第20節 突然、肌のうえの文字列がひしゃげて判読できなくなった。
突然、肌のうえの文字列がひしゃげて判読できなくなった。
理由はすぐに分かった。
眠りから覚めた秋津が大きく身をよじらせたのだ。
俺はとっさにベッドから離れて身を隠そうとする。
しかし既に遅かった。
秋津は眠たげな、しかし明らかに意思の宿った瞳で、はっきりとこちらの顔を見据えていた。
二人の目が合う。
彼女はこちらを不思議そうな顔で眺めながら、口をぱくぱくと動かした。
何か言葉を発しようとしているらしい。
しかしその口から漏れるのは音節とも吐息ともつかぬ、意味を成さない音だけだった。
彼女は自分の舌が回らないのを理解すると少し悲しそうな顔をした。
そして話すのを諦めて代わりに周囲の状況を観察し始めた。
始めに保健室内の様子をぐるりと見回し、次いで俺の顔を一瞥し、最後にベットの上の自分の身体を見た。
そこにあったのは身に着けているものをほとんど剥ぎ取られた、半裸に近い自身の姿だった。
彼女は暫くの間、自分の目に映っているものが理解できていない様子だった。
だが突然の痙攣的な身震いのあとで、その顔が大きく醜悪に歪んだ。
「聞いてくれ」
俺はとっさに弁明をしようとする。
しかし秋津はベットの上に散らばった服を満足に動かない手足でかき集めようとするだけで、こちらの声は一切耳に届いていない様子だった。
俺は相手を落ち着かせようと傍に近寄る。
すると彼女はこちらから逃れようともがいた。
「ちょっと待てって」
相手が暴れるので俺は落ち着かせようと肩を掴んだ。
すると彼女はびくりと身を震わせてこちらを見た。
彼女の顔は動揺のために引き攣り、歪み、どこか半笑いにも似た奇妙な表情になっていた。
俺は思わずつられて笑いそうになった。
今ここで
そんな期待すら抱いた。
しかし淡い希望はすぐに打ち砕かれる。
見開かれた彼女の両の目から、大粒の涙が溢れだしたからだ。
くしゃくしゃになった彼女の顔の上を止めどなく涙が流れていく。
俺は頭が真っ白になった。
何とか言い繕わねばならないのに、まともな言い訳どころか簡単なフレーズを思い浮かべることすら出来ない。
混乱する中、ふいにある言葉が思わず口をついて出た。
「君が好きだ」
直後に自分で自分の言葉に驚いた。
それは彼女と関わり合うようになってからほんの数度頭の隅を掠めただけの言葉で、自分の内できちんと整理し位置づけられた感情を表した言葉では無かったからだ。
しかし一度口にしてしまうと、自分の今の心情をよく表しているように感じた。
俺が彼女のことが好きで、いったい何の不都合があるだろうか。
俺はきっと彼女のことが好きなのだ。
「君が、好きだ」
もう一度同じ言葉を口にしてみた。
言い終えた頃にはそれははっきりと自覚された感情となっていた。
そして同時に心の中の迷いも消え失せ、自分が今何をすべきかもはっきりと分かるようになった。
俺は彼女の腰のあたりに手を伸ばすと下着を掴む。
そして下着の生地と肌との間に指を入り込ませた。
先ほどまで読んでいた体表の文章の続きは、ちょうどその生地の下になっていたのだ。
恐怖のために身体を強張らせる秋津。
俺は語りかける。
「好きだから……」
そしてこう続けた。
最後まで読ませてくれ。
だがその言葉は彼女はおろか自分の耳にすら届くことは無かった。
言い終える前に秋津が決壊したかのように凄まじい叫び声を上げたからだ。
彼女は息の続く限り叫んだ。
やがて肺の中の空気を全て吐き尽くすと、短く息を吸い込んでまた全力で叫んだ。
俺は彼女に何度も声をかけた。
しかしどんなに言葉を連ねても全て絶叫にかき消されてしまう。
もはや何を話しかけても無駄だった。
彼女はいつまでもましらのような叫び声を上げ続けるだけだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます