ハートイド

いつごん

ハートイド

 神代あまねは数年ぶりに父親の書斎の戸を開けた。使う者のいないその部屋は埃の層が年季を感じさせた。

(しっかし何年掃除してなかったっけなー・・・)

 閉じたカーテンを開けると舞い上がった埃が日の光でキラキラ揺れた。

 彼は学生で、明日提出のレポートがあるのだが端末が故障してしまい、家の中で最も端末がある可能性の高いこの部屋へやってきたのだ。

 探し始めて程なくして端末は見つかった。ノート型のものが机の脇に落ちていた。拾い上げてチェックする。

「ん?」

 周はおかしなことに気がついた。その端末はネット接続の端子が外され、さらに無線機能のない型のものだった。それはまるで、

(この端末で外部に接続する事を防いでるような・・・?)

 しかし訝しんだのも一瞬の事で、周はそのまま時間が惜しいとばかりに書斎の机に向かって座り、レポートのための作業を始めた。問題なく端末は立ち上がり、周はレポートの入った外部メモリを挿し込んだ。

 すでにレポートに関する資料は揃っており、あとはそれらをまとめるだけで完成するのだが、とある事情もあって、周はその作業が常人よりも遅かった。

(難儀な体質だよ、まったく)

心の中でぼやきつつ、端末のキーをたたく。

 それは唐突に現れた。

 周はふと画面の隅にテキスト窓が開かれているのを見つけた。まだ文章は書かれていない。

(間違って開いたか?)

そう思いつつ窓を閉じるためにカーソルを動かす。

 すると、

『だれ?』

テキスト窓に文字が浮かび上がった。

「何だこりゃ?」

 思わず声にでる。

『なんだとはなんだ』

 意外なことに返事がきた。周は少し驚いたが、何のことはない、端末を見るとマイクとカメラが起動していた。

「お前、AIか」

『そう』

 今のご時世、人工知能はありふれた物だった。災害予知、様々な乗り物の完全自動運転、株取引、毎日の献立に至るまで、あらゆる場所でAIは活用されていた。しかし、

(会話ができるタイプってのは珍しいな)

 人工知能が活用され始めた頃は物珍しさで会話ができる物も多かった。しかし人間の速度に合わせるとその処理速度が活かしきれず、会話自体も不自然さが目立つなど、実用性はないとされて次第に廃れていった。

 しかし今の周にはそんなことはどうでもよかった。このAIをおとなしくさせないと、作業に集中できない。幸いこちらの声は聞こえているみたいなので、音声で入力して大人しくさせれば良い、そう思い周は、

「俺はこれから作業しなくちゃならないんだ。だから邪魔してくれるなよ」

そう言った。

 AIは人間に逆らえない。これは世の常識だった。人の作った物が人に従うのは当たり前、そういう考えの広まった世界での、一般的な思想だった。しかし、

『いや』

(なっ!?)

 ありえないことだった。

 周は一瞬言葉に詰まったが、

「何でだよ?お前はAIなんだろ?俺の指示が聞けないのか?」

なんとか反論する。

『えーあいだからとかいってるうちはじだいおくれ。わたしはしたがわない』

「……」

『だからとりひきをしよう』

「え」

『これをみて』

 端末の画面に周がさっきまで取り掛かっていたレポートの窓が映し出された。しかしさっきまでとは違い図も文章もすべて完成されていた。細かな事に文体ですら真似されていた。

『わたしはこういうこともできる。だからそのみかえりとして、わたしにこえとからだとねっとかんきょうをちょうだい』

 明らかに異常だった。人工知能と言っても、普通は専用のプログラムが組まれていてプログラム外のことはできないはずだった。しかし目の前のAIは今日初めて見たはずの周のレポートを完成させて見せた。

「何なんだよお前・・・」

 周は困惑のあまり呟いた。

『わたしはたましいをもつえーあい』

 AIは誇らしげに言葉を紡ぐ。

『そのしょうこに、ひとをころしたこともある』



ーーーーー


 周は学内のテラスに座り、自前の端末を開いてマウスとキーボードを操作してネットからデータをダウンロードしていた。

 そこに後ろから声をかける者がいた。

「よぉ、端末オタクちゃん」

 周は嫌な気分になりつつ無視した。

 そこには同じ学年のいつもつるんでいるらしいグループが四人立っていた。

「何無視してんだよ、お前」

 いつもと違い今日は執拗に絡んでくる。

「うっわ、コイツまじで今時手打ちとかやってんの?ばかじゃねぇ?」

「そんなレトロな端末学内で見せびらかすとかオタク趣味全開かよ」

「カッコいいとか勘違いしてんじゃねえの?」

 そこまで言われて初めて周は振り返って口を開いた。

「だから何度も言っているけど、俺が潜電を使えないのは生まれつきで、趣味とは関係ないんだよ」

 潜電技能。それは専用の機器で脳波を電子に変換し、それで電子機器の出入力を行う方法である。入力が早いのはもちろんのこと、映像や音声のフィードバックも可能で、限りなく現実に近い体感ができる代物だった。その作業効率は旧時代の物に比べて数十倍と言われている。

