第140話 閑話(あの人は今)

 気が付くと、彼は全く知らない場所に寝かされていた。


 部屋の大きさは、一般的な広めの宿屋ほど。窓は無いが、天井から柔らかな光が降り注いでいる。

 内装は、乳白色やブラウンなど落ち着いた配色で統一されていた。


 彼が寝かされていたベッドに、サイドテーブル。

 クローゼット。

 シンプルな作りのデスク、椅子。


 それだけが、部屋に用意されている。


 奥には扉のような凹みがあるが、ドアノブのようなものは見えなかった。



 何があったのか、どうしてこんなところに寝かされているのか。

 記憶もなく、彼は途方に暮れた。


 そうして数分が過ぎ、彼が意を決してベッドから降りようと、床に足をつけ。

 同時に、部屋にノック音が響いた。


 慌てて、彼は音のした方を振り返る。

 そこは、扉のような凹みのある場所。彼が視線を向けた瞬間、そこが、ひとりでにスライドした。


「……っ!」


 彼は、驚いて息を呑む。

 自動で動いた扉自体もだが、そこから入ってきた人物が、予想外だったのだ。


「目が覚めましたか?」


 鈴の鳴るような声で話し掛け、にこりと可憐な笑みを向けてくるが、彼は生きた心地がしなかった。

 なぜなら彼女は、以前彼が標的にと見定めた少女だったから。



「…つまり、私は、あなた達の組織に拉致されたと?」


「あら、酷いですね。拉致なんてそんな、人聞きの悪いものではありませんよ」


 単に、私達の身を守るために、敵を無力化しただけです。


 彼女は、彼にそう答えた。

 それはつまり、彼が彼女らに敵と見做され、そして無力化されていると、そういう意味だ。


 恐怖に震えそうになる体に力を入れ、彼は頭を上げる。

 曲がりなりにも、潜伏偵察、暗殺を生業にしてきたのだ。自身の感情を制御する術は心得ていた。


 しかし、それで状況が好転するわけではない。

 どう見ても、彼を外に出さない作りになっている部屋。明かり取りの窓もなく、出口は1つだけだ。

 彼女が彼の前に姿を表したということは、世話役兼監視役として付くという宣言だろう。


「安心して下さいね。幸い、私達に被害はなく、まあ、敢えていうならあなたが倒れた所為で少し、会場がざわついたくらいですので。実質の被害がなかったのですから、故意にあなたを害するようなことはしませんよ?」


 クスクス、と実に可愛らしく彼女は笑う。

 当然、彼は笑えなかった。

 今の言葉に、どこに安心材料があるというのか。

 故意に害することが無いというだけで、安全であるとか、守るとか、そういう意味の言葉は全く含まれていないのだ。


「そういえば、あなたの事を教えてくれますか? 私達――いえ、私、あなたの事を何も知らないんですよ。お話しませんか?」

「……」


 そうして、彼は、お話という名の尋問を、見た目は可憐な少女から受けることになった。



 何が楽しいのか、彼の前に座ってにこにこしている少女。

 そんな彼女に対し、彼は先程からずっと、彼のを行使していた。


 自身に対し、僅かに好感を抱くようになるという、ただそれだけの力。


 それが効いているのか、効いていないのか、彼には判断できない。


「あっ。そうだ、そろそろお腹が空きましたよね。ちょっと待っててくださいね」


 ぱちん、と手を合わせて彼女はそう言い、椅子からするりと飛び降りた(少女にとって、部屋に備え付けの椅子は僅かに高いらしい)。トタトタと小走りし、その部屋唯一の出入り口に向かう。


