俺をあなたの恋人にしてくれませんか?

宮崎

第1話


「俺をあなたの恋人にしてくれませんか?」


 開けた扉の向こうには、なんかすごいイケメンが立っていた。そのイケメンが、めちゃくちゃ悲壮な顔をして唐突な告白。

 なんだこれ。

 女神さまによる、新手の嫌がらせか。


「あの、そういうの、間に合ってます」


 とりあえず、そう返して私は扉を閉め――


「いやいやいや、少しくらいは話聞いてくれませんか!」


 閉められなかった。

 外開きの扉の端に手をかけたイケメンが、渾身の力で阻止してくる。


「怖い! クロ! ヘルプ!」


 思わず叫ぶと、足元にやわらかな感触がすり寄ってくる。綺麗な毛並みのその黒猫は、眠たそうににゃあと鳴いた。


「ちょ、ちょっとクロ? この人追い払うの手伝ってよ!」

「本当に黒猫と住んでるんだ……」


 感心するようなイケメンの呟きが聞こえる。

 クロはもう一度のんびりとにゃあと鳴いてから、答えた。


「久しぶりの客人だ。話だけでも聞いてやれば?」

「喋った……」


 驚いたのかイケメンが扉にかけていた腕の力が緩む。私は力を入れていたままだったので、当然大きな音を立てて扉が閉まった。

 足元を見ると、「あーあ……」とクロが呆れている。


「いきなりあんなこと言う人間、どうしろっていうの」

「どうしていきなりあんなこと言ってきたのか、確かめておけば。ここに来れたってことは、そう悪い奴じゃないさ」


 言われてみれば、そうか。この森で、私に危害を加えることはできない。

 もう何十年もこの家を訪ねてくる人間などいなかったから、動揺してしまった。


 そっと扉を開けてみると、イケメンは困った顔でまだそこに立っていた。




 家に入れるのはなんだか抵抗があったので、私は家の裏手にある木製の立派なベンチとテーブルに彼を案内した。

 野ざらしなのに、作られたときの綺麗な状態を保ってもう四十年くらい。

 二人が並んで座っても余裕がありそうなベンチが二つ向かい合って、間にテーブル。だけど一人と一匹でしかほとんど使われない。

 周囲には小さい花壇なんかを作っていて、ちょっとした庭みたいになっている。


「一つ確認なんだけど……あなたは森の魔女なんだよな? 女神の加護を受け、百年以上を老いることなく生き、この森の番人をし、国王に女神からの伝言をもたらしている」


 向かいに座った彼は、せっかく淹れてやった紅茶には手を伸ばさず、不安げな目をこちらに向けていた。

 私のほうは、彼が持ってきた献上品――もといチョコレートケーキを美味しくいただいている。


「魔女、ね。そう呼ばれているのは知ってるわ」

「実際は違う?」

「ねえ、何のためにここに来たの?」


 彼はしばらく迷って、ぽつぽつと語り出した。


 いわく、彼はいわゆる名家の次男で、この国の第三王女と婚約している。が、あまり身分の高くない家の三男坊が最近彼女に近づき、なかなかいい雰囲気になっているという。しかも周りは応援ムードらしい。


 というのも、目の前の彼、婚約者が王族なことや自分の家が領地経営に大成功で上り調子だってことで、調子に乗りまくっていたらしいのだ。各派閥の調整のためだけに据えられた力のない配偶者、で終わってはたまらないと野心を抱いた。そして見目がよく女性陣にモテたのもあって、そういう路線で色んなところにコネや人脈を作ろうとしてしまったらしい。つまり恋多き男として名を馳せた。


「……アホなの?」


 説明途中で、つい突っ込んでしまったら、彼は「ああ。アホだった」と渋い顔で頷いた。


 もともと王女とは政略結婚。互いにそれは理解していたし、向こうが多少の異性関係にはうるさくしない的なことを言ったという。だから多めに見てもらえるはず。そんな目論見は、王女に真実の恋のお相手とやらが出現してから雲行きが怪しくなった。

