グラジオラスは終焉に咲く
ミカヅキ
第一章:太陽龍と月の狼
第1話:骸喰らいの御子
1-1:骸喰らいの御子
僕は剣になる
震える心を殺して
動かす手足が朽ち果てるとも
この命が
いつか砕けるその日まで
*
「――見えました! 見えましたよ、ヴィスリジア皇国の皇都!」
少年の、弾んだ声が飛行艇に響く。
皇国騎士団に入ったばかりの見習いは、まだまだ未熟だが体力だけは有り余っているらしい。そんな、からかい混じりの暖かな笑い声が、操縦室に響いた。
「元気だねぇ、子供は」
「俺達ゃもうヘトヘトだよ。五ヶ月ぶりの本国か、長ぇ遠征だったな」
そんな会話は、飛行艇の談話室、騎士団員が多く集まって憩うそこでも交わされる。甲高い少年の声はよくよく響いた。穏やかな空気。皆、到着したら何をする、家族への土産――そんな話で笑い合う。
「――前方五百メートル! 不審な動きの飛行艇を発見!」
その空気を切り裂いたのは、見張り番の声だった。だらけた様子だった団員が、全員顔付きを変えて立ち上がる。それぞれが、迅速な動きで己の役目を果たす為、武器を手に駆けた。
――艇の廊下を、足早に進む者がいる。先んじて進む、ひとつくくりにした赤い髪の持ち主は、十を超えて十八には至らない――見習いの少年とさほど変わらない歳の頃か。後に、長く深い藍色の髪を揺らして、顔に斜め一線の傷痕をひいた二十後半ほどの男が続く。
その二人が、操縦室へと足を踏み入れた。操縦士達の何人かが、その方へと顔を向け、敬礼の姿勢を作る。
「前方の飛行艇は隣国レスティアのものだと思われます」
操縦士のトップを務める初老の男がそう報告した。続けて、嗄れた声で、彼は唸る。
「そして……複数の、【
「……そうか」
答えたのは赤髪だった。凛と、自分よりも歳上ばかりの艇で、命ずることに怖気を感じさせない声音をしていた。
「――艇を寄せろ! 災骸を討伐する!」
「はっ!」
バタバタと、操縦室が慌ただしくなる。それに踵を返して、赤髪は出口へと足を踏み出す。赤褐色の外套が翻り、赤髪が纏う、騎士団の白い制服が揺れた。左の、白竜を模した肩当て――その瞳部分が、金に輝く。
レスティアの飛行艇は混沌に満ちていた。最早、生きたひとの姿は見えない。艇内は獣の如き爪痕に荒らされ、物は粉々に砕かれていた。
そんな飛行艇の、甲板。そこも例外ではなく爪に抉られ、壊された飛行艇の外装や構造物の瓦礫が散らばっていた。
――二体の、巨大なナニカがいる。赤黒く、硬い甲殻を見に纏った、獣とも巨人ともつかぬ怪物が、人間の死骸を奪い合うように喰らっている。ブチブチと、胴体から腕が喰いちぎられる音がした。
――ひゅう、と。
小さな音だった。先程からレスティアの飛行艇は――もう一つの飛行艇に捕獲され、接舷を受けていることにより――酷く揺れ、大きな音が鳴り響いている。その音に、風の音に、簡単に呑まれて消えそうな、小さな――しかし、その、生者の息に、怪物の二匹はぐりんと顔を向けた。
怪物は、物陰で深い傷を抑えながら隠れていた少年の目を、見る。
「――、」
声も出せずに、少年が震えた。怪物の一匹が、巨大な腕を伸ばすのが、血を失いすぎて霞む視界でも分かる。
――そして。
それは、少年に届く前に、ぼとんと落ちる。腕が、怪物の体から、断面を見せて切り落とされたのだった。
《GA、Aaaa――》
不協和音のような叫びが鳴り響く。もう一体の怪物も、同調するように鳴いた。夜闇にそれは不気味に響いて、しかし――それすら切り裂くように、光が一閃を描く。
それは剣である。
少年の前に、怪物の腕を切り落として舞い降りた、赤髪が。握る、つるぎである。
夜の中、眩く戦場を照らす――太陽が、そのまま形となったような刃、だった。
