大規模な落雷があってから、ここはゲームの世界となったらしい
香居
午前の休憩時
実は私はゲームのモブキャラである、という話を同僚の佐藤に話したら笑われた。
笑われたというより、爽やかに相づちを打たれた。
というほうが正しいけど。
人気のない自動販売機。
その横の壁際に設置された、背もたれのないベンチに並んで座った佐藤と私。
佐藤は長い脚を組み、缶コーヒーのフタを開けた。
カシュ……という音を含め、CMみたいな光景だ。
白のYシャツ姿が眩しいよ。さすが我が社の〝王子〟だね。
「何?」
ほんのわずかに首を傾げる様もCM……違うな。
アレだ。
主演の可愛らしい女優さんと、恋に落ちたりする、アレ。
「何でもないよ」
すまんね、社内外の佐藤ファンの人たち。
今、この美青年かつ好青年の横にいるのは、美人女優じゃなくて地味〜なモブキャラだよ。
まぁ、社内の休憩時に女優も何もないけど。
私は買ったばかりのドリンク缶を開けもせず、両手で握りしめた。
私も、飲みたいのはやまやまだよ。
休憩時間だし、喉も乾いてるし。
でもさぁ……
「……また青汁買っちゃったよ。これで三回目だよ。いや、うっかりしたのは自分だけど。最近の青汁は美味しいけど! でもさぁ……今は、はちみつレモンの気分だったんだよね。何で、はちみつレモンの隣に青汁置くの? 何で青汁とはちみつレモンとレッドベアーが並んでんの? 青・黄・赤って、信号機じゃん。わざと? 配置の人、狙ってやってんの? 買う側に何を求めてんの? エナジーを補給する的なやつなら、何でも良くない? みたいな? 今日の青汁はアレかな。モブはこれでも飲んでなよ、っていう天啓──って、そうそう。夕べの雷すごかったね」
「そうだな。怒涛の一人ツッコミおつかれ、白石」
佐藤は脚を組んだまま、清涼感のある笑顔で缶をゆるく振った。
優雅にコーヒーを飲みながら、鑑賞してました……って? 絵になるなぁ。
「独特の観点が勉強になったし、楽しませてもらったから、お礼は、はちみつレモンで良いか?」
「相変わらず良い人だね、佐藤は。気持ちだけもらっとくよ。ありがと」
「そうか? 遠慮しなくていいんだぞ?」
「楽しんでくれたなら、何よりだから。口に出せない心の声だったからねぇ」
「出してたよ。思いっきり出してた」
佐藤が苦笑した。
「はは。妙なもの聞かせてごめんね。佐藤の前だから、気が抜けたのかも。何か居心地良いからさ」
入社前のプレ研修で知り合ってから、まだ三ヶ月くらいなんだけど。
業務以外は、一緒にいることが多いからかなぁ……
なんて考えてたら。
「…………」
佐藤が固まってた。
「何その反応。『モブごときが、おこがましい』って?」
私の返しにハッとした佐藤。
「違う! 違うから!」
「全力否定が、逆に怪しい」
「だから、違うって!」
必死の形相に、からかい過ぎたかなと反省した。ちょっとだけ。
「わかってる。言ってみただけ。佐藤はそうこと言う人じゃないって、わかってるよ」
「えっ……」
また固まった佐藤。
……どんな表情も、絵になるなぁ……
私は感嘆しながら、見上げる角度にある整った顔を見ていた。
夕べの大規模な落雷で、天啓だか何だか知らないけどモブキャラに任命された私。
そんなもんわざわざ任命するなよ、と思わなくもなかったけど。
ここがゲームの世界となってしまったからには、何らかの役を割り振られるのかもね。
モブの中のモブと言っても過言じゃない私には、的確な役割であることはたしかだよ。
モンスターとか出て来ないこの世界で、相手のステータスが見られるモブとか、何の意味があるのかとは思うけど。
今朝、佐藤本人に許可を取って見せてもらったステータスは──
佐藤【レアキャラ】
体力 SS+
知力 SS+
…………
何項目もある中、ほとんどが〝SS+〟だった。
あの能力値の高さは、伊達にレアキャラじゃないね。
ただ、行動力が〝B〟っていうのは納得できない。
新人枠でも、営業成績トップクラスなんだよ。その佐藤が〝B〟だったら、他の人のステータスはどうなるんだろう。
まぁ、とりあえず言えることは。
こんなキラキラしい人が、普通のキャラポジションなわけないよね。
ってこと。
佐藤は、小顔で、色白で、美人で。
男前だけど、男くさくなくて。
さらに、仕事ができて、男女問わずモテモテで。
何だろうね、このハイスペック感。
「……だから、レアキャラなのか……」
佐藤から青汁の缶へ視線を移した私は思わず呟き、納得した。
レアキャラは、うっかり青汁を買うようなミスはしないだろうし。たぶん。
