夜な夜な世界を救っている僕を誰か褒めてください!

としぞう

夜な夜な世界を救っている僕を誰か褒めてください!

「日直、号令」

「きりーつ、きをつけー、れー。さようならー」

「はい、さようなら。みんな、気をつけて帰ってね」


 我が校名物美人教師、如月先生のそんな言葉で、また一日が終わる。

 最初、このクラスに配属になった時は、毎朝、如月先生のご尊顔を拝見することから始まり、毎夕如月先生のご尊顔を拝見して終える――そんな学園生活へと期待を抱いたものだったが、かつてどこかの誰かさんが言ったらしい『美人は3日で飽きる』という言葉が表すように、僅か数日で当たり前になってしまった。


 いい先生なのだ。如月先生は実に生徒思いで、優しくて……けれど、結局住む世界が違う相手であれば、優しさなんてものは有っても無くても変わらない。


 テレビの向こうの役者が麻薬に手を出していたところで、その人の出演したドラマの出来が変わるわけではないし、イヤホンの向こうのアイドルが淫行に及んでいても歌のクオリティが色あせるものではない。


 先生がどんなに聖人であっても、もしも評価の為に聖人の仮面を被っているとしも、彼女が現在俺を取り巻く環境に一切影響を与えないという事実が覆ることは決してないのである。ああ、絶望。


「京助! カラオケいこーっ!」


 不意に、そんな底抜けに明るい声が耳を殴った。

 この高校で知らない人など数える程度しかいない、学園のアイドル。

 美空(みそら)未来(みく)である。


 そして――


「えーっ、未来、またかよ?」


 佐崎(さざき)京助(きょうすけ)。そんな美空と良い感じになっている男子生徒が、呆れたように苦笑した。


 美空は佐崎に片思いをしている、なんてのはこのクラスの人間であれば全員分かっていることだ。

 そして、クラス全員が理解しているようなことを当の佐崎だけが理解していない――スーパー鈍感野郎だってことも。


 本来美空ほどの美少女からカラオケに誘われるなんてことは涙を流して喜ぶべき事案なのだ。俺達のような下々の者達が、仮に初回限定のCDを何枚、何十枚、何百枚と買い重ねて、特典ハガキなりポイントの記載されたシールなりを集めたとしても届かない、何より眩しい特権なのだ。


 それを佐崎はうっとおしそうに苦笑で返す。なんとも贅沢な反応だ。


「えー、いいじゃんっ! 歌いたい曲があるの。ほら、これ!」


 美空はスマホを取り出して操作すると――スマホにつないだ有線イヤホンの片方を佐崎に差し出した。ほんの少し、緊張に表情を固くしながら。


「どれどれ……」


 そんなイヤホンを佐崎は受け取り耳にはめる。そしてもう片方は美空の耳に収まる。1つのイヤホンを2人で共有する――これ絶対付き合ってるよね?


 否、付き合っていないのだ。

 これでも2人はカップルじゃないのだ。


 おそらく美空はそうなりたいと思っているだろう。今日の甲斐甲斐しいアプローチも佐崎に少しでも自分を好きになってもらえるよう悩み、考え、なんとか形にした攻めの一手なのだろう。

