第29話 記念日
(1)
「宮成さん。次は何をすればいいですか?」
部品図の作図のスピードに俺の検討がついていかない。
「ちょ、ちょっと待ってて」
そう言って大慌てで次の部品図を準備する。
部品図を準備するというのは部品を書くだけじゃだめだ。
その部品にどんなボルトを使ってどんなピンを使うか。
そんなのを全部まとめて情報として詰め込む必要がある。
そしてその出来上がった部品図がきちんと反映されているかをチェックしておかないといけない。
最近のCADでは部分的に伸ばしたりできる機能がある。
そして尺度的に入らない寸法の為に寸法の上書きという機能もある。
便利だけど危険な機能。
図面的には正しい寸法でも表記されている寸法が間違っているということも多々ある。
また、小数点以下の寸法は公差の理由で必要ないのに表記されている場合がある。
これは書いた方もチェックしなかった方にも落ち度がある。
当然相手を責めることが出来る立場じゃないので黙々と修正をする。
公差があるなら別にいいじゃんと思うかもしれないけど、工場の人は気づかずに精度を上げる場合がある。
その場合当然コストがかかる。
たかが図面1枚でいくらでも損失を出すのが設計という仕事。
そして俺は1工程を全部任されるようになり何人もの新人の仕事を準備しながら自分の仕事を勧めなければならない。
流量やポンプの選定は見るに見かねた冬莉が手伝ってくれた。
その冬莉にも申し訳ないことをしている。
「今日も遅くなるの?」
「うん、ちょっと遅くなるかも」
「手伝おうか?」
「あ、いや。寸法チェックと明日の仕事の準備だから」
「わかった。あまり根を詰めすぎないでね」
こんな感じで毎日残業をして冬莉の料理を無駄に冷ましている。
最初は冬莉も俺の帰りを待っていてくれたのだが、それは気の毒なので説得して先に寝ていてもらうようにしていた。
休日にやっと休めると思ったら、スマホが鳴る。
「先輩、資料の図面どこにあるんですか!?」
「それなら引き出しの中にいれてあるよ」
最近は情報漏洩等の管理も厳しく図面を机の上に放ったままということが出来なくなっていた。
もちろん鍵をかけてある。
「鍵はどこにあるんですか?」
言われてしまったと思った。
作業着のポケットの中に入れっぱなしだ。
「今持っていきます」
もう一度印刷すればいいじゃんと思うかもしれないけど、A3の図面を何十枚も印刷してたら当然のように上から苦情が来る。
社内で使う資料なら一度印刷した裏面を使って印刷しろっていうくらいだ。
プリンターにはよくない使い方だけどそんな使い方をしている。
両面印刷した図面は鍵のついたゴミ箱に入れて業者に来てもらってまとめてシュレッダーにかけてもらうようになっている。
某メーカーの仕事を受注してからはその管理はより一層厳しいものになった。
常に社員証をぶら下げておかないといけない。
関係者を設計室に入れてはいけない。
会社のOBが勝手に入ってきて所長に怒鳴られるという事件も起きていた。
大きな工場だと網膜認証なども導入されてるらしい。
それでも何度注意しても社外に図面を持ち出す人間もいる。
図面だけじゃない。
会社独自の設計基準などの資料も同様に持って出たりする。
「……で、今から会社に行くの?」
明らかに冬莉の機嫌が悪い。
無理もない。
やっと休みをもらえて、一緒に映画を見に行こうという直前の出来事だったから。
「す、すぐ戻ってくるから」
「そう言ってナリがすぐに帰ってきた試しはない!」
「か、帰ったら次の時間の分とかには間に合うから!」
「分かった。じゃあ、待ってる」
冬莉を説得するとすぐに会社に向かう。
鍵を渡して説明して、ついでに注意をくどくどと受けて帰るとやはり昼を過ぎていた。
「冬莉、ごめん!」
家に帰るとすぐに冬莉に謝る。
「……もういい」
本気で機嫌が悪そうだ。
これじゃ作戦前に終わってしまうんじゃないか?