天は二物を与えずどころか、手当たり次第詰め込んだんだね、きっと。
「ここが異世界じゃなくて良かったね」
私は、目線より少し上にある佐藤の肩を、ぽんぽんと軽くたたいた。
香る柔軟剤とか使ってるのかな。
匂いも爽やかとか、何なの。
「いたわってくれてるのは伝わってきたけど、話が見えない」
佐藤が困ったように笑った。
「佐藤がハイスペックすぎて、えーと……そう、チートキャラ、みたいな! だから、異世界だったら、勇者みたいな立ち位置にさせられて、モンスターとか倒さないといけなかったかもって」
「俺、ハイスペックじゃないよ」
「謙遜は美徳だけど、佐藤レベルだと逆効果だよ」
「そう……なのか? ごめん」
「謝らなくていいけどね。自覚無いっぽいし」
私は肩をすくめた。
佐藤みたいに絵にならないのは、わかってるよ。
さて、気を取り直して。
「……何の話だったっけ?」
「自分で始めた話を忘れるとか……」
「おやおや佐藤クン。呆れ顔も美人じゃないかね」
「それ、何キャラ?」
「だからモブキャラだよ」
何度も言わせるなよ。悲しくなるじゃないか、佐藤クン。
そして、何の話かという私の問いをスルーするなよ、佐藤クン。
「夕べの雷な」
「あれ? 読んだ? 心読んだ?」
すごいね、レアキャラ。
「いや、白石がわかりやすいだけだから」
「そうなの? 『わかりにくい』って言われる確率のほうが高いんだけど」
「……それは……あれだよ。……俺が……しら……」
「え? 何? ごめん。よく聞こえない」
隣に座ってるはずなんだけど。
もうちょっと寄ったら、聞こえるかな?
「白石……っ! 近い! 近いって!」
なぜか真っ赤になり、手をこっちに伸ばしてきた佐藤。
「……佐藤クンよ……私の低い鼻を、さらに低くする気かね……キミは……」
ぐいぐいと顔を押された私。
大きな手の中で、ふぅ……と、ため息をつくと、佐藤の手がビクッとして、慌てたように離れていった。
「ごめっ、ごめんっ!」
私の顔から離した手を自分の胸の前で押さえ、湯気が立ちそうなほどの茹で蛸色で、そのセリフ。
「乙女か」
「いや、違っ」
「じゃあ、乙姫?」
「『乙』つながりで、思いついたこと言っただけだろ、それっ!」
「よく、おわかりで」
叫ぶ姿が可愛らしいですなぁ、佐藤クンよ。本当に乙女みたいだ。
そして、遠くから聞こえる慌ただしさは何だ……と思ったら。
「あと八分……」
私は腕時計を見て、ため息をついた。
休憩時間は、あっという間だね。
冷え冷えだった青汁の缶が、私の手の中でだんだん温まっていくのを感じるよ。
「続きを話したいんだけど、お昼休みにしたほうがいい?」
あんまり時間ないし。
佐藤もアワアワしてるし。
「いや! 今! 今しよう!」
「うーん。言い方が……」
「えっ!?」
「良かったねぇ、キミが佐藤で。部長だったら、完全にアウトだったよ」
私がマウンドに立っていたら、三球で三振を取った上に退場させてやったよ。部長だったらね。
「はっ!? えっ!?」
「いや、わかってないんかい」
私の投球、思いっきり見逃されたんだけど。
私が暴投したみたいなんだけど。
この無自覚な人、どうしたらいいかな。
「佐藤はさぁ。その顔と発言、もう少し自覚したほうが良いよ。ってことで、話を戻すけど。夕べ、すっごい雷落ちたじゃん?」
「……語彙力……」
「偏差値七十六の人から言われると、刺さるわ〜」
「あっ、いや、ごめん!」
「ちょっと。大丈夫だから、本気で謝るのやめてよ。そっちのほうが刺さるわ」
〝雷〟から、まったく話が進まないし。
「今朝から何となく、近所の人も部署の人も、印象が薄い人が増えた気がするんだけど。あの雷のせい? 私の気のせいかな?」
「……気のせいじゃない、と思うぞ……」
ようやく、さっきの自分の発言に気づいたらしい佐藤が、気まずい様子でスマホを差し出してきた。
そうそう。
勘違いする子もいるからね。
自覚は、おおいにするがいいさ。
「私、自分の持ってるよ」
「白石……『うっかりロック掛けちゃったから、ショップ行くまで使えない』って、朝言ってただろ」
「あっ……!」
忘れてた。業務中は、社内電話があるから困らないし。
「俺ので良ければ使えよ」
「悪いから、いいよ」
「いいから。これで、この街検索してみろって」
私の片手にスマホを乗せた佐藤は、自分の腕時計を指でトントンと示した。
……はいはい。時間なくなるよ、ってね。
「『伊藤市』って入れればいいの?」
「そう」
「じゃあ、ちょっと借りるね」
いまだに開ける決心がつかない青汁缶を横に置いて。
