を導くために育てられただけのことがある。アリオクはシークが問題にあたると、さりげなくアドバイスしたり、気を使ってくれる。アリオクが同じ組でよかった、とシークは心から思った。

時間が来て、坑道が開く。

カギを持つ警備責任者が到着する。カギは三人の人間に分けられて与えられている。

坑夫の三人組と同じように。三人の組。

それはすなわち、誰か一人が勝手に坑道に潜れないようにするための措置。魔力クリスタルを密輸しようとすれば、三人共謀しなくてはならない。

そして、誰か一人でも密輸に関与すれば、残りの二人も死刑となる。そのうえ、共謀した三人のうち一人が罪を密告すれば、その一人は許されるだけでなく大金が与えられる。

三人のカギを持つ者たちは、巨大な円形の演習場にある小さな円の上に立つ。

その円には緻密な魔方陣が彫り込まれている。東西南北に一つずつ置かれた、坑道への魔法エレベーターだ。

魔法エレベーターは人を乗せて昇降するものであり。夜に坑道が閉じるときにはこうして蓋のように坑道への通路をふさぐのだ。

それが、今の四大広場の元となっているのだ、とシークの視点で過去を見ているシオンが何気なく思い出す。もう地下へ降りる魔方陣は失われていて。土魔法で動かないようにしっかり固定してあるとも聞く。

カギを持つものが定められた三点に立つと、地面の穴にカギを差し込む。

そこから光の筋が走り、魔法エレベーターの魔方陣の文字が光を帯びる。光が魔方陣のすべてにいきわたると坑夫たちが、エレベーターに乗ることが許される。

動き出した列に合わせてシークとアリオクも進む。

「今日はどこへ行く?」

シークがアリオクに聞く。アリオクがいつも行くべき場所を知っている。シークはただついていくだけ。シークは今更ながら、自分が何もその行動を決めていないのだな、と心のすみで思う。

「奥から響く音色がある。そこへ向かおう」

アリオクが言い、シークたちはかなり下の層へ向かう。

アリオクが下りたのは六層だった。

アリオクの先導でシークは奥へ進んでいく。途中からアリオクの表情が変わった。何かに陶酔するような、何か甘美な音色を聞いているような。そんなうっとりとした顔になる。

いつも苦虫をかみつぶしたような顔のアリオクが珍しい。

シークは隣を歩きながら思うが、アリオクは自分ではその自覚がないようだ。

「今日はシークはここ、私はこちらを掘るのがいいだろう」

アリオクが言う。別にシークとアリオクで別々の場所を掘ること自体は珍しくない。

今日はいい音色が聞こえているのかもしれないな。とだけシークは思った。

そしてもし、大きな魔力クリスタルを見つけられたら。シエラを取り戻すことができるのではないか。そんなあさましい願いを抱いたが、振り払う。

そのあたりはいつもより、暗い坑道だった。最近掘られた場所なのだろう、天井に支えのルーンがない。

シークはシエラのことを忘れたくて。一心不乱につるはしをふるう。

暗い閉ざされた闇の中で。行く先もなく。同じ動作を繰り返す。つるはしをふるう音だけが響く。ここで大きな魔力クリスタルが見つかるなら。シエラを自分が引き取れれば。シークはつい、願ってしまう。