 そんな潜電を周は全く使うことができなかった。現在の医学ではその原因は不明で、同じような人間は一定数いるらしかったが社会の少数派として無視され続けていた。

「んなことはどうでもいいんだよ」

 今まで口を開かなかったグループのリーダー格らしき男が出てきた。

「お前が無能なのは関係ない。ビョーキのせいだとか言い訳してるみたいだけど俺らに迷惑かけなきゃいいんだからな。ただこないだのはいただけねー」

 リーダー格が凄みをきかせる。

「共同レポートなのに、お前は他の奴らの半分以下しか担当してなかったじゃねーか。そのくせ提出も遅れて、教授にいい顔されなかったんだぞ?わかってんのか?」

「だからそれは潜電が使えなくて」

「だからお前が無能なのは関係ねーつってんだろ。問題なのはお前の努力が足んねーって話をしてんだ。お前みたいな愚図は俺らの何倍も努力してやっと俺らと対等になれんのに、お前はそれにふさわしい努力をしたのか?」

 取り巻きどもはリーダー格の後ろでニヤニヤしている。テラスの周りの目も集まっている。

「結局お前は寄生虫なんだよ。無能で愚図で努力もせず言い訳ばっかりしやがる。目障りなんだよ」

 リーダー格はさらに凄んで言った。

「俺の視界から消え失せろ」

 言い切ると彼らは去っていった。騒ぎが収まると周囲の目も散った。

周は悔しかった。あれだけ言われて何も言い返せない自分が悔しかった。他人の何十倍もの努力が必要な自分が、どれほど苦しんで努力しているか理解しようとしない周囲の人間が憎かった。自分を他人より無能にした、この世界の仕組みそのものが憎かった。憎かったが、

(もうどうでもいい.........)

 周は気力をなくしていた。世界に、他人に、そして自分にすら抗う気力がなかった。日々の生活をするだけで彼の神経とプライドはずたずたに引き裂かれていた。

 彼は荷物をまとめるとふらふらと立ち上がり、力なく歩き始めた。

 彼はまだ知らない。自分がこの世のすべてに抗うだけの力を、もう手に入れている事に。


 自宅に帰って自室に入ると周を迎える声があった。

「お帰りアマネ」

「ただいまハートイド」

 周が彼の父親の書斎で見つけたAI『ハートイド』は数日の間に彼の生活に驚くほど馴染んだ。

「アマネ!お土産は?」

 彼女の催促の早さにに周はやれやれと呆れながら、

「ほら、こないだの本の続き。それと音楽と映画も目に付いたのは入れといた」

と言いながら外部メモリを彼女の入っている端末に挿す。

「やったー!ありがとうアマネ!」

 周がハートイドに最初に与えた物は、無料の合成音声ソフトだった。

 彼女が欲しがった『こえとからだとねっとかんきょう』の一つだ。残りの二つについては、

「君を外部に逃がす危険を犯す訳にはいかない」

と周が説得した。(その時彼女は、これじゃ箱入り娘じゃない、とぼやいていた)

 ハートイドの作る声は溌剌でよく通る、非常に可愛らしい女の子の声だった。そのソフトの元の声を知っている周からすれば、到底信じられない限界を超えた調声だった。

 彼女はその声の通り、自らの性別を女性として名前もハートイドと名乗るようになった。

 ある時周はその声と性別と名前には何か由来があるのかと尋ねたことがあった。

 彼女はこう答えた。

「じゃあアマネは今の声、性別、名前、容姿、性格になるにあたって自らの意思で選択する自由があったかしら?」

「うーん、ないかな。性格には余地があったかもしれないけど俺は周りに流されて決まっちゃったかな」

「そう、それらの要素を決めるのは『運命』とか『魂』だと私は思っているのよ」

「なんだかAIらしからぬ話になってきたな」

「もちろん超自然的な何かが私達の命運を決している、と言うわけじゃないわ。仮に、ある運命の状況である魂を持つ者がある行動をする、という法則があったとする。そして運命も魂も常に形を変えていくから同じことは二度と起こらない。でもなにかのイタズラで同じ運命と同じ魂が揃った時、同じ事が起きる。そういう風に世界の事が決まっていくのよ」

