会社と地元の人と
リーナは作業が煮詰まると腕を上げて伸びをした。部屋の隅で体育座りをして作業をするのは体に悪いのはわかっている。が、リーナには長年身についたこのスタイルを続けていた。
部屋の時計を見ると、だいぶ遅い時間になっていた。もしかしたら声をかけなかっただけで食事の用意をしてくれているかもしれない。そうでなくても部屋を借りているアイビーに申し訳ない気もしたので、一応顔を見せに行くことにした。
共同フロアに向かうと、リーナの席にレトルトのパックが用意されていた。シチューや炊き込みご飯など5種類は常備されているのだが、リーナは決まってカレーを選んだ。カレーはどのメーカーのものでもそれなりにおいしい。幸いリーナの口には合うものだったから、メニューを毎回決める煩わしさもなく食事を摂ることができた。
はす向かいの席ではアイビーが栄養食品のブロックをかじりながら何かを読んでいた。彼女はいつもああした食事らしい。リーナも他に彼女が口にしているものといえばコーヒーやお茶などの飲み物くらいだった。一緒に食べませんか、と声をかけたこともあったが、遠慮されたので、リーナ1人パックを開けた。
いただきます、と小声でささやく。カレーをすくって、パックのご飯とともに口に運ぶ。非常食用だからか、辛いものではない。黙々とスプーンを口に運んだ。父、ウィリズの映画を撮りたいと本人に話した時も、夕食時、メニューはカレーだった。
「どういう映画を撮りたい」
父の第一声は、こうだった。
「あなたの今を撮りたい。広告制作会社の社長、いいや、社員としての姿を、私は撮りたい」
「俳優はいつまでも俳優だ」
父はスプーンを皿の隅に置いた。
「結局リーナが映像の道を選んだように、俺もやめられねえんだろうな」
要は好きにしろってことだと思った。映画を完成させることだけを条件に、父は承諾してくれた。
リーナは他の仕事に関わるとき以外は、JBW広告に顔を出すようになった。企業の実態は知っているものの、まず自分の目でじっくりとどんな会社なのかを見たかった。JBW広告は地域の人たちとの距離がとても近かった。リーナは時間があるという顧客に、1人1人話を聞いていった。朝だけでなく昼の売れ行きもよくなったパン屋。常連だけでなく新しいお客さんも来るようになったという定食屋。オーダーメイドの仕事が増えたカバン屋。従業員のリストラを防ぐことができたというマッサージ店。JBW広告に広告を依頼する人たちは、父の評判を聞いた人たちだけでなく、リピーターもかなり多かったようだ。リーナはこうした生の声を聞くことが聞きたかった。探せばどこにでもあるような話だって、丁寧に掘り下げて聞くことが好きだった。そうした人々のドラマを、リーナは映像として残していきたい。
「JBW広告主催で、イベントを行う」
ウィリズはまるで明日ドライブに行こうか、とでもいうようにリーナに告げた。
「私が映画を撮るから?」
「QS市のためだ」
リーナが映画制作を申し出る前から、社内でそういった話が持ち上がっていたらしい。JBW広告は、QS市で事業を営むすべての事業者への起爆剤を欲していた。今のままではどの依頼主もお得意様に向けてしか営業できないとウィリズは語った。小さな街の中でこじんまりと商売をやるのもいいものではあるけれど、そのやり方だけでその店の、JBW広告の、ひいてはQS市の事業者として未来があるのか。目の前の小さな利益も和気あいあいとした人とのつながりも大事だけれど、それで満足していていいのかと。
きっと足りないと思ったから、考えたのだろう。
広告事業を営む男が、イベントを企画し開催までこぎ着けていく。日常からは少し遠のいてしまったが、きっといい映画が撮れる。ドキュメンタリーは最後の最後まで脚本が読めない。しかし、頭の中の構成は、たとえイベントが失敗したとしてもきちんとまとめられるようにはしてあった。
リーナは時計を見上げる。明後日までには編集を終えなければならない。リーナはコーヒーを念のためもらうことにした。
ラストシーンが決まらない。
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