 それでも――佐崎には届かない。


「あーっ、美空ちゃん、抜け駆け禁止ですよぉ!」

「げっ、もう来たか……」

「来ますよぉ。ホームルームが終わったら京くんのところに来るのが、私の日課ですからぁ」


 教室に甘ったるい声が響き、2人目の美少女が現れた。これで終わることなく――


「ちょっと、京助! ホームルームが終わってんならアンタがアタシを迎えに来なさいよ! なんで毎日迎えに来させるわけ!?」


 ツンツンした声が響き、またもや別の、3人目の美少女が現れ――


「ちょっと、目立っているわよ。放課後とはいえ大声で騒ぐのはあまり関心しないわね」


 クールにすました声がやってくる。4人目の美少女だ。


 そう、佐崎京助はモテる。より取り見取りだ。

 4人が4人、それぞれ4つの象限を制覇するような美少女。曰く、『四大天使』というらしい。

 全員が全員、佐崎に好意を寄せていて、日々それぞれの方法でアプローチしている。まるで少年誌に載ってそうなラブコメだ。男たちの夢、学園ハーレム。


「そうだ、未来がカラオケ行きたいって言ってるんだ。折角だからみんなで行こうぜ」


 そしてお約束。佐崎は美空の意図を無自覚にぶち壊し、そんな提案をした。当然落ち込む美空。美空の作戦を知る他の美少女たち。

 ちょっとした修羅場な空気を予感させる中、唯一佐崎だけがそれに気が付いていない。


「あ、そうだ。なぁ、五条」


 そして、あろうことか佐崎は更なる爆弾を放つ。


「これから未来達とカラオケ行こうって話してるんだけど、お前も行かないか?」

「え、あ、いや――」


 更に人を誘うという愚行。

 美空と、他の美少女たちの気配が更に剣呑なものに変わり、哀れにも誘われた五条という少年へと向くことになる。


 ――まぁ、俺なのだが。この五条(ごじょう)晶(あきら)という哀れなピエロは。


「い、いやぁ、今日はちょっと用事があって」


 そして、哀れなピエロとして舞台に上げられた俺は、こうして道化を演じるしかない。

 美少女たちは勿論、誘ってきた佐崎からさえも、俺が参戦することは求められていないのだから。


「そうか、残念だなぁ」

「ねぇ、京助。早く行こーよ!」

「ああ、分かったよ。ったく……五条、また明日な」

「……ああ、また明日」


 俺なんぞの返事を、もう佐崎は聞いてはいなかった。

 そして嵐が過ぎ去り静かになった教室で、そこらかしこから哀れむような視線を浴びながら、俺は席を立つのだった。



◆◆◆


「あーあーっ! いいよなー、佐崎はさぁ。可愛い女の子に囲まれて、何やっても褒められて、毎日楽しそうでさぁ!!」


 場所は変わって、我が家。誰も出迎えてくれることの無い閑散としたボロアパートの一室。その畳の上で転がりながら、俺は子どものように喚いていた。


「あいつがどんだけ偉いってんだよ! あぁ、ちくしょー。俺もああいう甘々な青春を送りたかったなぁ……」


 憧れていた高校生活。彼女を作って、帰りにアイスでも買って、写真撮って――みたいな日常は結局やってくることはなかった。きっとこれからもないだろう。なみだー。涙が零れるー。