「――目標を発見」
凛と。
男とも、女ともとれる声だった。怪物が音高く叫ぶ不協和音の中で、その声は透き通って響く。
赤髪を靡かせて、甲板を蹴った。
太陽の剣が、光を描く。鮮やかに、それぞれの怪物の四肢が落ちていく。黒い血が噴き上げて、それは赤髪を濡らすことも叶わず瓦礫を汚す。
怪物の一匹の眼前に赤髪は飛び込んだ。一閃。その巨大でおぞましい首が転げ落ちる。やや遅れ――真黒のえきたいが噴き上げて――その中に――
『と、ぉさ』
レスティア語で、少年が小さく呟いた。
首を無くした怪物の中、黒い血に塗れて五人ほどのひとがいる。それらは半透明をして、怪物の中に溶け込んでいる。その、ひとのかたちをしたうちの顔のひとつに、少年は嘆いた。
かつて、それは、少年の父だった。
――赤髪が剣を振るう。もう一体の頭を飛ばして、剣は、形を変える。ぐにゃりと歪んだ光の刀身は、二叉に裂け――それは、口を開いた竜の如く。
怪物は光に飲み込まれる。光に、喰われる。
『――災骸を――喰らった――』
少年が、潰れた喉で、呟いた。赤髪が振り返る。
その瞳は、髪と同じ、鮮烈な赤だった。光と共に形を失う剣を手放して、その光の粒子が己の胸部に吸い込まれていくのをそのままに、赤は、少年を見る。
『むくろ、ぐらい』
『
その言葉と、その光景が、少年の最期だった。
そうして、夜は静寂を取り戻す。
「皇子」
飛行艇を調べる騎士団員達の合間を縫って、藍色の髪を揺らした男が歩み寄る。声をかけられた赤髪が振り返り、その、己よりも高い位置にある、彼の翠の瞳を見上げた。
「報告してくれ、ルークレイド」
「御意」
赤髪にそう請われ、男――ルークレイド・ヴォルフロードは素早く敬礼して口を開く。
「確かにこの艇はレスティアの商船のようです。船員は十名ほど。【災骸】は先程の二体のみ。死体は――ほぼ、肉片程度にしか残っていません。災骸に食われ、一体化したと見られます」
「十名……少年を除けば九名。災骸の中に見た人数と一致する。息のあった少年は?」
「意識を落としたまま……、心拍が弱まっています。内蔵の損傷も激しく、もう助からないでしょう。災骸に汚染されたこの場所では、恐らく――」
「……弔いの儀式を準備する暇もない、か。……まだ、二桁にも満たない年頃だったな」
赤い瞳が顰められた。だがすぐにその顔を上げ、外套を翻してルークレイドの前を行く。
「分かった。災骸化する前に、私が魂を還す」
「……お願いします、皇子」
一礼し、ルークレイドが後に続く。皇子、と呼ばれた赤髪のその手には、再び光を宿す剣が握られていた。
怪物を切り裂いたその剣は――今度は、まだ僅かにでも息をしているであろう少年の心臓を貫くためのものとなる。
「皇子」
傍についたルークレイドの声に、赤髪は僅かに笑う。
「分かっている。私の剣は、救うためのものだ。
神の怒りを断ち切り、彼に安らかな眠りを」
ルークレイドが目を伏せて、ええと応えた。
「どうか彼に救いを――我等が、偉大なるソレイラージュ殿下」
マキネス。
その名は、【人間界】を総称とする――人間が支配する幾つもの小界の、一つであるこの界に付けられた。
遠い昔、神に見捨てられた界、マキネス。
この地では、死した魂と骸は異形へと変性する。
それは災骸。
神の怒りか、呪いか。狂いし死者は、人間には殺せない。
殺せるのは、人で無し。
神を失った人間は、機械仕掛けの神を創り上げた。
――ソレイラージュ・ラグナス・ヴィスリジア。
それが、齢十五にして、【太陽の機械精霊】の心臓を宿す――ヴィスリジア皇国第一皇子にして皇国騎士団長の名であった。
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