Report78: 蚊鉤と魚達

 時は流れて、受け渡しの日。その夜。

 外気は日中と比べてかなり冷え込んでいた。

 太陽は完全に沈み、宙には綺麗な満月が浮かんでいる。一片たりとも欠ける事はなく、美しい円形をしていた。


 キャンパス内には一般道が通っており、深夜であっても問題なく通行できた。整備されていて、街灯のお陰で明るい。

 道中には駐在所があるのだが、極秘裏に事情を伝えて通過できるようにした。

 取引に立ち会うのは俺と、メガミだ。俺は服装を替え、伊達眼鏡を。メガミはトレンチコートに、黒いキャップを被っていた。

 帽子はキツネがプリントされたもので、日本でも見た事がある。


 万が一、学校側の人間と遭遇したとしても、潜入していた俺達ならば言い訳がつく。

 ゾフィは事務所で留守番。ロジーとカメコウがラプターに乗り込み待機。操縦しているのはロジーだ。

 ペン型の小型カメラをメガミの服に挿し込んであり、それを通して、カメコウはリアルタイムでこちらの様子をモニタリングしていた。

 何かあったら耳元のイヤホンに無線が入る。問題は……うまく行くか、だろう。

 約束の時間が刻々と差し迫り、全員が眠気と戦っていた。


「こちら異常なし。そちらはどうだ?」


 俺の隣、メガミがカメコウ達に尋ねる。

 護身用に拳銃は持ってきている。あとはバッグ。中には大学の教科書だけ入れておいた。学校関係者に見つかった時、適当に言い訳する為だ。

 教科書を取りに来た、とか言えば良かろう……。


『異常ないよぉ!』


 間延びした声の主はカメコウだ。俺の耳元にも、無線を通じて彼の声が届いた。それを聞いて、緊張の糸が緩む。

 深夜にここへ来て分かったのだが、隠れる場所が少なかった。街灯に照らされ、駐在所もあり……外部から人間が出入りするのは難しいと思えた。一晩中、建物内部に居れば見つからないだろう。だが、そうすると朝になってしまう。そうしたら、今度は学校関係者の目に付きやすくなる。


「本当に普段、ここで取引が行われているんですか?」

「奇遇だな。私も違和感を感じる」


 引っかかった俺はメガミに問うた。メガミもやはり、何か気になるらしい。

 やはりただの噂だったのか……?

 もしかしたら、約束の時間になっても誰も来ないかもしれない。

 だとしたら、それはそれで……俺は救われるだろう。人身売買なんか無かったんだ、と。


「ここだ。時間まで待つぞ」


 疑問を抱きつつ、取引場所に到着してしまった。

 場所は研究棟ではない。他の学部の校舎の、建物の裏だった。

 二人で来る、と伝えてあるから、何かを疑われる事はないだろう。もし相手がサムチャイ教授だった場合は、即座に逮捕。そうでなかった場合も、タイ警察に連絡して逮捕してもらう。

 辺りを見渡してみるが、俺達以外にはまだ誰も来ていない。


 建物の陰で暗いが、遮蔽物はない。それ故、奇襲される心配はないだろう。

 狙撃をされるようなポイントも、近くにはない。

 ……そう、拓け過ぎているんだよな。


 受け渡すには広すぎる。大学校内という事がそもそも、受け渡しがしにくい。駐在所もある。巡回だってある。朝になれば学校関係者に見つかる。やはり、デマ……。


 いや……大学がグルだったら?

 大学の関係者が共犯者だったら?

 逆に、この場所は安全なのではないか?

 仲間に見守られて闇取引が出来るようになる。部外者の進入を許さない鉄壁の守りとなる。外界から招き入れた獲物を逃さない檻となる。

 そういや駐在所に極秘裏に話したって聞いたけど、駐在所の人間は本当に信用できる人間――


「ラッシュ、伏せろッ!」


 メガミの怒鳴り声が聞こえ、次の瞬間には反射的にしゃがんでいた。

 パン! という音が聞こえ、近くの地面に何かが当たったように感じる。

 発砲音だ。何者かが俺を狙ったのだ。俺はすかさず、建物を背にして、周囲を警戒した。

 パン! パン!

 銃声が鳴り響いた。今しがた撃ったのはメガミだ。そのメガミの銃口が向いているのは……上?


「校舎の中か!!」


 見上げると、校舎の窓が一部開いていた。何者かが校舎の中から俺達を殺そうとしているって事か。

 最初から商品を受け渡す気なんてなかったわけだ。

 一体誰が……いや、そんなの決まっている。あの闇サイトの出品者以外考えられない。


『こちらロジー、状況を頼む』

『メガミだ。……取引は無し。ヤツの狙いは私達だ』

『何だと?』


 無線を通じて、会話が流れてくる。ロジーはやや困惑している様子だ。

 二十メートル程離れた位置で、メガミが俺に合図を送ってくる。どうやら内部へと突入する気のようだった。

 俺は壁を背にしつつ、街灯に照らされた表に出る。そして、壮麗な扉の取っ手を引っ張った。が、開かない。鍵が掛かっているのか。


 建物の裏ではまだ、銃撃が続いていた。遮蔽物の無い場所だから、メガミも苦戦しているのだろう。

 どうする。助けるか?

 いや、地の利は明らかに敵の方が上だ。俺がこの扉を開けてしまえば、こちらを警戒するようになる。そうすればメガミへの銃撃も減る筈だ。


「こちら、ラッシュ。今から建物内部……ッ!!」


 マイクに喋りかけた時だった。突如、後頭部に衝撃が走る。そのまま、見ていた景色が九十度、曲がった。

 頬に柔らかい感触。……地面か。――やはり、そうだったのだ。

 敵は一人じゃない。グルだ。

 ……伝えなければ。


 視界が端から暗くなっていき、俺の意識は宵闇へと呑まれていった。

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