第16話




 しかし私のもくろみもむなしく、主任はネオンに光輝く街には目もくれず、あっけなく自宅のマンションへ入っていった。


 期待はずれな、おりこうな行動に、私とチビ朔はボー……っとマンションを見上げた。



「なんもなかったな」


「そうだね」


「あれ?」


「ん?」


「ここ俺んちじゃん」


「……えっ! ほんとに!? 何階?」


「最上階」


「主任と一緒じゃん!」


「やべー、ご近所さんかよ」



 再びチャーッンス!!

 このマンションのセキュリティは面倒なつくりで、タグキーを認証させてエレベーターを呼ぶから、住んでいる階にしか停まれないようになっている。


 しかしだ、チビ朔は最上階まで行けるキーを持っている! ということは、主任の部屋にこっそり侵入することもできるのだ!!


「行こうチビ朔! 主任の私生活を覗いてやる!」


 私は嬉々として大股で歩き出す。


「おいバカ、やめとけって! 彼氏の家に突然訪問は地雷だって! 家に女連れ込んでるかもしんねーだろ?」


「いいじゃん、それ見たい!」


「はあ!? お別れになるぞ!」


「バッチこーい!!」


「ええっ!」


 エントランスを抜けて、エレベーターの前でタグキーをかざしながら、チビ朔はこちらを振り返った。


「するってーと、なにか。お前はあの男前のナイスガイと別れたいってことなのか?」


 短く話し終えた私と主任の事情を、チビ朔は総括した。


「イエス」


「イエスって……お前はホントばかだな。自分を客観視できてる? お前レベルで、今の彼氏以上はつかまえられないって。マジで。今でも限界超えてるからな」


 なんだこいつ。好き勝手言いやがって。


「でも、ドエムなんだよ?」


 伝家の宝刀を抜くように、神妙に言い放つ。


「それくらい、どってことねーじゃん」


 チビ朔はあっけらかんと言いのける。私の顎が、かくんとおりた。


 それくらい……? それくらいって言ったのかこいつは。言うに事欠いて、それくらいだと?



「俺だったら大歓迎だけどなあ、ドエムの彼女。ていうか羨ましいよ、最近の女の子強いからさあ。まあそこを落としていくのが楽しいんだけど」


「それは男と女の違いじゃん! 男の人がドエムなのって、なんかこう……なんかこう!!」


「考えてもみろよ。収入ばっちり、将来性ばっちり、見た目ばっちりの3ばっちりだぜ? ドエムくらい大目にみとけって。誰だってさ、大なり小なり性癖ってもんはあるんだよ。完璧な麗人なんてありえないから」


「…………」


 そうなのだろうか? 確かにドエムという巨大な一点さえ覗けば、こいつの言う通り主任はナイスガイだ。


 私が神経質すぎるのだろうか? そういえば美里も、絶えず主任をおすすめしてくるな……。


 そうなのか? 彼氏がドエムというのは、取るに足りない些細なことなのか? 本当はみんなが軽く流せるくらいの小さな欠点にすぎないのだろうか?


 そんなあっけらかんと言われると、そういう気がしないでもない……。悩む私を見て、チビ朔は少し焦った顔をした。


「ま、まあまあまあさあ! そんなに落ち込むなって! 考えすぎはよくねーって!」


「でも、ん~……ちょっと、私も譲歩しなくちゃなのかなって」



 チビ朔はこちらに背を向けて、悩むように頭をかいた。



「もしお前が、彼氏と別れたら……」



 ぽん。

 エレベーターの扉が開いた。チビ朔は振り返る。



「その時は、俺の女にしてやるよ」



 すでにエレベーターに乗りこんでいた私は、おそらくキメ顔をしているであろうチビ朔の後ろ姿を見送り、そっと"閉"ボタンを押した。


 連れて来てもらっといて置いてけぼりは悪かったかなあ。まあいっか。チビ朔だし。このエレベーター、もう最上階まで行けるようになってるし。


 上昇していくエレベーターの中で、フー、と息を吐く。


 あいつは女と見ると口説きたくなっちゃうんだなあ。ホストは天職なんだろう。しかし一体どんな思考回路をしているんだろう?


 なぜあんなむず痒くなる言葉をぽんぽん吐き捨てられるのか。大事にせなにゃらんよ。言葉には魂が宿るって、ばっちゃんが言ってたぞ。


 それはそうと、エレベーターの回数表示は徐々に上がっていき、ついに主任のいる最上階へと停まった。


 部屋の暗証番号は、前にしつこくメールで送られてきたから(不本意ではあるけれど)記憶に刷り込まれている。


 ふっふっふ。

 思いがけない侵入者を前に、やつはどんな顔をするだろう?


 主任とこれからも交際を続けていくか、考えないといけないところではあるが、今はやつの私生活を暴くことに集中しよう。


 果たして―――……最上階への扉は開かれた。


「はあ、はあ、はあ……はあ」


「…………」


 扉の向こうには、肩を激しく上下させるチビ朔の姿があった。私は思わず目が点になる。



「や、やあ。テレポートできるようになったんだっけ……?」


「はあ、はあ……非常階段! のぼってきた!!」



 両膝に手をついて荒っぽく答える。


 ひょえーー……ここ20階だよ……?


 なぜエレベーターが降りてくるのを待たなかったのか。どうしても先回りしてやりたかったのかな?


「はあ、はあ……ああー! お前まじムカツク! なんだよ!?」


 息が整うのを待たずに、チビ朔は叫ぶ。私はなんとか笑ってみせた。



「いや……あはは! 悪気はあったんだけどさ! まさか階段でくるとは思わなくって、はは」


 チビ朔はキッ、と顔を上げてこちらを睨んだ。



「くっそー、お前ぜってー落としてやるからな!」


「……」


 うわ~どこから突き落とされるんだろう……。なんて、冗談言ってる場合じゃない。


 あ。

 気づいちゃった。こいつの名前『Shiozaki Saku』でイニシャルS・Sなんだ。



 …………まあ、これはどうでもいいか。



「ほら行くぞ」



 チビ朔はポケットに手を突っ込んで、踵を返してすたすたと歩きだす。



「え、なになに、どこいくの?」


「俺の部屋。お前を俺に惚れさせる作戦第一、これからお前を抱いて」


「出たな外道ーーーーッ!!」


「ブヒッ!!!」


 美里なみにキレのあるアッパーが炸裂し、チビ朔はとある部屋のドアにダイブしていった。


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