 プルプルとスマホが震えた。碌に連絡先の入っていないこの携帯電話が震える理由は迷惑メールか、“迷惑メールよりも悪質な連絡”くらいなものだ。


 そして、やはり、届いたのは後者だった。


「今日の深夜2時から4時、場所はこの町全域って、滅茶苦茶アバウト……しかも夜更かし確定だし……」


 ああ、つらい。これをどんなに頑張っても俺が美少女に褒められることはないのだ。

 いや、美少女でなくてもいい。そんなに可愛くない女の子でも、なんなら男子でも、そこら辺を歩いているおじちゃんおばちゃんでもいい。


 誰でもいい。褒めてくれ。頑張ってんだから……


「ねぇ」


 突然室内に響いた声に、思わず顔を上げる。

 いつの間にかこの部屋の出入り口に美少女が立っていた。


 ただの美少女ではない――つい先ほど、佐崎とイチャコラしていた1人、最後にやってきた4人目、御堂(みどう)一姫(かずき)だ。

 日本人形のような長い黒髪に、高校の時とは違う紅い飾り紐をつけていて、ほんの少し編みこんでもいる。


 けれど、向けてくるのは教室にいた時と同じ絶対零度の視線だ。


「御堂……お前、なんでここに……? 佐崎とカラオケ行ったんじゃ」

「行くわけないでしょう。理由をつけて断ったわよ」


 さっと手で髪を払いつつ、常識のように言ってのける御堂。当然、コイツの常識なぞ俺が分かる筈もない。


「まぁ、この辺りは美空さんに感謝しなければいけないわね。彼女、私がカラオケ嫌いって分かっているから、佐崎君をカラオケに誘っているのよ」

「え、そうなの?」

「ええ。後、彼女が歌に自信があるからというのも関係しているとは思うけれどね」


 女子こわ……自分のフィールドに引き込むと同時に、ライバルを除外しようとしているのか。可愛い顔して中々策士である。


「それで、私はいつまでここに立っていればいいのかしら」

「へ?」

「入っていいなら入っていいと招き入れて貰わないとでしょう? あくまで“他人”なのだから」


 丁寧に他人と強調する御堂。まぁ、それは事実だからいいのだけれど。

 そんな彼女は律儀に玄関に立ったまま固まっていた。


「招き入れるってさぁ……玄関には勝手に入って来ておいて、今更遠慮するわけ」

「ああ……それもそうね」


 俺としては軽いジャブのつもりだったのだが、御堂はあっさりと頷いて、上がり込んできた。


「まだ招き入れてないぞ」

「必要無いんでしょう?」

「いや、そういう意味じゃ」

「くだらない会話に時間をかけたくないの」


 御堂はそう言って部屋の壁に背を預けるように腰を下ろす。

 正面に寝転がればスカートの中身が覗けそうな体育座りだけれど、俺は覗いたりなんかしない。死にたくないから。


「私はあくまで監視。お前がちゃんと働くか見張る義務があるからここに来ているだけなのよ。仲良く雑談に花を咲かせたいわけじゃないわ」

「あー、そうすっか。そうっすよね」

「指令のメール、来たでしょう? 便利なものよね。昔は指令一つにもカラスを飛ばしていたらしいわよ」

「ああ、おかげさまで毎回当日連絡だ。こういうのは早めに教えてくれって言ってるのにさ」

「別にいいじゃない。常在戦場――いつでも準備は怠るべきではないわ」

「お前は現場に立たないからそんなことが言えるんだ。こちとらいつ死んでもいいように遺書を書き残してるっていうのにさ」

「……遺書?」


 あ、余計なことを言った。

 どこか責めるような声色で聞き返してきた御堂から目を逸らす。


「雑談に花を咲かせたいわけじゃないんだろ」

「……そうね」


 無理やり会話を切り上げ、部屋に沈黙が生まれる。

 御堂は持ち歩いていた文庫本を読み始めたが、俺は何をするにも億劫で、仰向けで寝っ転がって天井の染みを数えるのだった。





 あれからまた、随分と時間が経った。

 既に時間は深夜を回り、まもなくメールで指示のあった2時に差し掛かろうとしていた。


「ふあぁ……」

「気の抜けた欠伸をしないでちょうだい」

「だって眠いんだもん」

「何が“もん”よ。気持ち悪いわね」

「へーへー、すみませんね」


 これが1人きりだったら気楽なのに。

 御堂のやつもいくら役目だからって毎回律儀に来ることなんかないのにさ。


「大変だねぇ、監視ってのも」

「そうね。もっと信頼できそうな人が相手だったら良かったのに」

「俺が不真面目って? こう見えて仕事は毎回ちゃんとこなしてる。皆勤賞だ。誰も褒めてくれないけどさ……」

「やって当たり前のことを一々褒める馬鹿はいないわ」


 はー、冷たい。

 でもこれは彼女だけの意志ではなくて、俺達の上司というか元締め、さらに“退魔師業界”全体に浸透した風潮だ。

 俺達退魔師は人に仇なす魔を討って当然。できなきゃゴミ以下だってね。


 こんな環境だから、俺がこの育ち盛りに夜更かしを強要されて、その結果か知らないけど身長が160cm届いた辺りで止まってしまっても、誰も頑張りを褒めてはくれない。

 ああそう、できたの。それじゃあ次の仕事ね。そんな冷たい言葉をもうずっと浴びてきた。


「もうやだ……いつまでこんな暮らしを続ければいいんだよ……」

「それが退魔師よ。人の世を守るため、密かにこの世界を守る――素晴らしいじゃない」

「密かにやってるから誰も俺の頑張りを認知しちゃくれない。人の世を守って当たり前なんて、俺だって守られる人間の筈だろ? それなのに命かけて、頑張って、生き抜いて……それだけだぜ」


