第15節 俺は本の山の中に手を突っ込むとその柔らかいものを掴む。

 俺は本の山の中に手を突っ込むとその柔らかいものを掴む。


 そして思い切り引っ張った。


 大量の本の中から芋のように引っこ抜かれて姿を現したのは、秋津だった。


 彼女は気を失っていた。


「大丈夫か、秋津」


 慌てて彼女の肩を揺さぶる。


 すると大きなクマに縁取られた瞼がゆっくりと開いていく。


 虚ろな視線は暫し虚空をさまよっていたが、やがて俺の顔の上で焦点を結んだ。


 次の瞬間、彼女は悲鳴を上げてしがみ付いてきた。


「ど、どうしたんだよ」


 突然のことに俺の声はうわずった。


 彼女は力いっぱいに俺の腕を掴みながら震える唇で、むしが、むしが、とうわ言のように繰り返した。


「虫?」


 俺は辺りを見回す。


 しかし虫など一匹も見当たらない。


「落ち着けよ。

 虫なんていない」


 俺は相手を落ち着かせようと声を掛けた。


 しかし彼女は存在しない何かの気配に怯えていつまでも身を強張らせていた。


 しがみ付かれたままの俺は身動きも取れず、彼女が落ち着くまでじっと待ち続けねばならなかった。


 ややあってから秋津は我に返る。


 そしてその時になってようやく、自分のしがみ付いている相手が何者なのかに気づいたのだった。


「ご、ごめんなさい」


 そう言うと彼女は慌ててこちらを掴んでいた手を離す。


 そして困惑の二字をありありと顔の上に浮かべながら、


「でも、なんで……」


 そう呟いた。


 秋津の言葉はそこで途切れたが言わなくても続きは分かった。


 なんでお前がここにいるんだ、ということだろう。


 不審に思うのも無理のないことだ。


 俺はすぐに釈明する。


「電話があったんだ。

 お前が生き埋めになってるから助けに行ってくれって」


「電話? 誰から?」


「いや、それは分からない。

 非通知でかかってきたんだよ」


 自分で説明しながら、これはなんとも嘘くさい話だと思った。


 嘘を吐いている訳では無いが、こんな説明で本当に信じてもらえるのだろうかと不安になる。


 秋津も不審そうに質問を重ねてくる。


「非通知?

 名前は聞かなかったの?」


「それが、聞いたんだけど相手は『彼女に聞くといい』って……」


 そのとき秋津の表情に一瞬怯えのようなものが走ったのに気づいた。


 あるいは誰か心当たりでもあるのだろうか。


 俺は聞いてみる。


「電話の相手が誰か分かるのか?」


 すると彼女はしばらく固まっていたが、やがてひとこと、


「知らない」


とだけ言って黙り込んでしまった。


 彼女の沈鬱な様子を見て、俺はそれ以上質問をする気になれなかった。




 その後、秋津が床に散乱した本を片付けだしたので俺もなんとなく手伝いはじめた。


 はじめ彼女は遠慮して手伝わなくていいと言ったが、俺が無視して手を動かし続けているとやがて何も言わなくなった。


 作者もジャンルも関係なしに手に触れた本を片端から無秩序に冷蔵庫の中に並べていく。


 黙々と作業を続けていると、秋津が鼻の詰まったような声で話しかけてきた。


「やっぱり、おかしいですよね」


「……ティッシュの話?」


 彼女は臭いが気になると言ってさきほどから鼻の穴にティッシュを詰め込んでいたのだ。


「鼻にティッシュ詰めてたら誰でも変な顔になると思うぞ」


「そうじゃなくて……」


 茶化されたように感じたのか彼女は不機嫌そうに言葉を続ける。


「こんな風に……冷蔵庫に本を入れてたり、ずっとインナーを着てたりとか、そういうことについてですよ」


 彼女は他人からどんな風に見られるのかを気にしているようだった。


 俺はなんと答えてやったらいいものかと迷った。


 たしかに秋津の行動は客観的に見れば意味の分からないことばかりだ。


 しかしその行動には理由があるということを、俺は彼女の肌を読んで知っていた。


「たしかに、おかしいのかもしれないけど」


 俺は言った。


「お前が何かちゃんと理由があっておかしなことをやってるってことは俺にも分かる。

 だから俺はお前をおかしいって思わないことにする」


 そう言われて彼女は暫しきょとんとしていたが、やがて口元を微かに綻ばせた。




 本をあらかた片し終えたので俺は自分の家に帰ることにした。


 簡単な挨拶をすると玄関からアパートの廊下に出る。


 すると見送りでもしようというのか秋津が部屋の外に出てきた。


 俺は慌てた。


「出てこなくていいよ。

 もし一緒にいるところをクラスのヤツにでも見られたら……」


 クラスでは秋津に対しての俺の悪い噂が立っているのだ。


 もし一緒にいるところを見られでもしたら何を言われるか分かったものではない。


「?

 何かまずいんですか?」


 しかし彼女はこちらが何を心配しているか理解できていない様子だった。


 俺は悪い噂がまだ彼女の耳には達していないことを知った。


「とにかくここまででいいから。

 じゃあ、また学校で」


 そそくさと退出しようとする俺を秋津が呼び止める。


「あの、今日はありがとうございました。

 助けてもらって」


「あ、ああ」


 俺は誰かに見られないかとびくびくしながら生返事をする。


「あの、その」


 彼女は俯きながら何か言いたげにもじもじしていた。


 俺はやきもきする。


 本心では一刻も早くこの場を離れたいのだ。


「ええと、なんて言うか」


 だらだらもごもごと言葉を継いでいく秋津。


 俺はたまらず催促した。


「言いたいことがあるなら早く言ってくれよ!」


 すると秋津はようやく決心したように顔を上げて、


「あの、またお話しましょうね」


 そう言った。


 なにか深刻な話でもされるのかと思っていた俺は拍子抜けした。


 緊張が一気に弛んで思わず素直に「うん」と答えてしまう。


 こちらの返事を聞いた彼女は嬉しそうにお辞儀をすると、部屋の中に戻っていった。

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