 彼女が扉の前に立つと、その扉はひとりでに開いた。


「あ、こっちも見ますか? 洗面所とかお風呂、台所もありますし」


 彼女に手招きされ、彼はゆっくりと扉に向かう。

 扉の先は、短いものの廊下になっており、すぐ左手は確かに、台所になっているようだった。そして右手に扉、突き当りにも扉が見える。


「左が台所。右はお風呂です。使い方がわからないと思うので、後でまた教えますね。食事は届けられますけど、自分で作ってもいいですよ。好きなようにして下さいね」


 そう言いつつ、少女はテキパキと動き、あっという間にお茶の準備を整えてしまった。


「食事はあと2時間もしたら届けられるので。簡単に、お茶にしましょう。お茶菓子は、今日は特別ですよ。直接森の国レブレスタから取り寄せた一品です」


 手持ち無沙汰に突っ立っていた男は少女に押し戻され、おとなしくベッドに腰掛ける。

 サイドテーブルにさっとティーカップと茶菓子が並べられ、ティーポットは砂時計と共にデスクに置かれた。


「紅茶と言うんですが、飲んだことはあります?」

「…ああ」


「そうですか。実は、この茶葉もレブレスタから直接輸入してきたものなんですよ。滅多に飲めない貴重品です、楽しみにしてくださいね」


 彼女に対し、自分の魔眼は効果を発揮しているのだろうか。

 最初からあまり敵意がなく、距離も近かったため、男には違いが判別できなかった。

 しかし、少なくとも、すぐに男をどうこうするつもりはないようである。何時間になるかは分からないが、尋問という名のお話が続いているだけだ。

 強制的に聞き出すのではなく、自発的に話し出すのを待っている、のかもしれない。


 彼は諜報を専門にする仕事人ではあるが、それは魅了の魔眼頼りの技能だ。話術で言葉巧みに情報を引き出したり、あるいは暴力で吐き出させるような手法には詳しくない。

 せいぜい、相手の顔色を伺って言葉を選ぶのが他人よりうまい程度だ。


「はい、どうぞ。熱いから気を付けてくださいね」


 じっと彼女を覗っている内に、彼の前には紅茶が置かれていた。

 紅茶の良し悪しは分からないが、香りからすると、悪いものでは無さそうだ。


「こんな場所で…」

「毒の心配はしないでいいですよ。毒であなたを害するより、もっと直接的に手を出せる機会なんていくらでもあるんですから」


 そもそも、寝ている間にいくらでも盛れましたしね、と彼女は笑いながらそう言った。

 その通りだったため、彼は諦めて、彼女の用意したティーセットに手を付けるのだった。



 その後数日間、少女に世話される生活が続いた。

 朝に目覚めると、それに気付いた彼女は朝食の準備を始める。そこからは朝の尋問。昼食を挟み、昼間の尋問。夕食後、湯の張られた風呂がひとりでに用意されている。そこからは自由時間らしいが、特にすることもなく寝るだけだ。


 少女からの質問、あるいは説明は多岐に渡った。

 王国の貴族制度から民間治療のやり方について。日が昇って沈むまでの時間、空の月に関する質問。子供時代のエピソードから、森の国レブレスタ人の大衆娯楽について。


 衣食住に不自由なく、暇を持て余すほど退屈でもない。

 しかしそれでも、彼は焦りを募らせていた。


 外部の情報を知る術もなく、接触できるのはこの少女のみ。

 彼の自慢の魔眼も効いているのかいないのか、夜にはかなり好意的になっている雰囲気なのだが、朝には元に戻っている。


 そのため、彼は脱走を決意した。


 狙うのは、少女が出入りしている廊下の突き当りだ。

 彼が前に立っても開くことはなかったが、少女はいつもそこを使っている。

 その先がどうなっているかは伺い知れないが、何もせず、先の見えないこの状況に流されるつもりは無かった。



 夜中。

 彼はベッドから起き上がり、廊下に出る。

 そしてそのまま、崩れ落ちた。


「ヒッ…! カッ…ァッ…!」


 息を乱し、痙攣する。胸を掻き毟り、のけぞり、のたうち回る。


 彼の、渾身の演技であった。もちろん、適当なものではない。こういった監禁状態を想定し、突然の発作の演技は習得している。

 そこらの医者に見せても、早々、演技と見破られることはない。それほど真に迫ったものだった。


 プシュ、と空気の抜ける音がした。


「大丈夫ですか!?」


 廊下の突き当りの扉が開き、中から少女が飛び出してきた。逆光になっており、また発作の演技中ということもあり、少女の姿は彼からは確認できなかった。


 それでも、それは千載一遇のチャンスだ。


「カァッ!」


 気迫を込め、彼は吠えた。

 自身の魔力波動を相手にぶつけ、体内魔力を掻き乱すという荒業。相手がそれなりの実力者であれば、全く通じない児戯である。


 それでも、少女は驚いたように体を硬直させた。

 戦いに身を置く者でなければ、この威嚇には対抗できない。


 彼は全力で床を蹴り、少女を躱し、開いたままの扉に飛び込んだ。



 その扉の先は、淡い光に照らされた大きな空間だった。

 それこそ、小さめのパーティーホールほどの大きさはあるだろう。

 しかし、部屋中に用途不明の何かが大量に設置されている。

 淡い光を発する、板状の構造物。パイプが何本も飛び出した、金属製の巨大な機械。


 彼は、その構造物の間を走る。

 なぜ彼の部屋のすぐ外が、こんな部屋なのか。あの少女は一体、どこから来たのか。


「…あああああっ!!」


 壁に突き当たり、右に曲がる。その先には、ガラスでできていると思しき、巨大な透明の筒が何本か設置されていた。

 中に、何かが入っている。

 それを無視して走ろうとし。


「ヒィッ…!!」


 に気が付いて、彼は飛び退った。ドン、と何かの構造物に、彼の背が当たる。


 ガラス製の、巨大な円筒。彼が両手を回しても、半分にも届かないだろう。

 その中は、どうやら液体で満たされているようだった。底から生み出される小さな泡が、ゆっくりと上がっていく。


 そして、その中身は。


「逃げても無駄ですよ」


 そんな声とともに、彼の右手が掴まれた。少女のほっそりとした見た目に似合わず、まるで万力で締められたかのような強さ。


「……っ!」


 いつもの少女が、彼の手首を握っている。

 何故か少女は服を身に着けておらず、テラテラと、謎の液体を全身から滴らせていた。


 そして、全く同じ顔の少女が、ガラスの円筒の中に浮かんでいた。


「駄目ですよ。あなたは、私達に捕まったんですから」


 ガラスの円筒は、目の前の1本だけではない。何本も何本も、彼の前にそれはあった。その全てに、同じ顔の少女が浮かんでいた。


「さあ、部屋に帰りましょう? また明日も、お話をしないといけませんから」


「う、うわあぁぁーーーッ!! い、いやだああぁぁーーーッ!!」


◇◇◇◇


「…何でホラー仕立てなの?」


はいイエス司令マム

 急遽用意した海上設備に最低限の機能を詰め込むと、あのような形に。

 人形機械コミュニケーターは、スタンドアローンで毎回頭脳装置ブレイン・ユニット分析アナライズ洗浄クリーニングを行う必要がありますので、複数体用意してローテーションさせていました。

 あそこまで怖がらせるつもりは無かったのですが…」


「いや、まあ…。怖いわよ、アレ。いきなり見せられたら。普通にテレク港街に招待しなさい。そうしないと話が進まないでしょう」


はいイエス司令マム。そのように」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る