 やりがい搾取なんて言葉があるが、やりがいも無く搾取され続ける俺のような奴をなんて言うんだろう。


「嫌ならやめればいいじゃない」

「お前本気で言ってる? 逃亡者がどういう末路を辿るか、知ってんだろ」

「そうね。でも解放はされる」

「ああ……そうすね」


 気が付けばもうとっくに2時を回っていた。

 けれど、何も起きる気配は無い。


「気を引き締めて」

「引き締めてる」

「だらだら転がりながら?」

「これが俺の集中方法なの」


 こうしてゴロゴロしていれば余計な体力も取られないし、何事も無ければ無いで睡眠ロスも解消される。一石二鳥ってやつだ、たぶん。


「あーあー、俺も佐崎みたいになれたらなぁ」

「佐崎君?」

「可愛い女の子にチヤホヤされてさぁ。そしたらこんなお仕事だってもっとやる気出るっていうのに」

「彼とお前では違うでしょう」


 呆れたように溜息を吐く御堂。

 まぁ、彼女は佐崎に惚れているし面白くもないだろう。


「なぁ、下世話なことを聞くけどさー」

「下世話だと思うのなら聞かないでちょうだい」

「佐崎とはどこまでいったの?」

「……はぁ?」

「いや、あんだけ毎日ベタベタしてりゃあ、やることはやってんだろ? 佐崎も男なわけだしさぁ。1対1でのデートはした? 手、繋いだ? もしかしてキスまで行ってる? ひゃー! いいなぁいいなぁ!」

「ちょっと……勝手に変な妄想広げないでくれないかしら」


 なんて御堂は怒ったように言うが、これくらい許してほしいものだ。

 俺じゃあ彼のように眩しい青春を楽しむことはできないのだし。漫画とかを読んで主人公に自己投影、感情移入するみたいなもんだ。


「佐崎君とはそういう関係じゃないわよ」

「とかいってー」

「今お前が言ったことは何一つしていないわ。彼の取り巻きに準じているのは、彼がお前と同じクラスだからよ」

「はぁ? 俺と佐崎が同じクラスならどうして取り巻きになる必要があるんだよ」

「それは…………お前がちゃんと学生らしい生活を送っているか確認するためよ」


 随分な話だ。退魔師としての俺以外を監視する義務なんか無いだろうに。

 彼女が真面目なのか、俺が信頼できないのか――どっちもだろうけどさ。


「でも、少しは気持ちがあるんだろ? へへへ、お兄さんに話してみなさいよ」

「気持ちが悪い。そもそも私、好きな人がいるから」

「だからそれが佐崎だろって」

「佐崎君じゃない人よ」

「え、マジ?」


 それが本当なら、御堂は佐崎のことを好きでもないのに付きまとっているわけだ。本命に誤解される可能性だって十分にあるのに――いや、本命が学校の中にいるとは限らないか。

 

