第3話 腹ペコ司令官

 メディカルポッドによる診断の結果、現在健康状態に問題はなし。内臓機能も人間に準じ、基本的に人間が食べられるものであれば問題なく食べられるとのこと。アレルギー系の問題も確認されず、至って健康体だった。


「栄養剤の備蓄があって、助かったわ……」


 メディカルポッド内に栄養点滴剤の在庫があることに気が付き、彼女はその投与を行っていた。どうせ消費期限は決まっており、在庫も思ったより多かったため、当面はこの投与を継続することにした。とりあえず、餓死は避けられそうだ。


「とはいえ、空腹は紛れないんだけど……」


 意識すると、お腹が減ってきた気がする。彼女はため息を付き、メディカルポッドから立ち上がる。ちなみに、寝転がっても尻尾は特に邪魔にはならなかった。うまい具合に骨格が調整されているようだ。無駄に凝っているな、と彼女は思った。


「<リンゴ>、何か報告はある?」

はいイエス司令マム。回答。現在、要塞内設備を順次起動中。要塞周辺の調査をドローンで実施、少なくとも要塞天頂部から視認可能な範囲に陸地はありません。より高空からの調査は、高空飛行用ドローンの準備ができ次第実施します。要塞周囲の岩礁海域ですが、海藻や魚影が確認できますので、これより採取および調査を行います。作業用ボットを起動中』

「ありがとう、<リンゴ>。問題ないわ。それじゃあ、私は引き続き居住区を見て回るわ……」

はいイエス司令マム。<ザ・ツリー>の運営は、お任せください』

「いいわね。頼んだわよ、<リンゴ>」


 当面の彼女の仕事は、<リンゴ>に作業を割り当てることだ。どうも、精神的に酷く不安定な状態に見えるのである。なんとなく想像がつくのが、人間で言う記憶喪失のような状態か。いままで、つまりゲーム上では単なる演算装置であった<リンゴ>が、頭脳装置ブレイン・ユニットを得たことで複雑な思索行為が可能になった。その過程で獲得した感情が、暴走しているように思えた。現実世界であれば専門家によるケアも期待できるのだが、残念ながら今、この場にいるのは彼女のみ。であれば、彼女が何とか、<リンゴ>のケアをしていかなければならない。


(できれば私も、誰かにケアしてもらいたいのだけど……)


 そうも言っていられない。<リンゴ>の能力で暴走でもされたら目も当てられないし、逆に精神的に引きこもられても命に関わる。こんな何もない場所で、自力で生きていく自信はない。


(こんなことなら、サバイバル関係のゲームも遊んでおくんだったわ……)


 リアルタイムストラテジー系しかやったことがないというのが悔やまれるが、さすがにこんな事態は想定できないため、仕方がないだろう。<リンゴ>は様々な情報がライブラリに保管されていたようなことを言っていたので、サバイバル知識がそこから検索できることを願うしかない。

 彼女は昼白色の照明で照らされる通路を歩く。通路は清潔で、ホコリ一つ落ちていない、ように見える。


(まるで、ついさっきできたばかりみたいな綺麗さ……いえ。実際、そうなんでしょうね。理屈はさっぱり分からないけど、<ザ・ツリー>も、<リンゴ>も、そして恐らく私も、ついさっき、ここに出現した。ということは、間違いなく、ここは、ということだわ)


 彼女はそう思い至ると、まるで足元が崩れ去るような恐怖を覚えた。自分も含めた周囲全てが、蜃気楼のように消え去る幻想。急に現れたということは、急に消えるという可能性も充分に考えられる。


(……。いいえ。私がここで挫けたら、<リンゴ>がどうなるか……。しっかり、しないと……!)