「もう昼だ。休憩にするぞ。あまり根を詰めると後がつらいだろう」

あまりに集中していたので、昼にアリオクに声をかけられた。

アリオクは、いつもならシークから話を聞きだすことが多い。そうしてさりげなくシークの相談に乗ってくれる。

だが今日は黙々と昼食を食べる。

「こちらにはよい鉱脈がなかった。休憩後は、俺もこちらを掘る」

アリオクが言い。地面にあぐらをかいて、座り、目を閉じる。

アリオクの日課の瞑想だ。心の耳を整えて、鋭くすることができるのだという。

「俺は用を足してくる」

シークは言い、立ち上がる。

坑道では便所は決まった場所にある。坑道の衛生を保つために、坑夫は、必ず定められたトイレに行くことになっている。

シークは坑道を進みながら、ちらりとアリオクが掘っていた方向を見る。見るともなしに、アリオクの印を見てしまった。

シークはアリオクのほうを振り返る。彼はまだ瞑想をしている。

印、はアリオクの使うルーンの文字であり。アリオクが一度いた場所に迷わずにたどり着きたいときに使うものだ。

よほどいい鉱脈を見つけた時に一度使っていたのをシークは知っている。

導き手であるシークは図面を覚えるのが得意だ。アリオクはシークがその印を覚えているのを知らないのだろう。

シークは鼓動を押さえつけながら、息を整えて進む。

そして一つ先の道で折れて、もとの方向へ戻る。

そちらはトイレの方向ではない。

アリオクの掘っていた場所へ向かうほかの小さな道があるのをシークは知っていた。アリオクに気が付かれないように静かに進む。

アリオクの魔の耳は魔力を聞き取るもの。魔力であふれたこの坑道は魔法の音に満ちている。だから、音を聞き分けるのが困難なのだという。

だからアリオクはまだ大きな魔力クリスタルを見つけたことはない。だが、もしかしたら、とシークは思った。アリオクを疑うのは悪い気がしたけれど。

すると突き当りにまた、アリオクの印が刻まれていた。

その道の先はつるはしで削られた岩がいくつかおかれている。

それ自体は珍しいことではない。坑夫たちは、鉱脈がほとんどない場所を示すのに、岩でその場所を覆っておくことがある。

それでも、鉱脈のないところにわざわざ印をつける。そのことに違和感がありシークはその岩をどかした。

先には空洞。かなり広そうだ。

シークの息がつまる。

坑夫たちに伝わる噂がある。クラウドナインの地下にはいくつかの空洞がある。

そのなかには魔力がたまる場所があり。空洞の中心には巨大な魔力クリスタルができるのだと。

シークは岩をどかして空洞に潜り込む。少々狭かったが人ひとり通れるぐらいの大きさがある。

シークは持っていた魔力の灯りを空洞にかざす。

きらめく巨大な魔力クリスタルが輝きを返す。

まるで玉座に据えられているかのように。空洞の中心に魔力クリスタルが据えられている。

シークは夢のような光景に呆然とする。

そして我に返る。

この大きさなら、シエラを引き取って暮らせる。

だが、アリオクはこのクリスタルの存在をシークから隠した。シークを裏切ったのかもしれない。

シークは黙って、アリオクのもとに戻る。

アリオクはきっと、今日中にシークに見つけたクリスタルのことを話してくれる、はずだ。と信じたい気持ちがあった。

だから黙ってアリオクとともにつるはしをふるった。だがアリオクは待っていても、そのことを言わなかった。

きっと鑑定の間でいうに違いない。シークはまだ、アリオクを信じていた。シークを驚かせようとしているのだ、と。

だが鑑定の間でも、そのことを口に出さない。シークも人の目と耳が多い場所で見つけたクリスタルのことを言い出せなかった。

そして何も言えないうちに、地上に出た。

シークはどうすればいいのか、分からなかった。魔力クリスタルのことを密告すれば。アリオクが死刑になる。坑夫が三人組なのは密輸をすれば連帯責任、密告をすればクリスタルの値段に上乗せして大金が支払われる、という制度のためだ。

人は二人なら共謀しやすい。だが三人で意見が合うとは限らない。そして密告したほうがおいしい目にあうのだ。いやな制度だが、機能としては申し分ない。

アリオクは、おそらく魔力クリスタルを密輸するつもりだ。とシークは思う。なぜなら、アリオクの話してくれた希望と絶望の逸話。その中で、三兄弟はクラウドナインの地下をさまよった。先住民にしか知られていない、秘密の入り口があるのではないか。それならクリスタルの密輸も可能なはず。

密輸を密告すれば、シエラを引き取り暮らしていける。いや、あの巨大なクリスタルにさらに密告で大金を得られるなら。シエラとともに世界を旅することだってできるかもしれない。

だがシークはきっと、どんなにその生活が楽しくても。楽しいがゆえに死んだアリオクを思い出すだろう。

シークのことを戦士だ、と言って慰めてくれたアリオクのことを思い出す。彼とは三年間同じ組だ。その間いつも精神的に支えられていた。

アリオクを裏切りたくない。だがシエラのことも裏切りたくない。

シークの前にどうすればいいのかわからない選択肢が二つ、現れた。

そのどちらかを選ぶ。

自分にその決断ができるのか。シーク自身にもわからなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る