 ……いや、待て。そもそも御堂が俺に本当のことを話している保証なんて全く無い。

 彼女は俺の所属する退魔師連盟から派遣されている監視者だ。仕事は俺が退魔師としてちゃんと働いているか確認し、本部へと報告すること。

 俺は彼女に色々と包み隠さず話さなければならないが、彼女は俺に何かを語る義務を持たない。嘘も吐き放題ってわけだ。


「本当に公平じゃないよなぁ。ま、上からしたら現場の退魔師なんか使い捨ての消耗品なんだろうけど――」


 突然感じた”気配”を受け、言葉を途中で切り、身を起こす。


「ちょっと、どうしたの?」

「……来た」


 俺は彼女の問いに短く答えると部屋の隅に立てかけていた鞘入りの刀を手に取る。


 俺達が生きる現世とは異なる幽世からやってくる妖魔の類。

 この世界を、人を飲み込もうとする怪異の類。妖怪、鬼などとも称されるが――俺達退魔師の敵がやってきた。


「行ってくる」


 そう御堂に投げつけ、部屋から飛び出す。

 彼女の返事を待つ必要は無い。

 俺から彼女への報告義務はあるが、彼女からの返事を待つ義務なんてものは存在しないのだから





 どうして私には退魔師の才能が無いのだろう。

 子供の頃からずっと、そう思い悩んできた。

 

 私は退魔師の家系に生まれた。両親は勿論そうだし、祖父祖母も退魔師として生き――そして死んだらしい。

 

 退魔の力は遺伝するという。けれど私には力は碌に受け継がれなかった。

 常人では見ることのできない妖魔を視ることはできる。けれど立ち向かう術を持たない。


 私は退魔師にはなれない――それを知った両親は、予想外にも大喜びした。

 両親は、退魔師の人生が決して良いものではないと知っていたから。


 退魔師は天寿を全うすることは殆ど叶わないという。

 いつか妖魔に敗れ、殉死するまで、文字通り死ぬまでその身を退魔に捧げなければならない。

 勿論、血を絶やさず世継ぎを残すというのも大事な使命ではあるけれど、それでも若くして死ぬ退魔師は多い。


 だから両親は、私が不幸な宿命を背負わずに済んだと喜んだ。

 けれど、私にとって退魔師の資格が無いというのは不幸以外の何物でもなかった。


 なぜならそれは、“彼”と同じ道を歩めないということを意味しているのだから。



 私は退魔師の監視者となる道を選んだ。

 監視者は謂わば退魔師のお目付け役。退魔師を縛り、使命に従い続けるよう抑圧する。退魔師から嫌われる存在だ。


 もちろん両親は反対したが、本部の人たちは大いに喜んで受け入れてくれた。監視者なんて誰もしたくはないのだ。

 退魔師から恨まれるだけの貧乏くじだから。


 だからか、中々にいい給料が貰える――それこそ退魔師よりもよっぽど多い給料を。


 狂ってる。この世界は狂っている。退魔師を道具のように、この世界の奴隷のようにこき使っている。

 両親も、兄弟、姉妹たちも、みんなその被害者だ。


 退魔師は子を産め。いくらでも替えが聞くように。血が絶えないように。

 ずっと、遥か昔から引き継がれてきた呪いから逃れられずにいる。誰もが、狂っていると分かっているのに。




――御堂一姫、監視者となる貴方に幾つか決まり事を伝えます。


 監視者となったばかりの頃、私はそれを聞いた。


――決して退魔師を褒めてはいけません。称えてはなりません。彼らは魔を討ち払って当然の存在。それを特別なことであるという自覚を与えるべきではない。


 それはまだ今より子供だった頃の私にとって、とてつもない衝撃だった。

 頑張った人は褒められるべきだ。称えられるべきだ。

 ましてや退魔師は私達を、世界を、命を賭して守ってくれている。そこに感謝の念を抱くなというのか。


 しかし、後に知る。これは監視者だけではなく、退魔師同士であっても同じ。

 退魔師を褒めてはならない。認めてはならない。それが、この世界の絶対のルールなのだ。


――かつて、増長した退魔師が人を支配しようとした事件が起きたいいます。結果的にその者の野望は阻止されたものの、その過程で多くの者が命を散らしたといいます。


 退魔師が、人を支配する。

 恐ろしいことだと思った。思ってしまった。

 だって、退魔師は人が持たない特別な力を持っている。彼らが本気になれば、私のように力を持たない者が敵う筈も無い。


 その時分かった。この人たちは怖いのだ。退魔師がその牙を自分たちに向ける可能性があるということが。

 だから退魔師の首に鎖をかけている。決して裏切らないようにムチで打ち、自分たちが上位者であると刷り込んでいるのだ。


――退魔師は道具だと思いなさい。薬は、同時に毒でもあります。使い方を間違えれば危険に晒されるのは人間の方です。


 けれど、退魔師とて人間の筈だ。私の両親は、家族は――彼は……!


