リセットメガミ
さっさん
第一章 女神は舞い降りる
悪因悪果
Report1: 転落
時刻は午前八時過ぎ。通勤中の電車の中。俺はイヤホンでお気に入りの音楽を聞きながら、勤めている会社までの道すがらだった。
最寄り駅まであと二駅の所で、折りしも事件は起きた。
『この人痴漢です!!』
満員の車内で、女子高生が叫んだ。顔には恥辱と決意と、恐怖……それらが混然となって表れているようだった。
勇気を振り絞って男の手首を掴む。そうして天高く掲げられたのは――俺の右手だった。
「痴漢……!?」
「つ、捕まえろ!」
「次の駅で降りろ! いいな!?」
“痴漢冤罪”。
すぐさまその単語が頭に浮かんだ。軽蔑の眼差し、怒気を感じさせる眼差し。大勢の人間がこちらを見ている。
そういやゴキブリを見た時の母も、あんな顔をしていたっけ。
ざわめく車内。俺の思考を置いてけぼりにして、事態は急加速していく。その場で数名の男に腕や肩を捕まれた。
さっきまで車内はギチギチだった。なのに、不思議と今では、俺を中心に円状を形成している。
「降りろ!!」
電車が停車した。俺に向かって、見知らぬ男性が吐き捨てるように言う。
人が車外に流れ出てゆく。その瞬間、俺は隙を突いて男の手を振り払った。そしてそのままホームへと転び出て、駆け出した。
捕まりたくはなかった。
下車したのは最寄駅の一つ前だ。
「そいつ、痴漢! 捕まえて!」という誰かの声を聞いて、今度は別の男が歪んだ正義を振りかざす。顔を殴られた。痛い。視界が一瞬ぐらついた。
だがしかし、捕まってなるものかと必死に逃げた。
降りた事のない駅だったが、ホームへと思しき階段を駆け上がる。改札を出ようと考えた。だが、騒ぎを聞きつけた駅員が前方から迫っていた。
捕まったらきっと酷い目に遭わされる。きっと話なんか聞いてくれないだろう。
連絡通路を渡って、俺は反対側のホームへと逃亡する。
《間もなく二番線に電車が通過いたします。危険ですから、黄色い線の内側まで下がって――》
電車接近のアナウンスが流れていた。しかし意識の遠くでぼんやりとしか聞いていなかった。
振り返れば獣のような男達が追ってくる。生まれ持った正義感なのか、はたまた只の偽善なのか。強固な意志を目に宿らせて、追ってくる。
「あっ……!」
「ごめん!」
誰かにぶつかった。少女だ。咄嗟に謝ったが、正直どうでも良かった。
何処かの学校の制服を着ているから、今から登校する所なのだろう。
チラりと振り返る。すると、女の子はぶつかった衝撃で足がもつれ、線路へと落ちそうになっているのが分かった。
……何かを考えていた訳ではない。冤罪だとか捕まりたくないとか、どうしようとか。漠然とそれらが渦巻いて、パニックになっていただけかもしれない。
この子が死ぬ、俺のせいで。
認識出来たのはそこまで。ただ、体が勝手に動いた。
走っていた俺は急ブレーキを掛けると、今まさに落ちんとする少女の腕を掴み、力の限り引っ張る。ゆっくりと少女の体がホームへと戻っていくのが視認できた。
そしてそれと引き換えに、自分の体が宙へと投げ出される浮遊感があった。
直後、顔面に強い衝撃。ゴツゴツした、線路の砕石が視界に入る。
女性の悲鳴。警笛。ブレーキ音。地響き。
ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる人々。まさに鼎の沸くが如し。
大勢の人が何かを叫んでいるけれど、「電車止めて!」という男性の矢継ぎ早に発する声だけが辛うじて聞き取れた。
最後に覚えているのは、眼前に迫り来る白い鉄の塊だった。
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