「頑張ったでしょう?」

第20話



「ぇえ! 主任休みなの!?」


 私は思わず隣のデスクまで身を乗り出して叫んだ。美里は「そうみたいねえ」と書類の束をホッチキスで閉じながら暢気に答える。


「くはっ! くそっ、主任が休みなんて!」


 私は頭を抱え込んだ。


「なに、嬉しいんじゃないんだ? 悲しいんだ?」


「だってさだってさ、ここでの主任はみんなに尊敬の眼差しで見つめられてるからさ、そういうのを見て『実は私の彼氏なんだよね、ふふ』っていう優越感に浸れるじゃん?」


「あんた、本音は喋らない方がいいこともあるのよ? 知ってる?」


「それになんだかんだで、ミスの多い私をフォローしてくれるしさあー。主任がいないとお局様がうるさいんだよ。お局様も主任がいるとしおらしくしてるでしょ? そこが主任と付き合ってる唯一のメリットなのに」


「あんた、主任のファンに殺されるよ?」


 あーあ。主任が休みなんてがっくし。それでもきっとあのヘンタイメールはくるんだろうなあ。かっこいい主任には会えないのに。それってなんか損した気分だよ。


「まあ確かに、お局様は面倒よね。私もできるだけ関わりたくないわ」


 美里もそこは同意する。

 我がオフィスのお局様こと柊(ひいらぎ)さんは、40に差し掛かっても独身なのを焦っているのか、いつもぴりぴりしていて、そのくせ男性社員の前では豹変するという、典型的なダメ女なのだ。


 いかにも乙女ちっくなフリフリのワンピースを好み、少しばかり年甲斐を気にした方がいいのでは、という私服が有名な柊さんは、ちょっと美里に当たりがきつい。


 嫌な雑用をやらされたりとか、ちょっとした嫌味を言われたりするのは日常茶飯事だ。


「あらあらお二人さん、ご機嫌うるわしゅ~~~」


 ねばっこい声が浴びせられ、私と美里はゲッ!とした顔で振り返る。噂の柊さんが、お供を2人引き連れて、暑いわけでもないのに扇子を持って立っていた。


 ドリルのように巻かれたツインテールという髪型が、小じわの目立ち始めた顔を余計に際立たせている。


「あら、なにその顔。ねえ見た今の?」


 柊さんは扇子で口元を隠し、後ろのお供へ声をかける。


「げっていう顔よ、げって。この私を見て、この私を見てよ? 信じられる? あなた達、今日は向井主任が休みなんだから、気を引き締めなさいな。そうでなくてもいつもお喋りばかりして仕事の足を引っ張ってるっていうのに。ねえ? それと、あなた」


 柊さんは美里へ目をむける。


「わたくし、最近よくない噂を小耳に挟んだのよ。私がいつも噂話に耳をそばだてているわけじゃなくてよ? たまたま聞いた話で、信憑性なんてミジンコほどもないのだけど、あなたが向井主任といかがわしい関係にあるとか」


 へえ。そんな噂があるんだ。

 

 ……ん? なんで美里が?


「ま、主任様のような方があんたみたいなケツの青い小娘を選ぶとは思えないけど、一応私はオフィス内の風紀を守らなきゃならない立場にあるからね。どうせあんたがその胸を使って、卑怯な方法でたらしこんだんでしょうけど」


 柊さんはタン、と手の平に扇子を当てて閉じ、カッ!と目を見開いた。


「乳のサイズで女の良し悪しは決まるもんじゃないの!!! 大体あなた何カップなのよ!? 私!? 私はCよ! ちょうどいいC! 男の人はこれくらいのちょうどいいサイズが好きなんだからッ! ねえみんなあ?」


 柊さんが取り巻きに同意を仰ぐと、彼女たちは高らかに笑い出す。私は机の上で拳を握った。


 ぐう~~~。私はともかく、美里は仕事できるじゃんか! だいたい胸関係ないし! このオバハンってば、主任がいないからって調子に乗っちゃってー!



「むかつくムカツクむかつくぅううう!!」


 昼休み。珍しく外へ昼食に出かけながら、私はどすどすと怒りをぶつけるように歩いた。


「だいたいなんなのあの人!? なんでこっちの返答も聞かずにぺらぺらマシンガントークするわけ!? スピーカーなの!? 壊れてんの!?」


「しょうがないでしょ。ウザイけどうまく付き合ってくしかないんだから」


 美里は冷静に言って、「あ、あの店どう?」なんて暢気な態度だ。


「み、美里ちん。なんであんたはそんなに淡白なの?」


「そんなことよりさ、なんで私が主任と付き合ってることになってんのかな。そっちの方が気になるんだけど」


「確かに……。ん~なんでだろうね? 私はそっちのが楽だから、誤解してくれてた方がいいよ」


「あんたって殴りたくなるようなことしれっと言うよね」


「お、清水―!」


 後ろから声をかけられ、私と美里は振り返る。今日は私服のチビ朔が「よっ」と手を上げて立っていた。白シャツに赤のダウンベストという格好だ。意外とホストっぽくないな。


「誰なの?」


「高校の頃の同級生で、現在ホストのチビ朔だよ」


「やめろよその紹介、俺がチビみたいじゃんか」


「それは否定しようのない事実でしょ。一目でばれるよ」


「ま、それは置いといて」


 チビ朔はこちらに寄ってきて、私の頭にぽんぽんと手を置いた。私はチビ朔を見て、ハッとあることを思い出す。



「こんなところで会うなんて、もう運命じゃね?」


「美里―! 彼氏ってなんなの? いつできたの!? 私なんも聞いてないんだけど!」


 美里の腕をつかんでガクガクと揺する。チビ朔は私がいた場所に手を浮かせて固まっていた。



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