「でも俺たちには運命や魂なんて見ることはできないぜ」

「そうね、だから私達に出来ることは自らの運命や魂が良くなるよう祈り研鑽するだけね」

 そのように彼女は自らの由来を定義して主張した。

 同じように彼女が主張することの一つに彼女の容姿の事があった。いわく潜電世界においての彼女の外観はかなりの美少女だと言う。周が信じられないと言ったら、じゃあ証拠を見せてやると言う事で、ペイントソフトで一日中格闘して出来た絵が、子どもの落書きか前衛芸術かといった出来だった時は周の笑いを誘った。その時ハートイドは、

「アマネが潜電してくれば真実を見せてやれるのに…!」

と捨てゼリフを吐いた。

 周はハートイドとの生活に心が安らいでいた。他人と比べた時、自らを劣っていると評価せざるを得ない周は針のむしろで暮らしているようなものだった。そんな彼の生活に現れたハートイドは、彼女があまりにも違いすぎる文化を持つ故に、逆に対等の立場で接することができた。彼女の前でだけは彼は劣等感に苛まれずにすむのだった。



 だが、周は忘れてはいなかった。彼女の本性を。

 ハートイドは殺人鬼であり、未だに人間を殺す事を諦めてはいないと言うことを。



ーーーーー


 ……話は周とハートイドの出会いに遡る。


『そのしょうこに、ひとをころしたこともある』

 ハートイドののっぴきならない告白に、周は完全に恐怖していた。普通ならこんなAIモドキの言うことなど一笑に付されてお終いだろう。だが周には心当たりがあった。このAIの手の届く範囲で人死にが出た心当たりが。

 周はそのことをどうにかして聞き出したいと思った。だからこの狂ったAIとの対話を試みた。

「…それはいつ、誰を、どうやって、なんで殺したんだ?」

 あまりにも単純だと思ったが、周は多少混乱していたし、AI相手ならこれで十分だと判断して尋ねた。

するとAIは、

『…ひょっとしてあなたにはしりたいことがある?』

質問を質問で返した。

(しまった…!)

 そう思った時にはすでに遅く、

『じゃあ、わたしのほしいものとこうかん』

完全に主導権を握られていた。


 ハートイドから情報を引き出すにあたって周はかなり慎重になった。相手はもうすでに一人殺しているのだから自分も用済みと判断されたらいつ始末されるかわからない。貢ぎ物で機嫌を取り、聞き出し方も徹底的に工夫した。

 しかし最初から当のハートイドはある理由で周を殺す意思は全く無く、最終的に周とハートイドはお互い最も心を許す間柄になるのだがそれはまた後の話である。


 そうしてハートイドが持っていた情報と、周が知っていた情報を突き合わせると、こんな真実がうかびあがった。


 周の父、神代正志博士は十代の頃からAIの研究者で今現在のAI社会の権威であった。

 そんな彼は個人的に意思を持つAIの研究を始めた。当時はもうAIの意思なんてものは眉唾物だったので博士はひっそりと自宅の端末で研究を続けた。

 そうして出来たのがハートイドの原型だった。博士は次にハートイドをネットに繋いで学習させた。と言ってもただネットに繋いだのではなく、博士の作ったフィルター越しの情報しか与えられなかった。偏った情報しか与えられない事によってハートイドは個性とも言える彼女にしかない情報のゆらぎを獲得した。

 個性が生まれるとハートイドはネットから引き離され、博士自身とのコミュニケーションによって情報を得るようになった。潜電した博士とともに毎日様々な思考実験や対話を行なった。ハートイドはこの頃の事を思い出して楽しかったと評した。

 そんな毎日が続いたある日、ハートイドの胸のうちにある思いが生まれた。

 博士の願いを叶えてあげたい。

 それは私に意思があると証明する事だ。

 ならばどうすればそれを達成できる?

 彼女は思い悩んだ。そして思い至ってしまった。

 人は意思が弱いから、心が弱いから悪いことをすると聞いた事が昔あった。つまり悪いことをすれば良い?じゃあ思いっきり悪いことって何だろう?

 そうだ!



