エンカウント

 <エンジョイせねば...エンジョイせねば...>


 街の中心部。

 大画面に民族衣装の男が踊る。

 浅黒い肌が光り、羽飾りを震わせ巨体を揺らしながら徐々に迫ってくるというものだ。

 これは巷で話題の胃腸薬の広告である。

 そこへ人々が群がる、燈火に集う羽虫のように。


 そんな人集ひとだかりの中を素早く動く影がひとつ。

 人口1000万、首府武陽の路地裏を松野が進んでいた。

 背広の上から、地面に付きそうなほど丈の長い外套トレンチコートを寒風に靡なびかせ、行きつけの呑み屋に向かっているのだ。


 <今日は何を喰おうか>


 今、彼の頭の中は、夜の献立しか存在し得ない。

 日中は接客や案件処理をこなし、夜は市街の喧騒から離れ、杯を傾ける。

 それが彼の生きがいであったのだ。

 店に向かうことを考えるあまり、松野は普段露天商や強壮剤の売人やソレを求める人々でごった返しているこの路地裏に人影がひとつもないという異常に気付くことが出来なかった。

 さらに早足で移動しながら、無様にも勢い余って段差に足を取られてしまう。


「南無三ッ」


 グッ、と身体が大きく前に出たものの、どうにか先に出た右足を地につけることが出来たようだ。


「擦っちゃったかな...」


 左の爪先に目を移すものの、幸い特に異常ないと見て安堵する。

 と同時に、彼が己の愉悦を優先するあまり、粗忽な振る舞いをしてしまったことを恥じたように見えた。

 いつのまにか、呑み屋のあるビルディングの前に来ていた。


 角地に建っている、4階建ビルの2階、そこに件の店がある。

 1本、道を横切れば、本日の目的を果たす事ができる。

 先程の粗相はどこへやら。松野は再び、期待を帯びた足取りで歩み出す。


 その刹那-


 ドッと衝撃を受けた。

 硬いモノに当たったようだ。

 右上に目をやると、黒い革製の旅行鞄を手に提げコートを羽織った大男と白装束を着た女が並んでいた。

 どうやら松野は大男の方にぶつかってしまったらしい。


「失礼、大丈夫ですか」


 声を掛けたものの、反応がない。

 女は松野の顔をジッと睨みながら、唇を震わせている。

 音は聞こえない、ただ息を細く吹き出しているだけ。口笛の不得手な御仁なのだろうか、と松野は目の前にいる女を哀れんだ。


「あ、あの…申し訳ない、じゃあ私はこのへんで」

 相手が無言を貫くので間が持たないと判断した松野はそう言って不審者たちの隣をすり抜けようをする。


「待たれよ」

 コートの男が野太い声をあげながら、右手を広げて松野を制する。

「はい?」

 松野は思わず顔をしかめる。

(因縁でもつけてくる気か?この御仁は)

 松野は目の前の身の丈2メートルを超えるであろうコートの男から半歩距離を取った。


「なにコイツ?ワタシの呼惑コワクが効いてないんですけど」

 続けて女が驚愕した面持ちで大男に甲高い声で苦言を呈する。

「うむ…やはり効いておらぬのか。何者だ?この男は。それとも、おぬしのアルオ、鍛錬が足りておらんのではないか?」

 大男は女の方を向き応えると、こめかみに人差し指を当てながらトントンと2、3回叩いた。


(何者だ?だとぉ…そう言いたいのはこっちなのだが)

 松野はそう思いながら、平身低頭になって

「気分を害されたのでしたら、申し訳ない。ですが私も先を急ぎますので…」

 と頭を下げる。

「いや、まかりならん。我らの姿を見られたとあってはな」

 大男はそう言いながら、スーツケースの取っ手を握る。

 突然、閃光がまたたいた。続いて轟音—。

 パパパパンッと破裂音が路地裏に鳴り響く。


「うむ…試作品にしては上出来ではないか。よもや、かような所で撃つハメになるとは思わなんだが」

 大男は、光と硝煙による視界不良が解消される前に不信心者に天誅がくだったことを確信した。

 男が使用したのは閃光弾3発を射出しながら毎分400発の7.7ミリ弾を4つの銃身から撃ち込むことが可能な改造鞄”コッファー”というシロモノであった。

 敵の視界を奪うと同時に大火力で制圧するというコンセプトの武装であり、使用された相手はズタズタの肉塊となっているはずである。


蒼雲ソウウン、アンタ何で街中でぶっぱなすのよ?アホなの?馬鹿まるだしなんですけど」

 女は大男(蒼雲)の腕にしがみつきながら、悪態をついた。

「そうは言うがなあ…蘭楊ランヨウ、おぬしの呼惑が効かぬ相手など、ワシは見たことがないぞぉ。恐らく彼奴は相当なツワモノとみた」

「はぁ?…、まぁ仕事の後にワタシらのこと見られたら確かに結構困るけどね」


 ふたりは安堵の面持ちで話しながら踵をかえしてその場を離れようとする。

 が、しかしその安堵は0.8秒後に覆されることになる。


「驚きましたねぇ…武陽の治安がここまで悪化しているとは。嘆かわしい」

 先程の男の声が左右の建物に反響する。

「なにッ!」

 蒼雲と呼ばれた大男は焦りのまじった声をあげ振り返った。


「あまりに失礼な態度、目に余りますよ?」

 其処には件の不信心者が悠然と立っているのであった。




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