ぐーぐる先生に、県名と──
「い・と・う……」
「街の説明文、変わってるから」
「は? 何言ってんの?」
「やっぱり知らないと思った」
「あれ? バカにされてる?」
「してないから」
見てみな……って、検索ボタンを横からタップした佐藤。
まー、長い指ですこと。
切り替わった画面を見た私は──
「……え?」
伊藤市──市の名称は伊藤だが、十歩歩けば佐藤に当たる。
「何これ?」
何この微妙な格言みたいなやつ。
「うん。微妙だよな」
「私、口に出してないけど」
「顔に書いてあった」
「えっ、読めるの?」
「白石の表情だから」
「へぇ〜、すごいんだねぇ。レアキャラの能力って」
「……通じてないし……」
「何が?」
「……何でもない」
とか言いながら、ガッカリしてるけど。
肩が、あからさまに落ちてるんだけど。
「……住宅地図も、拡大できるから……」
……絶賛ガッカリ中でも説明を忘れないのは、キミの素晴らしいところだよ、佐藤クン。
心の中で偉そうに言いながら、指示どおりに自宅周辺の地図を、指で広げてみた。
「……んん?」
佐藤、佐藤、田中
佐藤、佐藤、前田
佐藤、佐藤、佐藤……
「明らかに、『佐藤』多いよね?」
我が家も──白石家も、ちゃんとあったけど。
「説明文どおりだろ」
伊藤市──市の名称は伊藤だが、十歩歩けば佐藤に当たる。
「あぁ、たしかに」
「他の地区も見てみろよ」
「ん」
画面をスクロールしてみたら、六割……七割? くらいの確率で『佐藤』を目にした。
この佐藤率だと、今、この街には佐藤さんが溢れてるってことだよね。
次の佐藤さんまでに、十歩もいらない気がするけど。
「社内も、佐藤さんが増えてるんだぞ」
「え?」
増殖してる『佐藤さん』?
増殖してる……
「……あ。もしかして、あの薄い顔の人たち、みんな『佐藤さん』?」
私もたいがい地味顔だけど、その私から言われる「薄い顔」とか、相当だからね。
私、モブキャラのはずなんだけどなぁ。
〝モブキャラ〟の定義が、よくわからなくなってきたよ。
「『印象が薄い人』と『薄い顔の人』は、意味が違うんじゃないか?」
「細かいこと言うなよぉ、佐藤クンよぉ」
「それは、何キャラ?」
「だからモブキャラだってば」
何度も言わせるなってば。本当に悲しくなるじゃないか、佐藤クン。
佐藤は苦笑してから、
「まぁ……今のところは、業務に差し支えないから、良いんだけどな……」
小さくため息をついた。
あぁ……佐藤も『佐藤さん』だもんね。
異彩を放つキラキラ具合の『佐藤さん』だけど。
業務と言えば。
「朝から『営業二課の五の佐藤』とか、『庶務の七の佐藤』とか聞こえてくるから、何だろうって、ちょっと思ってたんだけど。あれ、識別番号みたいなものかな」
みんな似たような顔の『佐藤さん』だから、顔で識別は無理っぽいし。
「ネームプレートに、そのまま書いてあるぞ」
「『営業二課の五の佐藤』って?」
「そう」
「へぇ」
「見てないのか?」
「業務に差し支えないから」
「白石……」
佐藤は複雑そうな顔をした。
でも他の人みたいに、
『ノリは良いけど淡白なところもあるから、いまいち掴みづらい』
とは言わなかった。
「私、自分の行動範囲内で手一杯の人だからさ」
スマホを見つめる私。
画面の中にも溢れる『佐藤』の表示。
「他の人は、どうあっても……」
私は顔を上げ、
「今は、佐藤とこうやって喋れてるから、良いかなって」
佐藤に向かって笑った。
「なっ……!」
佐藤は、真っ赤になって絶句した。
こういう状態になったら、しばらく解除されないから、私は見守る……という名の放置。
いや、私もね。
最初はちゃんと声をかけてたよ。
血も涙もある人間だからさ。
ただ、ある時佐藤が、
『……回復するまで、放っといていいから……あの状態で話しかけられたら……抑える自信が……』
とか言ってたんだよ。
真っ赤になって絶句してる状態で、何を抑えることがあるのか……と思うけど。
何かこう、いろいろと葛藤してるらしいから。
今もね。
私は、佐藤から視線を外して、もう一度スマホの画面を見た。
……『佐藤』だらけの街で、レアキャラの佐藤……
「ハイスペック、半端ない」
……って、いやいや。
そういうことじゃなくてさ。
よく考えて、白石。
この地図には、橋爪さんも高橋さんも載ってないんだよ。
ということは……
橋爪さんとこのチヨちゃん(ネザーランドドワーフ・一歳♀)も、高橋さんとこの鶴丸くん(ヨークシャーテリア・三歳♂)も、もうモフれないってこと……?