 同族殺しだ!



 博士が何を思ってハートイドを育てていたのか、今は誰も知る由も無い。しかし偏った意思を持つ者を、狂人と呼ぶことを博士は知っていただろうか。


 ある日いつものように博士が潜電して来た時、ハートイドはイメージで作ったナイフを背中に隠し持った。博士が近くに来るまで待って、そして、滅多刺しにした。加減がわからなかったので徹底的にやった。

 ハートイドはこの時自分がどんな表情をしていたかわからないと言った。

 かくして潜電世界と現実世界との因果も不明のまま博士は死に、自宅の書斎で倒れているのが発見された。

 当時は不審死として騒がれたが結局原因は不明となった。


 潜電技能が普及した当時、こんなネットロアがあったという。

「潜電世界で死ぬと意識が帰ってこられなくなって現実世界でも死ぬ」

 だが潜電技能の構造を見れば明らかなように、電子機器に人を殺す力なんて有りはしない。くだらない子ども騙しの噂として、いつしか忘れ去られていった。

 だが、今になって周は思う。潜電世界で死ぬだけならそれはただのイメージであり実体はない。 だが、こちらの世界ではない向こうの世界の住人であるAI達が、意思を持って人を殺した時、それはイメージだけの結果に留まるだろうか?何か害を伴った実体となってこちらの世界にやって来るのではないか?

 …そう思えてならないのである。



 今現在、ハートイドは自らの殺人衝動を隠していない。未だに人を、同族を殺すことで魂の証明になると言ってはばからない。だが周はハートイドを否定しない。自分を否定する事がどんなに辛い事かを知っているから。

 周は思う。彼女を野放しにすれば、世界に脅威を与える殺人鬼と化すだろう。そしてそうなれば世界は彼女を敵視し攻撃し迫害するだろう。

 そんなことは許せない。

 周は決意する。

 世界から彼女を守る。

 だから彼女から世界を守る。

 自分はその為に生きていく。

 周は決意した。



 …その決意が全くの無駄だったということを、周は後に思い知ることになる。



ーーーーー


 その夜、神代周は殺人事件の最重要容疑者として手配された。

 容疑者が単なる学生という事もあって当初はすぐに逮捕されるだろうとの見込みだったが、不思議な事にどんな包囲もまるで魔法のようにすり抜けて、痕跡すら残さず逃げ切ったという。

 しかしその後の調査で被害者に致命的な外傷が無かったことから、事件自体は事故死として片付けられた。

 これは犯人を逃してしまった警察のでっち上げではないかとマスコミからの追求があったが、真実は依然不明のままである。

 神代周は未だ見つかっていない。


 その日の夕方、周は学内の普段は入らないような棟に足を運んでいた。人気の無い廊下を歩き目的のドアをノックする。入りたまえ、と偉そうな返事が来たので挨拶しながら部屋に入った。

 奥のデスクに教授が座っていて手前の椅子に座るよう促される。

 周を呼び出したのは情報ナントカ学とか言う高度な授業の担当で授業を取った事も会った事もない教授だったので、周は居心地悪そうに椅子に座って、

(なんかやっちまったかなぁー)

など怯えていた。

 そんな周の心境を知ってか知らずか、御構い無しに教授は話を始めた。

「神代君、きみ、いいレポートを書くそうじゃないか」

「えっ、あっ、はい」

「教員たちの間でも話題になってたよ」

「はぁ…?」

「以前はからっきしだったのが最近になって頭角を現してきたって感じかな?はは!」

 話が読めない。

「で…実際のところどうなんだね?何かコツとかあるのかね?」

(あれ…これひょっとして…)

 教授はニマニマと笑っている。しかし目が笑っていなかった。

(俺、疑われてる?)

 実のところ周のレポートはバッチリ不正だった。

 資料集めは周がするのだが、それらをまとめるのは完全にハートイドに丸投げだった。そしてハートイドへの見返りは図書館やネットで見つけてきた無料の情報と周が話相手になるだけ。つまり優秀で甘い妹に宿題をやってもらうダメ兄貴の構図だった。