 ただただ王女が好きだと一途に告げるライバルの男。最初は距離を保っていた王女も予想外にほだされたようで、今では二人が愛し合っているのは公然の秘密だと言う。


「俺の婚約者としての立場も危うくなってる」

「政略結婚なのに?」


 言っていた通り、互いに恋愛結婚ではないことは承知済みのはずだ。こうなったら、相手に愛人がいることを認め合うとかそういう方向で落ち着くことができるはず。上流階級じゃ珍しいことじゃない。王族がおおっぴらに愛人を持っていたことだって、これまでにもあった。


「それが、向こうがなかなか上手で。俺が下手を打ったってのもあるけど」


 高貴な者たちの結婚には、色んな段取りや各家のパワーバランスが関係してくる。

 普通なら簡単にはいかないところ、王女とその恋のお相手はいろいろ根回しをしていて、今ならなんとかなりそうらしい。なぜなら愚かなことに――


「なんていうか、面白くなくて。途中から相手の男に喧嘩ふっかけるような真似したり、嫌みを言ったり、ついでにいっちょ前に政治的裏工作なんかをしようとしたら失敗したりして……ここ最近、俺の評判は大変悪い」

「……バカなの?」


 彼はまた渋い顔で「ああ。バカだった」と頷いた。

 子供じみた喧嘩や嫌みはまだしも、下手な政治的裏工作というのはちょっとフォローが難しい。

 説明しているときの印象では、頭はよさそうに感じるんだけどな。

 どうせもう会うこともない人だしと思って、それを正直に言ったら彼は困ったような顔をした。


「自分では、聡いほうだと思ってたよ。飲み込みは早いほうだし、勉学も得意だ。でもなんていうか……俺はおかしくなってた。挫折なんて知らなかったから最高に調子に乗ってたし、自分でもわかってる俺の悪いところがあってそれが――いや、言い訳は見苦しいな。とにかくアホでバカだったんだ」


 はあ、としか言いようがない。

 彼がなぜここに来たのが、ちょっと予想がついてきて気が重かった。


 あと「挫折なんて知らなかったから最高に調子に乗ってた」って言葉に、古傷をえぐられた。


「俺はきっとこのままだと婚約破棄されて、家からも勘当される」

「へえ」

「それで一発逆転の方法がないか必死で考えた」

「そういうのって、だいたい失敗するのよね」

「国の守護神の眷属である森の魔女を味方につければ、俺は地位を保てる」


 あ、やっぱり。


「俺のことを好きにしていいから、パトロンになってください」

「その紅茶を飲んだら、さっさとお帰りください」


 そう言って私は中断していたチョコケーキにとりかかった。

 ふと彼を見ると、変な顔をこちらに向けている。

 どうしたの、というように私は首を傾げた。


「なんか聞いてた話と違う」

「なんて伝わってるわけ」

「森にすむ魔女は、綺麗な顔した人間が男女問わずお好みで、その身を差し出せば、なんでも願いを叶えてくれるんだ」


 横で丸まっているクロが、「くっ……くくっ」と笑いを堪えている。いや、聞こえてるから。


「それで、扉開けた途端に愛の告白」

「緊張してたんだ。手っ取り早く従順なところを見せたくて。気に入らない訪問者は問答無用で殺すなんてことが、ないとも言えない」

「国の守護神である女神さまの眷属よ? そんな横暴なことする?」

「人の理を外れた存在に、人間の理屈は完全には当てはまらないだろ」

「それは正解だけど、だからって……」


 そちらの好きにしていい。敵意はない。それを端的に表そうとしてああなったらしい。

 説明されて、本人は真剣なのはわかったけど、やっぱりなにがどうなってあの告白になってしまうのか。

 ここしばらく、面倒でこの森と自分についての噂の収集をあえてサボっていたら、いつの間にかとんでもない設定がついているようだ。こういう変わった噂、定期的に流行るんだよね。楽しそうでなによりだ。


