Report67: 猜疑心

 風呂は粗雑なものだった。水道やガスは通っていないようで、シャワーや湯船も存在しなかった。

 サウナと表現した方が正しい。石窯に薪をくべ、燃やし、炎に水をかけて水蒸気を発生させている。当然、熱せられた室内には蒸気が充満し、熱過ぎるぐらいだ。

 石鹸と、それから小さな浴槽のようなものが設えてあり、中に熱湯が用意されていた。これで洗え、という事だろうか。

 粗末な造りではあるが、体は案外綺麗になった気がした。

 そんな最中、今しがた部屋に現れた店主を思い出す。やはり怖気を感じずには居られなかった。


 風呂から上がった後、不審に思った俺は店主に尋ねる。他に旅客は居るのか問うと、彼は笑って否定した。

 部屋は複数あるみたいだ。だが、どうやら居るのは俺だけのようだった。店主は「他の部屋は倉庫です」と語る。

 暫く話していたが、先程の薄気味悪さはどこにも感じなかった。


 その夜、己の直感で今晩は眠らない方が良いと感じ取っていた。簡素な食事も勧められたのだが、これも断った。

 腹は空いている。だが、嫌な予感がしたからだ。

 こういう時、俺の勘はよく当たる。


 ……ひょっとして、狙われているのか?

 そういえば、都市伝説で「恐怖、〇〇村」のような話があったっけ。入ったら生きては帰れぬ、みたいな。


「ハハ、まさかね……」


 一応、だ。普段護身用に携帯している拳銃を探した。今回の実地訓練でも常備していたものだ。

 グロック17……小振りな自動拳銃で、何度か命を救われている。確か、ズボンに入れておいた筈だ。


 ……見つからない。どういう事だ。失くした?

 いや、村に来るまで、腰に感触があった気がする。


 風呂に入っている隙に抜き取られた……?


 何やら不吉な予感を覚えた折、ギシギシ、と床が軋む音が聞こえてきた。時刻は分からないが、二十一時くらいだろうか。

 店主だ。きっと店主だ。違いない。瞬間、息をするのも忘れて硬直する。

 何をしに来た。俺に何か用事があるのか。いや、そんな事……分かっている。


 足音が止み、鍵を掛けたドアノブが……回った。施錠してあるのに。

 きっとこのままでは不味い事になる。どうする。

 そうだ、クローゼットだ。


「何でこうなったんだ……メガミ、ゾフィ、皆……」


 思わず弱音を吐いてしまった。が、俺は物音を立てずにクローゼットを開け、中に入り込む。

 こんなホラーゲームみたいな作戦でやり過ごせるとは到底思えない。だが、逃げられる場所もない。戦うにしては……判断が早すぎる。

 クローゼットの中は窮屈だった。人が身を隠すには狭く、背中を奥部に押し付ける。

 すると急に、何故か体が軽くなったかのような感覚を覚える。次に天地がひっくり返り、背中に衝撃が走った。

 壁が抜けたのかと思ったが、違った。

 クローゼットが別の部屋に続いていたのだった。


 薄い仕切りで隔てられていたようだが、寄り掛かったせいで外れたみたいである。

 直後に漂う、腐臭。鉄の匂い。それから、初めて嗅ぐような臭気が鼻腔を貫いた。


「ここは何だ……外じゃないよな。隠し部屋?」


 何故、何を。そう思った。

 照明は付いていない。薄闇の中、目を凝らす。壁に小さな穴がり貫かれていた。換気口と思われる。

 そこから射し込む月光が、壁や床に飛び散った赤黒い何かをぼんやりと映し出していた。

 血である。それも、おびただしい量の。

 しかもまだ固まっておらず、触れた指にほんのり移った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る