「……何ということだ……!」
私の至福の二乗が……!
二倍じゃないんだよ!
二乗なんだよ!
チヨちゃんのモッフモフ具合とか、鶴丸くんのサラ艶キューティクルな手触りとか……!
それだけ至福だったんだ!
あのモフモフたちは……!
──ちなみに、わんこに人間用のシャンプーを使ったらダメなんだぞ。
毛をコーティングするために必要な脂まで取っちゃうからね。
必ず、犬用のシャンプーを使ってあげてね。
白石との約束♡
……うん。我ながら、気持ち悪いな。
「白石、どうした!?」
「お帰り、佐藤。無事に戻って来られたようで、良かったよ」
「あぁ、ありがとう。──じゃなくて! 伝説のスナイパーみたいな顔になってるぞ!?」
「いや、由々しき事態が私を襲い──」
「由々しき!? 俺じゃ解決できないことか!?」
尋常じゃない佐藤の必死さのおかげで、冷静さを取り戻したよ、私は。
自分より慌てている人を見ると、ふと我に返るアレね。
「うーん……いくら佐藤がレアキャラでハイスペックでも、これは無理だと思う」
『消えてしまった街の住人を探せ』……とかいうゲームなら、可能だったかもしれないけど。
このゲームのタイトル、違うみたいだし。
……しかし、よりによって橋爪さんと高橋さんが、どこぞの『佐藤さん』とチェンジしてしまうとは……
他の人じゃ、いけなかったのかな?
ヒドイこと考えてる自覚はあるけど、見知らぬ人より身近なモフモフを取るでしょうよ!
モフラーならさ!
「白石の悩みを解決できないなんて、レアキャラの価値がない……!」
突然立ち上がった佐藤は、社外へ向かうための階段へ走りだそうとした。
エレベーターがあるのは、違う通路だからね。
……って、うおぉぉい!
業務!
業務始まるよ!
私はタックルする勢いで、後ろから佐藤を捕まえた。
……腰、ほっそいな、キミ!
よくわからない感動と、逃したらいかんという使命感に駆られた私は、細腰に腕を回して、ありったけギュウギュウと締めつけた。
それが功を奏したのかは知らないけど。
ビクンって魚みたいに跳ねた佐藤は、直立不動の姿勢で固まった。
「……良かったー」
私はホッとして息を吐き出した。
……ホントにね。良かったよ、捕まえられて。業務に遅れたら、あの鬼課長に何言われるか……
新入社員だろうと容赦ないからね、あの人。
佐藤のYシャツの背中越しに、自分の息が返ってきたと思ったら。
「……!!」
また、佐藤の体が跳ねた。
「あ、ごめん。私の息、感じちゃった?」
佐藤の背中に向かって謝った。
……身長差でね。そうするしかないんだよね。
私、コアラでも蝉でもないんだけどね。
「……言い方……」
「何?」
身長差のせいで、聞き取れな──
佐藤は器用に、私の腕の中で体を回した。
「俺に……」
「え……?」
何、その顔……
「俺に、言い方気をつけろって言ったの、誰だっけ?」
「私……だけど……」
佐藤……目が据わってるよ……
整った顔だから、余計に怖いんだけど。
爽やかキャラが、迷子──って、何で佐藤まで、腕を回してくるの?
「白石だけだと、不公平だろ」
「ちょっと意味がわからないんですけど」
思わず丁寧語になるくらい、意味がわからないんですけど。
とりあえずわかるのは、佐藤は脚だけじゃなくて、腕も長いってこと。
何ていうか、こう……
「フィット感、抜群、みたいな?」
私の背中、見事に覆われてるよ。
「……あんまり無防備だと、俺も考えないとな」
「何を?」
やっぱり意味がわからなくて、佐藤を見上げたまま目を瞬かせた。
ふ……と、どこか妖しげな笑みを浮かべた佐藤は、ちょっと屈んで私の耳に唇を寄せると、
「……今、ここで──」
▷ ここで、せーぶする?
▷ それとも、にゅーげーむ?
大規模な落雷があってから、ここはゲームの世界となったらしい 香居 @k-cuento
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