第4節 「なんで嘘を吐くんですか」
「なんで嘘を吐くんですか」
ドア越しに圭太のいる廊下にまで響いてくる大音声。
声質や口調からそれは教師のものではなく男子生徒の声のようだった。
「嘘なんぞ吐かん。
知らないものは知らない」
この声は「先生」のものだ。
どうも男子生徒と言い争いをしているようだった。
「先生は確かにあの場にいたじゃないですか。
僕は見たんだ」
「そらいたかも知れんが、君の言うようなことは見てないよ」
「嘘だ。
あんなに大きな爆発だったじゃないか。
気付かない訳がない」
男子生徒は激昂してそう叫んだ。
「まあ落ち着き給えよ」
「俺をかついでるんだな。
皆して嘘吐き呼ばわりして……」
男子生徒の声は震えていて今にも泣き出さんばかりだった。
やがてどかどかと床を蹴る音が近づいて来て職員室のドアが乱暴に開け放たれる。
出てきた男子はドアの前にいた圭太と鉢合わせになった。
二人はぎょっとしてその場で固まりお見合い状態になる。
相手の顔を間近で見た圭太、見覚えのある顔だなと思った。
隣のクラスの、たしか加藤という名の男子。
クラスで「浮いてる」という噂のある男だった。
加藤は鉢合わせの驚きからしばし呆然としていたが、やがて怒りがぶり返してきたのか切長の目をかっと見開いて目の前の圭太を睨み付けた。
しかし圭太の何の悪意も無い透明な眼差しとかち合うと、加藤は直ぐに恥じたように視線を斜め下に落としてしまった。
そのとき加藤のまなじりに涙が浮かんでいるのに、圭太は気付いた。
加藤は圭太を避けて廊下に出ると、独特なうねるような足取りで教室の方に戻って行った。
後姿を見送る圭太、彼が真っ赤なスニーカーを履いているのに気付いた。
陰気な雰囲気の加藤に似つかぬその鮮やかな色のスニーカーは見るものにぎこちなく、ちぐはぐな印象を与えた。
加藤に続いて「先生」が職員室から出てきた。
「何の話をしていたんですか」
圭太が尋ねる。
「大した話じゃないよ」
先生はそう言うと眼鏡を外して指で眉間を押さえた。
相手を問い詰めるつもりがなんだか気勢をくじかれてしまった圭太、気まずそうにその場でまごまごしていると先生の方から話を向けてきた。
「美々面のことか」
予定とは少々違ったが相手を問い詰める好機が訪れた。
圭太は気を取り直して切り出す。
「いい加減にして下さいよ。
僕に女の子の面倒なんて見れるわけないじゃないですか」
言葉を聞いた先生は圭太を真っ直ぐ見据えると、
「やりもせずに出来ないと決め付けるのは良くない」
と真顔で教育者染みた言葉を吐いた。
圭太は怒りから裏返った声で叫んだ。
「やらなくても分かりますでしょ。
今だって部屋でたった一人で留守番させてるんですよ」
「部屋で留守番?」
窓の外を見つめながら先生はそう聞き返す。
「え、ええ。
学校に連れてくる訳にもいかないですし」
先生は戸惑う圭太の顔をまじまじと見つめていたがやがて窓の外、グラウンドの方を指差した。
先生の指差す先を見ると体操着姿の生徒たちがグラウンドの片隅で人だかりを作っていた。
どうやら体育の授業中らしいその生徒たちは一人の子どもを取り囲んでいた。
圭太が目を凝らすと、その子どもがアパートで留守番しているはずの美々面であることが分かった。
間抜けな叫び声を上げる圭太。
「ちゃんと面倒を見てくれんと困る」
先生は呆れたように言った。
お前が言うなと言いたくなったが圭太はとりあえず美々面の所に向かうことにした。
昇降口に向かって駆け出す圭太、その背中に先生の声が掛かる。
「圭太」
振り向いた少年に先生はこう言った。
「あまり迷惑がるな。そのうちいいこともあるさ」
圭太は何と答えてよいか分からず、無言のままグラウンドへ向かった。
息を切らしながら走り寄ってくる圭太を見ても美々面はぴくりとも表情を動かさなかった。
圭太は何でここにいるんだとすぐにでも問い詰めてやりたかったが、自分と美々面の関係が露見するのを恐れて喉元まで出かかっていた言葉を飲み込むと野次馬のフリをして人だかりに混じった。
集まっていた生徒たちは美々面の正体について話し込んでいた。
初等部の生徒じゃないか、とか近所の子どもじゃないかとか、いくつか仮説が出ていたが肝心の美々面が何も話さないため結論を得られていないようだった。
そのうち痺れを切らした生徒の一人が先生を呼びに行くと言い出したので圭太は慌てた。
「じ、自分が職員室に連れて行くから」
そう言うと美々面の手を引いて強引にその場から離れた。
残された生徒たちは怪訝な顔で圭太たちを見送った。
「大人しく留守番してろって言ったろ」
人気の無い場所を探して歩きながら圭太は叱った。
美々面は無言のまま不機嫌そうに鼻をすんすんさせていた。
校庭の隅にあるうさぎ小屋まで歩いて来たところで、美々面が圭太の手を振りほどこうと身をよじりだした。
暴れる美々面に手を焼いていると、ふとどこからか強い視線が自分の方に注がれているように圭太は感じた。
周りを見渡してみると小屋から少し離れた校舎の陰に男子生徒が一人立っているのに気付く。
それは先ほど職員室の前ですれ違った「浮いてる」加藤だった。
加藤の様子は異様だった。
まるで雷にでも撃たれたかのように慄然としてその場に立ち尽くし、大きく見開いた眼で美々面を凝視していたのだ。
「な、何か用?」
圭太が声をかけると加藤は搾り出すような声で、
「その子は……」
と言った。
その間も視線は美々面に注がれ続けている。
「いや、そのなんて言うか」
「その子は確か……」
「ただの迷子だよ」
不気味に感じた圭太は暴れる美々面を抱き上げると急いでその場を離れた。
早足で歩きながら、背中にいつまでも加藤の視線がまとわりついてくるような感覚を覚えた。
圭太はその後、学校の主事室に美々面を連れて行った。
人のいい主事さんは親戚の子が付いてきてしまったという圭太の説明に何の疑問も抱かず、下校時間まで美々面を預かることを快諾してくれた。
美々面は最初は手持ち無沙汰にしていたが、主事さんが出してくれた菓子を食べるとおなかが一杯になったのかうとうとし始めた。
彼女は座敷に移動してうつ伏せになると昼寝の構えに入った。
これでしばらくは大人しくしているだろうと安堵した圭太、一人教室に戻った。
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