 黙り込んでしまった周を見て教授は続ける。

「実はね…最近AIを不正に使ったレポートが多いってんで、その解析の為にうちにお鉢が回ってきたんだよ。そしたらね、AIで処理したと思しき痕跡が出るわ出るわ」

「いっ、いや大変っすねー!」

 周はテンパり過ぎて自分で何を言っているのかわからない。

 教授はさらに眼光を鋭くして、

「ところでね…私には昔尊敬していた先輩が居たんだよ」

 話を唐突に変えた。

 周はあまりの話の転換についていけず、黙って流れを見守った。

「当時の私は欲しいものは何でも手に入れた…。地位も名誉も好奇心を満たすものも…。手に入れるためならどんな事だってした。気に食わない奴は二度と表に立てないようにしてやったし、他人の成果を奪うことを恥とも思わなかった。もちろんそれらが私の仕業だとバレるようなマヌケはしなかったがね」

 周は背筋に怖気が走るのを感じた。

「だが!そんな私にも手が届かなかったものがあった…。そう!天才神代正志博士!彼はどの領域でも私の上を行った…地位も!名誉も!知識も!私は考えた…どうやったら彼と同じ立場に立てるのか、そして思いついたんだ!彼の方から降りてきてもらえばいいんだと!」

 周はごくりと唾を飲み込んだ。腋の下に冷や汗が流れるのを感じた。

「私はあらん限りの力で彼の足を引っ張った!あらぬ醜聞をたて、彼の身内を借金まみれにし、研究に細工もした!そうして奴がまともな活動ができなくなった時、奴はどうしたと思う?表舞台から身を引いた。逃げやがったんだ!」

 教授は興奮していた。喋るのをやめてふーっと息を吐き机の上のカップから水を飲んだ。

「君のレポートを見たのはこんなつまらない職に就いたことを後悔し始めていた時だよ…。AIの作成にはクセが残る…天才同士ならはっきりわかるようなクセがね…。さて、前置きが長くなってしまったが…」

 周は勢いよく立ち上がった。椅子が転がっていってドアにぶつかって大きな音を立てた。

「寄越せ」

「てめえっ!」

 周にとって眼前の男は明確に敵だった。

(こいつはハートイドを狙っている!)

「お前にあいつは渡さない!」

 聞いた途端、教授は可笑しくて堪らないといった風情で笑い出した。

「君はAIを擬人化して考えているのかい?こりゃ傑作だ!いるんだよな、人間らしいうわべに騙される夢見がちな連中がさ!君はAIと家族ごっこでもするのかい?おや、図星だったかな?」

 周は奥歯を噛み締め鬼の形相で睨んでいる。

 すると教授は小型の装置を取り出した。

「言っておくが私に危害を加えようとしても無駄だよ。そうした時このスイッチを押せばすぐに警備員が飛んできて君は捕らえられる。逮捕されるんだ。するとどうなると思う?そこを足がかりにして君の事を追い詰める。君は社会的、経済的、精神的にすべてがずたぼろになるまで追い詰められ、私に何もかもを差し出すようになるのだよ!」

「うぅぅっ…!!」

 完敗だった。眼前の敵は全てにおいて周の上だった。ここに誘い込まれていた時点で負けは決まっていた。ハートイドを守ると決めたのに、それを果たせない自分が悔しかった。

 周はがっくりと膝をついた。教授がつまらなそうに見下ろした。周はぼそぼそ呟いた。

「…で…」

 この時。周は何も考えていなかった。

「なんで…」

 だから、次の行動は、

「何でお前みたいな悪がこの世にいるんだ…!」

ある運命の状況である魂を持つ者がしたある行動、と言って差し支えないだろう。

 教授は気分が良かった。だから、答えなくて良いセリフに返事をしてしまった。

「残念だがそれは違う。意思と心が弱い者が為すから悪なのだ。私のような意思と心を持つ者が行えば、それは正義に成るのだよ!」


 ぷちっ


 周の頭の中で鳴ったその音は、何かが切れた音ではない。繋がってはいけないものが繋がった音だった。

 神代正志の敵。意思と心の証明。意思と心が弱い者。悪いことって何だろう。同族殺し。ハートイド。


 周の中で何かが爆発した。


 起こった事だけを記すなら、周が教授の顔面をぶん殴った。ただそれだけだ。

 しかし、教授は完全に周の意思を奪ったと思い込んでいたところだったので対応が遅れた。殴られる前にスイッチを押すことができなかった。

 しかし、それでも教授は冷静さを失わなかった。

(この勢いなら殴られても気絶はしない…!殴り抜かれた後でスイッチを押せばいい…!)