「それに自分で言うのは恥ずかしいけど、女性には好かれやすい顔だって自覚はある」

「その顔で自覚がなかったら、嫌みだと思うわ」

「だから、いちかばちか賭けるしかないと焦ってた。俺にはもう、これくらいしか人に差し出せるものがない」


 たしかに、家の力も、結婚するはずの王女の力もなければ、彼にできることはほとんどない。

 これまで浮名を流していた女性たちも頼れない。友人たちもみな様子見。それくらい彼の状況は悪いらしい。


 そこまで下手を打ちそうなタイプに見えないけれど、失敗した裏工作っていうのが大きかったのか。いざってときに、堅実さよりハイリスクハイリターンな賭けを選んでしまう性格なのかもしれない。妙な噂に賭けて、森の魔女に身を捧げようとしたのもそう。

 そして、彼は賭けに負けた。


 貴族らしい仕立てのいい服をきちんと着込み、馬がこの森に入るのを拒否したからと、徒歩で一人でここまでやってきた根性は認めたい。けど。


「もし、この世のものとは思えないほどの美形がやってきて好きにしてくれって言っても、基本的にはお断りすると思う」

「噂は間違い……?」

「綺麗なものが好きなのは、間違ってはないけどね」


 そう。綺麗なものは好きだ。でも自分がどうこうしたい趣味はない。目の保養になるなあって眺めていたいっていう方向で好きなのだ。

 なにより私は、人間にはもう深く関わりたくない。


 そういえば、やはり一時期変な噂が一人歩きして、願いを叶えてくれという人たちがやたら森にやってきた時期もあった。

 全員がこの家に辿りつけるわけじゃないけどゼロではないし、森にいる人々の想いもなんとなく伝わってくるので困ったものだ。私は人びとの願いを叶える女神さまなんかではない。

 ただ、一度泥だらけで傷だらけの女性がさまよっているのに気付き、さすがに気の毒になり手当てをして面倒を見てやった。回復した女性がめちゃくちゃ美人だったので、いやあ眼福、って思いながら褒め殺しして街へ返したことがある。

 何十年も前の話ではあるけれど、もしかしたらそれが噂の元になったのかも――?


 というのをそのまま伝えたら、相手は脱力していた。


「俺、あなたからしたら、ただの押しかけ不審者だよな」


 すっと立ち上がると、彼は頭を下げた。


「ごめん。本当に失礼なことをした」

「ずいぶんと潔いのね」


 単純に驚いて言ってしまっただけだけど、彼はそれを皮肉だと受け取ってしまったらしい。頭を上げると困った顔をする。


「本心から悪いと思ってるけど、あなたが疑うのは仕方ないと思う。第一印象が酷いのは自覚がある」

「別に信じてないわけじゃないけど……。でもまあ、さっきの話を聞いて素直に信じるのも単純すぎるか」


 彼が最初から私に従順であると示したかった理由は、婚約破棄されて地位を脅かされそうな自分を救ってほしいからだ。今も殊勝な態度をとって取り入り、味方にしようと企んでいる。そう疑ってもいいかもしれない。


 そして自分でも面倒なことに、そのくらいの企みができる相手のほうが、個人的には好き。絶対言わないけど。


「どうやったら謝罪を受け入れてもらえるかな」


 私は目の前に置かれたチョコレートケーキを眺めた。


「……このケーキ、また持ってきてくれたら許すわよ」


 戯れに言ってみただけだった。私の好みの味だ。なぜこれを選んだのか聞いたら、単純に彼がお気に入りだからという。

 食の好みが合うと、相手のこともいいなと思ってしまう。


「そんなことでいいのなら。喜んでまた届けるよ」


 彼の笑みは優しすぎて――かなり胡散くさかった。

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