第17節 アパートに戻ってくると圭太はすぐに激しい空腹感を覚えた。
アパートに戻ってくると圭太はすぐに激しい空腹感を覚えた。
美々面を探すため夕飯も食べずに家を飛び出して夢中になって探している間はよかったのだが、家に戻ってきて落ち着いてみると途端にお腹が騒ぎ出したのだった。
冷蔵庫の中を覗いてみるが腹の足しになりそうな物はこれっぽっちも入っていない。
圭太は自炊をほとんどせずその時食べるものを都度買ってくることが多かったので、このようなことも珍しいことではなかった。
帰る途中に何か食べるものを買ってくればよかったのだが疲れ切った圭太の頭にはその程度の知恵も浮かばなかったのだ。
「疲れてるけど仕方ないか。
ちょっとご飯を買いに行ってくるよ」
圭太は床で伸びていた美々面に声をかけた。
彼女も疲れていたのだろう、ひどく眠そうな様子だったが身を起こして自分も付いて来ようとした。
「いや、すぐに戻るから待ってていいよ」
そう言われて美々面は少し悲しそうな顔をしたが反面でどこか安心しているようにも見えた。
本当は体を休めたくて仕方無かったのだろう。
「ちゃんとドアに鍵をかけて大人しく待ってるんだよ」
美々面は眠たげに頷いた。
外に出た圭太は内側からドアの鍵がかけられる音がしたのを確認すると重い体に活を入れなおして近くのコンビニに向かった。
コンビニに行ってアパートまで戻ってくるのに30分とはかからなかった。
それでも圭太は別れたときの様子から美々面はもう眠っているかもしれないと思った。
なるべく音を立てないようにアパートのドアを開けると忍び足で中に入る。
リビングを覗いてみると意外にも美々面はまだ起きていた。
彼女は部屋の入口に背を向けて座っていた。
手にはなにやら細い棒状の物を持っている。
よく見るとそれは綿棒だった。
どうやら耳掃除を始めようとしているらしい。
彼女の様子を見た圭太、いつか感じた違和感が再び身内に湧き上がって来た。
別に彼女だって耳掃除くらいするのだろうし、しても何の問題も無い。
しかしそこにはどこか不自然なところがあった。
違和感の正体を突き止めようと、圭太は部屋の入口に立ったまま美々面の様子を観察することにした。
彼女は手に持った綿棒を顔に近づけると、綿の部分をぱくと口に含んだ。
そして綿棒を口にくわえたまま小首を傾げて耳にかかった髪を払う。
細い髪の間から小ぶりな耳が姿を現した。
圭太はその
次に美々面はたっぷりと唾液を含んだ綿棒を口から取り出すと、小さな耳の穴にあてがいゆっくり挿し入れていく。
綿棒がある深さに達すると今度は反対端を持った手をゆっくりと円を描くように動かし始めた。
そこまで観察したところで圭太は違和感を覚えた理由に気づいた。
彼女の一連の所作は、普段の粗雑で無駄の多い動きとは明らかに質が異なっていたのだ。
それは滑らかで無駄が無く、そして優雅だった。
そのとき美々面がようやく圭太の帰りに気づいた。
「あっ、おかえりなさい」
圭太の方に振り返りながらそう言った。
「う、うん。ただいま」
圭太はぎこちなく返事をするとばつが悪そうにその場に立ち続けた。
なにか部屋に入っていくのが躊躇われたのだ。
美々面はそんな圭太を不思議そうに眺めていたが、やがて悪だくみでも思いついたみたいににんまりと笑う。
彼女は足を組みなおしてその場で正座し直すと圭太に向かって、
「してあげようか?」
そう言って自分の膝をぽんぽんと叩く仕草をした。
耳掃除をしてやるからここに寝ろというのだろう。
圭太は狼狽した。
「い、いや。僕はいいよ。
ごはん食べないといけないから」
「そう?」
美々面はからかう様に言うと自分の仕事に戻った。
耳掃除を続ける彼女の横で圭太はコンビニで買ってきた夕食を広げた。
あれだけ腹が空いていたというのにどうにも食欲が湧いてこない。
無理に口に放り込んではみたものの食べ物は喉につかえ味もほとんど分からなかった。
しまいには動揺が箸にまで伝わってつまんだ物をぽろぽろとテーブルに落とす始末だった。
結局、半分ほども残して圭太は夕食を片付けた。
この上はシャワーを浴びてさっさと寝てしまおう、そう思った圭太は寝室から着替えを取って来ると浴室に向かった。
途中、リビングを通ると美々面はまだ一心に耳掃除を続けていた。
いつもなら浴室を使う前に彼女に一声掛けるところだが、今日はそんな気にはなれず黙って横を素通りした。
脱衣所で大量に汗を吸った服を乱雑に脱ぎ捨てると水温の調節もいい加減に頭からシャワーを浴びる。
熱い水流が体表の汗を洗い流し、今日一日酷使した筋肉を揉みほぐしていく。
すると筋肉といっしょに心の緊張も解れて、寛いだ気分が戻ってきた。
圭太は口の中で呟く。
何を緊張しているのだ。
美々面のことなど気にしなければいいではないか。
シャワーを浴び終えたらすぐにベットに横になってしまおう。
きっとすぐに眠ることができるはずだ。
そして明日の朝、目を覚ました時には彼女はいつも通りつまらなそうな顔をして鼻をすんすんと鳴らしているに違いない。
熱いシャワーでのぼせ上った頭にそんな楽観的な考えが浮かんでくる。
疲れ切った圭太の思考はその気楽なイメージに飛びつくと、後は考えることを止めて肌を打つ水滴の感覚だけに意識を集中させた。
このとき圭太は気づくことができなかった――隣の脱衣所でどういった事態が進行しているかということに。
そろそろシャワーを終えようと圭太が蛇口を回した時、突然浴室のドアが脱衣所側から開けられた。
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