「分かったから着替えて来て。お昼は私が作るから」
「あ、いや。作業着じゃないし……」
外で食べてもいいじゃない。
「そう思ったけどやめた。また呼び出される可能性だってあるでしょ?」
本気で怒っていそうに思えた。
「それなら家でゆっくりしてようよ。ナリの休息日」
どうせ外でも緊張して疲れるだけなら家でのんびりしようよと冬莉は言う。
「ごめんな。あと少しだから」
「何が?」
しまった。
つい口が滑った。
困っていると冬莉は何か察したのだろうか?
「がんばるのはいいけど、それでナリが体壊したら意味がないんだからね」
そう言って冬莉はラーメンを作り始めた。
目的の日まであと3か月。
なんとかなりそうだ。
(2)
図面は全部チェックした。
残りの検討項目もすべてクリアした。
出図も部品表作成もすべてやった。
先輩に確認もして漏れはない。
「すいません、お先に失礼します」
「今日は定時なんですか?珍しいですね」
「今日はちょっと所用が……」
「まあ、仕事は終わってるからいいですけど……あ、そういうことですか」
石井さんは察したらしい。
「うまくいくといいですね」
それを一緒に聞いていた冬莉は首を傾げている。
仕事の後は冬莉と予約してあったレストランに行く。
冬莉の知り合いのレストラン。
この日の為に準備していた冬莉へのプレゼントも用意して着替える。
この時間でもバスがないからタクシーで行く。
「なんかナリ怖いよ?」
冬莉がタクシーの中で聞いてきた。
「何があるの?いい加減教えてくれてもいいじゃない」
「……もう少しだけ待って」
「ナリがそう言うなら……」
レストランにつくと注文をして料理を待つ。
「私の家ではこう言われてるの。もやもやを抱えたままで食事をするのは料理に失礼だからすっきりさせてからにしなさいって」
冬莉の家では食事に対しては決まりが多い。
それだけ食を重要視しているんだろう。
意を決してテーブルに冬莉へのプレゼントを差し出した。
その小箱の大きさを見て気づいたんだろう。
冬莉は静かに俺の言葉を待っていた。
「ちょっと早いかもしれないけど、これまで十分冬莉の事は見てきたつもり。そのうえであえて言います。俺と結婚してください」
「クリスマスに言うって決めてたの?そんなのは関係ないって私言ったでしょ?」
「そうじゃないよ。今日は冬莉の誕生日だから」
冬莉へのちょっとした誕生日プレゼントにしてあげたかった。
ずっと考えていたこと。
冬莉に何かしてあげたい。
こんなにも俺に尽くしてくれる冬莉へ感謝を示したい。
俺の中で最大級のプレゼントのつもりだった。
「……そう言ってクリスマスと誕生日と記念日をまとめてしようって思ってるでしょ?」
「ち、違うよ」
「それに……この日の為に無茶な残業してきたんだね」
ああ、失敗したのだろうか?
魔法使いは卒業できたと思ったんだけどな。
でも様子が変だった。
冬莉は泣いている。
「ごめんね。素直になれたらいいのに……」
「え?」
「ありがとう。私は今とても幸せです」
これで分かって欲しいと冬莉は笑っていた。
て、事は……。
「天音たちが言ってた結婚記念日は入籍した日でも式を挙げた日でもいいって」
だから冬莉の言ったことは気にしなくていいと冬莉が言う。
「でもお願いがある」
「お願い?」
「うん、これでナリの目的は叶ったのでしょ?だからもう2度と無茶な残業はしないで欲しい」
式までに過労死なんてされたらいやだ。
私の最後の恋愛にしてくれるんでしょ?と冬莉が言う。
「うん、今の仕事も今日無事終わったはずだし」
「新しい仕事が入ってもダメ!」
「分かったよ」
「……いつにする?」
何を?
「本当に先の事を考えていないんだね。私の親に挨拶に行く日とか決めないとダメでしょ」
冬莉の家は名家ではないけど親戚がすごい。
結構大変だよと軽くプレッシャーを与えてくれた。
その後夕食を食べると夜の街に出る。
冬莉はしっかりと俺の腕に抱き着いていた。
「夫婦になるならこのくらい見られてもいいでしょ?」
粉雪が舞いネオンが光る中で、冬莉の笑顔が一番きれいに思えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます