Report90: 風波のデトロイト

 駅舎はモダンな雰囲気で、淡黄色の壁面に緑の窓が印象的な建物だった。タイの駅はオリエンタルな外観のものが多く、カラフルで見ていて飽きない。

 ヤワラートの最寄り駅ではあるが、俺は徒歩通勤の為、サムヨット駅を利用した事はない。

 現場に着いた俺が見たのは、数人の人集りと、その中心で言い合う二人の男の姿だ。近くには白い車が二台停まっている。


 先程、メガミからのメールを確認した。依頼はケンカの仲裁だ。駅前の迷惑駐車で口論となっているとの事だ。今日に始まった事ではなく、同様のトラブルが続いた結果、とうとうケンカが勃発した……って所で、依頼人は匿名の通報だったらしい。


 通常、ケンカは勿論の事、タイ警察は駐車違反の取締りも徹底している。このような場合、警察が来るのは時間の問題だ。

 しかし、警察を呼べない事情がある場合……メガミ曰く、こうやってリセッターズに依頼が来るのだという。

 例えば所持品に違法な物品がある場合や、後ろめたい組織に所属している場合など、だな。


「だーかーら、話にならねぇな、テメェは!!」

「だったら警察呼べばいいだろ! そうじゃないのかよ」

「あんだと、テメェが呼べばいいだろうがッ!!」


 人ごみを掻き分け進んでいく。見れば、片方の男は顔面から流血していた。髪型がツーブロックの男性である。白いシャツに鼻血がぼたぼたと垂れている。もう片方は……タイ人ではなかった。髭ダルマの黒人で、スーツを着ている。両者とも体格が良く、百八十センチメートルくらいはありそうだ。


「テメェがさっさと車をどかせば済むって言ってんだろが!!」


 怒声を浴びせているのは髭ダルマの方だ。彼は無傷のようで……成程。分かったぞ。

 恐らくツーブロックの男性に暴力を振るったのだろう。それで警察を自分では呼べないのだ。元は駐車トラブルだったが、暴行事件の被疑者になってしまったから。

 対するツーブロックも自分で警察を呼ばないとなると……こちらも何かワケありって所か。

 さて、しかも依頼人は別で匿名と来た。


 ちなみに、タイは<東洋のデトロイト>と呼ばれる程、車の量が多い。政策の一環で、一台目の車両購入には減税措置が取られた事もあり、家庭への普及に拍車を掛けた。交通渋滞は当たり前で、駐車場では車がすし詰めになっている光景が日常だ。その際、ドライバーは邪魔な車を事が常識とされており、ごく一般的に行われている。

 ショッピングから帰ってきたら愛車がベコベコに凹んでいるなんてザラだ。その為、駐車中はサイドブレーキを掛けないのが普通らしい。今回の一件も、駐車場の不足が招いた結果だと言えよう。


「あー、ちょっとちょっと! リセッターズです。依頼人はどちらですか?」

「何だテメェは、すっこんでろ!」


 割って入った所、俺は髭ダルマに胸倉を掴まれてしまった。泣きたくなるのをグッと堪えて、俺は続ける。


「まぁまぁ……ケンカの仲裁を頼まれたんですって。どちらが悪いのかは知りませんが、ここは駐車違反ですよ」

「それは分かってるけど、場所がないんだって……!」


 後ろからツーブロックの男性が話しかけてきた。彼は目を見開き、顔面の筋肉がピクピクと痙攣していた。今にも暴れだしそうである。

 俺は掴まれていた腕を解放させ、ツーブロックを諭す。


「でも近くに月極の駐車場だってあるでしょ」

「いや、高過ぎるって。一ヶ月で三千バーツも払えないよ!」

「そうなんですけど、ルールは守ってもらわないと」

「ルール……? 皆守ってないのに、何がルールだ!」


 今度はツーブロックがキレた。俺は手で突き飛ばされ、よろめいた。背後に居た髭ダルマの体にぶつかり、髭ダルマの逆鱗に触れてしまう。


「チッ、上等だ。テメェの顔面も事故車みたいにしてやるよ!!」

「分かった、もういい。お前は殺す」


 ……ちょっと待った。この案件、俺には荷が重過ぎないか?

 人手不足ってわけか。本来ならゾフィが受け持つ仕事だろう。四の五の言わず、さっさと警察を呼ぶべきだったんだ。

 髭ダルマとツーブロックで板挟みになり、何発かボディに喰らう。悲鳴を上げつつ、場外へと退避した。サイレンの音は聞こえてくるがまだ遠く、時間が掛かりそうだった。どうしたものかと考えていると、目の前に人が立っている事に気付いた。


「貸しイチ、だな」

「えっ?」

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