――かつての事件では、退魔師も多く死に至ったといいます。これは人間だけでなく、退魔師を守ることにも繋がるのですよ。分かりますね?


 分からない。分かりたくもない。

 けれど、分からなければ、納得しなければいけない。


――御堂一姫。このことは家族にも伝えてはなりません。貴方の胸に秘めていてください。それこそが監視者になるということです。


 その言葉を受けて、私は頷くしかなかった。ただただ恐ろしかった。

 ここで首を横に振れば、「でも」と声を上げれば、どうなるかなんて容易に想像がついた。 

 

 この瞬間、私の首にも鎖が嵌められた。それは私が特別なわけではない。

 私にこのことを伝えたその人の首にも、鎖は見えた。


 この世界は狂っている。




 私は監視者になった。

 家族の下を離れ、必死に監視者としての学を磨いた。上位者には迎合し、規律に厳しく、磨ける技はなんでも磨いた。

 それこそ寝る間など惜しまなかったし、人並みの幸せなんてものに期待もしなかった。


 ただ一つ、願いが叶えばそれで良かったから。


――御堂一姫。其方を“五条晶”の監視者に命ずる。


 その言葉を聞いた時、心臓が止まるような錯覚を覚えた。


 五条晶。同年代の私達には、いいや、退魔師なら誰でも一度は耳にしたことがある、100年に一度の天才。そして、私の幼馴染。

 退魔師に序列は無いけれど、仮に実力順にランク付けをしていくのであれば、確実に最上位の一角に名を連ねる天才だった。


 もちろん規律の存在によって、誰も彼を褒めることはしないのだけれど。


 彼は私にとって憧れだった。ずっと、物心がついた時からずっと。

 私は、彼が好きだった。愛していた。たとえ他の全てを失ったとしても、彼から嫌われたとしても、傍にいたいと願うほどに。


 だから嬉しかった。監視者になったのは彼の傍にいるためだったから。

 退魔師として同じ道を歩めない私にとって、それが唯一の道で――地獄の始まりでもあった。




 知っている。彼が日々摩耗していっているのを知っている。

 ただただ苦しいばかりの日々に絶望していることを知っている。


 そして、そのストレスを与えているのは監視者である私だ。

 もしも私が彼を褒めれば、認めれば、彼の気持ちは少しは和らぐかもしれない。

 けれど、それは許されない。


――五条晶の持つ力は強大です。我らにとって希望であると同時に、扱いを間違えれば諸刃の剣ともなる。期待していますよ、御堂一姫。


 晶は彼らにとっては道具でしかない。

 もしも彼らに不要と判断されれば、すぐさま処分されてしまうだろう。晶の力を認めるからこそ、彼らも容赦はしないだろう。


 だから、私が守らなければ。彼を悪意から守らなければ。

 それが彼に悪意を与えることでしかできないのであれば……。



「お願い、晶。帰ってきて。死なないで。どうか、どうか……」


 私は誰もいない、1人きりの時だけ本当の自分になれる。

 彼が出ていった部屋に取り残され、ただ祈ることしかできない。


 この時間はいつもこうだ。胸が抉られ、涙が溢れる。

 指令が来なければいいのに。幽世が開かず、杞憂に終わればいいのに。

 そう願っていても、それは来てしまう。彼は行ってしまう。


 緩んだ笑顔を無に変えて、少年から最高峰の退魔師へと変わる。

 彼は強い。けれど、絶対は無い。

 もしも彼が帰ってこなければ、死んでしまったら――考えると呼吸ができなくなる。


 ただ必死に祈り続けて彼を待つ――この時間が私は本当に嫌だった。自分が無力だと思い知らされるから。



 そして、どれくらいの時間が経っただろうか。


――ギィ……。


 古い建物ゆえに軋んだドアが音を立てる。