 彼女はぶんぶんと頭を振り、よし、と気合を入れた。分からないことは考えない。今、できることをやる。まずは、今日の寝床の確保から。司令室で生活はできるかもしれないが、なんとなく落ち着かないのだ。仕事場と自室は分けるべきだろう。早速、彼女は司令室から一番近い居住区の部屋の一つの扉を開けた。

 カチリ、とロックが解除される音がし、扉が横にスライドする。


「……。……空、かぁ」


 部屋に踏み込むが、彼女はがっかりと肩を落とした。

 あるいは、と期待していたのだが、残念ながらそれは裏切られた。

 部屋の中には、備え付けと思しきクローゼットと壁付のテーブル以外、何もなかった。ベッドすら無い。大きさからすると一人部屋だろうが、さすがにここで寝泊まりは出来ないだろう。空調は効いているから体調を崩すことはないだろうが、ベッドもシーツも、何もない部屋で寝るのは辛すぎる。


「この分だと、他の部屋も怪しいわね……」


 目につく扉を開けていくが、どこも同じ状態だった。備え付けの家具以外、何もない。当然、クローゼットの中なども全て空っぽだった。食堂と思しき部屋もあったが、テーブル以外何もなかった。椅子すらないのは流石にどうかと思ったが、備え付けという範疇に入らなかったのだろう。何となく、移動可能な家具は用意されていない気がする。


「厨房はあるかしら」


 音声に反応し、彼女に追随するウィンドウにマップが表示された。どうやら、別階層にあるらしい。ついでなので、エレベーターに乗ってみることにする。

 エレベーターホールにたどり着くと、既に扉が開いている。<リンゴ>が気を利かせて移動させてくれたのだろう。どうやら、本当に要塞内設備を掌握できたようだ。


「16階へ」

『16階へ移動します。扉が閉まります』


 音声入力すると、すぐに移動が開始された。恐らく、エレベーター専用の簡易AIが用意されているのだろう。さすがに、こんな細かいところまで統括AIが直接操作するとは思えない。リソース的には、問題はないのだろうが……。


 音もなく移動したエレベーターが、目的階層へ到着した。各階層は同じ作りなのか、大きく書かれた16という表示以外、違いは分からなかった。しばらく通路を歩き、厨房にたどり着く。


(予想はしていたけど……本当に何も無いわね……)


 調理台や流し台、加熱台、大型冷蔵庫などが並ぶ厨房には、何一つ調理器具は存在しなかった。これでは食材が手に入ったとしても、何も調理できない……と思ったが、どうやら自動調理設備はしっかり設置されているようだ。


(ひとまず、何かしら食材さえ手に入れば、加熱調理はできそうね……)


 とはいえ、得体のしれない食材を的確に調理できるのかは謎である。見知った食材が見つかればいいのだが。

 しばらく同階層をうろうろしたが、有益なものは特に見つからなかった。がらんとした部屋が、いくつも続くだけ。薄ら寒さを覚え、彼女は司令室に戻ることにした。エレベーターホールに向かい、待機していたエレベーターに乗り込む。司令室のある階層に降り、そういえば、と思い出し、トイレへ向かった。シャワールームも探す必要がある。


(……。くっ。やっぱり、トイレットペーパーが無い……!)


 わりと重要案件だと思ったのだが、案の定消耗品の類がないことに彼女は肩を落とした。見たところウォシュレット機能は付いているようなので、最悪の事態は免れそうではある。食料のない現状だとお世話になる回数が少なそうなのが、救いと言えば救いなのかもしれないが。


(こういう消耗品類を製造することはできるのかしら……。万能プリンターがあればいいけど、原料マテリアルカートリッジが必要だわ。原料マテリアルカートリッジの在庫なんてありそうにないし、そこから製造が必要となると……気が遠くなりそうね……)


 シャワールームも使用できそうだったが、当然、石鹸類やタオルなども備え付けはない。そう思うと、司令室にベッドがあるのが奇跡に思えてくる。当面、あのタオルケットを使い回すしか無さそうだ。


(そういえば、転移してきたここ、周りに敵性文明があったりすると詰むわね……。偵察用のドローンか、高高度飛行機プレーンでも出さないとまずいかも。後で作戦会議が必要ね)


 ひとまず、彼女は<リンゴ>と情報共有するために司令室に戻ることにした。よくよく考えればその場で<リンゴ>と会話もできる状態なのだが、まだゲーム時代の感覚が抜けておらず、指示出し用の統合コンソールを目指すのだった。

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