第16節 生き埋めになっていた秋津を助けてから、彼女の俺に対する態度は少し変化していた。
生き埋めになっていた秋津を助けてから、彼女の俺に対する態度は少し変化していた。
教室では以前と変わらず相互に無関心で不干渉だったが、ふとした瞬間にその暗黙のルールが破られることが増えたのだ。
廊下や昇降口ですれ違ったとき、彼女は少々ぎこちない微笑と目礼を俺に送るようになった。
周りに人がいないときなどは二言三言、言葉を交わすこともあった。
俺はそんな相手からの接近を拒むこともできず、ただ黙って受け入れることしかできなかった。
だが彼女との交感を繰り返すたび、俺の中では不安がいや増しに増していった。
俺は恐れていたのだ。
彼女が噂を耳にしてしまうのを。
彼女の微笑がある日突然、困惑と恐怖に歪んでしまうのを。
残された時間は少ない。
噂の拡がりようを考えるとこれ以上行動を先延ばしにはできない。
しかも計画を実行できるのはあと一回がいいところだ。
何度も実行すれば周りに露見する可能性が極めて高い。
速やかに計画を実行に移し、かつ一度で彼女の肌を最後まで読み切る。
それが俺に課された使命だ。
俺はたしかに追い込まれつつあった。
学校の休み時間、俺は校庭の隅のうさぎ小屋で時間を潰していた。
クラスメイトの目が気になって教室にいても落ち着かず、廊下に出てはみたもののすれ違う他のクラスの生徒たちからも非難めいた一瞥を投げかけられているような気がして、しまいには逃げるようにして校庭の隅にまでやって来てしまったのだ。
逃げては来たものの特にやることも無かったので仕方なしに小屋の中のうさぎを眺める。
うさぎ達の動きは緩慢で表情も乏しくなんの興も与えてはくれなかった。
だがそれだけに過敏になっていた俺の神経に障ることもなかったので、今はそれがありがたく感じるのだった。
そのままぼんやりとうさぎ達を眺めていると、背後から声を掛けてくる者があった。
「何してるんだよ」
振り向くと隣のクラスの晴海圭太が険しい顔つきで立っていた。
今日は隣に委員長の姿は無く、一人だった。
「別に、何も」
そう答えた。
事実、何をしている訳でも無かった。
「そうじゃない」
圭太はかぶりを振る。
「聞いたんだよ、お前のよくない話を。
もう学校中で噂になってる」
俺はうさぎ達の方に視線を戻すと、そうか、と呟いた。
「そうかって……」
圭太は声を荒らげる。
「なに他人事みたいに言ってんだよ。
お前はいったい何をしてるんだ、秋津となめに」
俺は無言のまま足元の雑草を引き抜くと金網の隙間から小屋の中に投げ入れた。
こげ茶色のうさぎが駆け寄って来て草を食み始める。
「別に、何もしてないよ」
俺はうさぎを見つめたままで答えた。
圭太はそんなこちらの横に立ち無理やり視界に入り込んでくる。
「嘘吐くなよ。
お前は爆発事件のことを調べるために秋津をつけ回していたじゃないか」
こちらが無言でいると圭太は言葉を続けた。
「もう秋津に関わるのはやめろ。
言っただろ、次に問題を起こしたら自宅謹慎だけじゃ済まないって。
停学か、もしかしたらそれよりもっと重い……」
停学より重い処分と言ったらあとは退学くらいしか残っていない。
おそらく圭太はこのままでは俺がそうなると忠告しに来たのだろう。
(退学になるのかな)
俺はまるで遠い将来のことでも想像するかのように、ぼんやりと思った。
これまで不思議と自分が学校から処分を受ける可能性について考えてこなかった。
いかにして秋津の肌を読むかということにばかり気を取られていたのだ。
圭太が言うように、俺は秋津と関わるのをやめるべきなのだろうか。
損得で考えれば退学になるよりはそうした方がずっと得だろう。
しかし理屈では分かっていても、俺にはとても素直に諦めるような気にはなれなかった。
「あと少しなんだ」
俺は自分に言い聞かせるように呟く。
「あと少しで爆発事件の、大事な何かを掴めるはずなんだ」
すると圭太はなおも食いついてくる。
「なんでお前はそこまで……」
そのとき校舎から騒々しい鐘の音が聞こえてきた。
驚いた圭太は言いかけた言葉を飲み込んでしまう。
鐘の音は休み時間の終わりを告げるチャイムだった。
そしてその音は同時に二人の話し合いの終わりをも告げることになった。
チャイムが鳴り終わると、俺は教室に戻るため無言で歩き出した。
圭太ももうそれを止めようとはしなかった。
昇降口の辺りまで歩いてきたところで、俺は圭太が後について来ていないことに気づく。
振り返って見ても視界の中には誰もいない。
おそらくこちらと別のルート、別の入口を通って自分の教室に戻って行ったのだろう。
授業が始まり既にがらんとなっている廊下を、俺は一人ふらつく足取りで教室に向かって行った。
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