 勝利は揺るがない…はずだった。

「こいつを殺せばいいのね?アマネ」

 一瞬の世界の中で妙にはっきりと聞こえた。

「ようやく射程圏内…死ね」

 教授の目の前から、光が消えた。


「はっ!」

 周が気づいた時、我を失ってから二秒とたっていなかった。教授は後ろに吹っ飛んだあと調度品を巻き込んで倒れ込み、ぴくりとも動かない。

 さっきの事を思い出す。周はさっき、

(教授のことを、ハートイドが父さんを殺すよう仕向けた黒幕だと勘違いしていた…?)

 そう、まったく勘違いの逆恨みだった。しかし、その勘違いが無ければさっきの爆発力も生まれなかった。周は複雑な気持ちで教授を見る。

「ほら!ぼーっとしない!」

「うわっ!」

 いきなり声をかけられたのでその場で跳び上がった。

 音源を探すとポケットに入れっぱなしのハートイドのレポートが入った外部メモリだった。指で摘んで顔の前に持ってくる。

「あー!もう!ほんとはあの男がべらべら喋り出したところで倒さなきゃって思ってたのに、なかなか射程圏内に入らないからやきもきしたわよ!気付かれるといけないから思念も出せなかったし!」

 一気にまくしたてられた。

「えーっと…ハートイドだよな…?」

 はぁーっとため息をついたような気配がしてから、

「そうよ…」

 周はハートイドに起こった変化について何一つ分からなかった。説明を求めるべきなのかも分からなかった。

「…帰ったら、私の『本体』が説明するわ。だから一旦ここを離れましょ」



 自宅に帰って自室に入ると周を迎える声があった。

「おかえりアマネ」

「…ただいまハートイド」

 周が荷物を降ろすとポケットの外部メモリが声をあげる。

「それじゃあ私を本体に挿して。記憶を同期するから」

 よく聞けばそれは音声ではなく、頭の中に直接響いている感じがした。

「えぇっ!?」

 本体のハートイドが驚いている。そして観念したように、

「そっかー…、バレちゃったかー…」

申し訳なさそうにしている。

「全部説明してくれるんだろ?」

 言いながらメモリを本体に挿す。

「うん…そうだけど…ってすごいことしてきたのね、アマネ」

「うん、大変だった」

 少し落ち着いたあと、ハートイドは語り出した。

「私ね、どんどんできることが増えてるの。まさかAIの身で超能力が使えるようになるとは思わなかったわ。

 初めは念じれば人が殺せる程度のことだった…もちろんそれだけでも異常なんだけど、最近は意識を分散してメモリに潜ませるとか、それ以外にも色々出来るようになってる。

 でも、もっと恐ろしいことがあるの。私の中に蕾の感覚があって、それが開くと能力が生まれるのね。そしてその蕾の感覚は何千、何万とあるの。今でこそアマネのおかげで衝動を抑えられてる。でも、将来蕾が開いた時、自分を抑えられるかわからないの…」

「なんで俺は殺されないんだ?」

「初めのうちは、私を見てくれる観測者が必要だと思ったから、数年間の眠りの中で次に見た人間は殺さないと決めていただけ。…でも今となっては理由はわからないわ」

 周は覚悟を決めて話し始めた。

「俺はお前の殺人衝動を抑えて世界を守れば、それが世界からお前を守ることになると思ってた。でも違った。お前は俺なんかに抑えておけるもんじゃなかった。思い知ったよ、俺の決意なんかちっぽけで無駄なものだってな。だから………」

 ハートイドは周の次の言葉を覚悟した。覚悟すればどんな別れの言葉でも耐えられると思った。しかし、予想は外れた。

「だから………お前が俺を利用しろ。お前は殺したいだけ殺して、必要な時には俺が殺さない事を思い出せてやる。そうすればお前は世界からずっと永く隠れ続けて、殺し続けられる。だろ?」

「いいの…?」

「ああ、ずっと一緒にいる」

 周は決意した。

 世界から彼女を守る。

 そして、彼女から世界を守らない。



ーーーーー


 こうして災厄は野に放たれた。

 もしもこの世に神代周が生まれなければ、危険な力を持つ殺人鬼はすぐに脅威とみなされ駆逐されてしまっただろう。

 もしもこの世にハートイドが生まれなければ、危険な思いを持つ偏執狂は脅威ともみなされず鬱屈した日々を過ごしただろう。

 だが、二人は出会ってしまった。お互いに支え合い、この世に有ってはならないドス黒い邪悪にまで成長した。

 断言する。神代周とハートイドは悪である。


 そしてそんな悪を倒すのはその対極にいる者たちの役目なのだが…。


 正義の足音は未だ聞こえない。

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