「お前……」


 私は直ぐに監視者としての仮面を被り直す。

 晶を“お前”などと呼んで、違和感を与えるなんて女々しさの残る醜い仮面を。


「……御堂、まだいたのか」


 淡々とした冷たい口調。この言葉を浴びるたびに胸が深く抉られる。

 悪いのは私だと分かっているのに……。


「当然でしょう。私はお前の監視者なのだから」

「ああ、そうかい。ご苦労さん……」

「あきっ――!?」


 受け身も取れずに、それこそ電源が強制的に落とされたみたいに、晶が倒れた。

 見ると酷い怪我を負っている。顔色も頗る悪い。


「ああ、晶。晶……!」


 気絶した彼を部屋の中に引きずり入れて服を脱がす。

 生々しい怪我から目を逸らしたくなるが、彼の怪我を処置するのも監視者の務めだ。

 私が唯一彼の為に正しいことを出来る瞬間だけれど、彼が傷ついているのを見るのは本当に苦しいけれど……


 傷口に薬を塗り込み、包帯で包んでいく。怪我は多いけれど、重症ではない。

 全ての処置が終わる頃には彼の顔色は随分と回復していた。


 相変わらず眠ったままの彼を、敷いておいた布団に寝かせる。

 きっと明日には元気になっているだろう。今までもずっとそうだったから。


 だから、私の心配なんて、微々たるものにもならないと分かっている。

 けれど――


「お疲れ様、晶。本当に凄い……貴方は凄いわ。貴方のおかげで、この世界は守られている……貴方はヒーローよ。この世界の、私の……ありがとう。本当に、生きていてくれて、ありがとう……」


 眠ったままだから。聞いていないから。

 そんな言い訳をして私はそんな無責任な言葉を投げつけてしまう。


 そんな言葉では到底、この想いは言い表せないというのに。





「ん……あぁ……」


 ゆっくりと重たい瞼を開く。

 見慣れた汚い天井が広がっている――どうやら自宅まで帰ってこれたらしい。


 違和感に目を向けると、身体の至る所に包帯が巻かれていた。この丁寧な処置は――まぁ、間違いなく御堂のものだろう。


「また、死ねなかったな」


 仕事の後の朝はいつもこうだ。

 幽世から来る妖魔と戦って、そのまま死ねたらとどこかで思ってしまう。そうすれば解放されるのではないかと。

 けれど結局口だけで、死ぬのが怖い俺はなんやかんや生き残ってしまうのだけれど。


 ちょっとイキっているみたいで恥ずかしいので、そんなこと誰にも言えないが。


「ん……?」


 枕元にラップで包まれたおにぎりが2つ置いてあった。

 これも御堂が残していったものだろうか。触れるとほんのり温かい。


「ま、餓死されて死なれたらって話かな……あーあ、こんなものより、たった一言褒めてさえくれれば俺だって頑張れるのにさー」


 それこそ御堂のような美人からなら特に効果があるだろう。

 あいつだってわざわざおにぎりを用意するよりもそっちの方が遥かに楽だろうに――いいや、嘘でも褒めることはできないほど、俺に期待してくれていないのかも。

 そう思うと控え目にも死にたくなっちゃうなー、あはは……はぁ、つらい。


 どれくらい寝たかは分からないが、スマホを確認すると、もう支度して学校に向かわなければいけない時間になっていた。


 今日もまた一日が始まる。空虚な、ただ生きているだけの一日が。

 また、佐崎とハーレム一行の繰り広げる幸せで眩しい青春の日々を見せつけられるのだろうか。ちょっとお腹いっぱいなんだけどなぁ。


 あぁ……どうか、ほんのちょっとでもいいから、夜な夜な世界を救っている僕を誰か褒めてください!

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