月の衛星、リコリス・ラジアータ
竹宮千秋
序章 月の灯りと街影に芽を出す彼岸花
夜更けの立川、西東京の歓楽街。
一昔前まではガラの悪い街とされたが、今では駅前を中心に再開発が進み比較的綺麗な街並みとなっている、そんな立川の外れ、昔ながらのスナックやクラシカルなバーといった、夜のお店が立ち並ぶ。そんな通りで煙草を蒸す、そんな午前三時。俺にとっては昼みたいなもの、街の中には仕事終わりの夜の蝶、どこかの店でやり過ぎたのか、ふらふらの千鳥足で道を行く、くたびれたスーツのおっさん達、
とんがったウィングチップの革靴にグレーのジャケットとスラックスを身にまとった夜の街の案内人のお兄さん、カタコトの日本語で道行く男達を客引きする異国の女性達、
まさしく夜の住人を絵に描いた人達が街を闊歩するそんな時間。
今日も今日とて休憩に煙草を吹かし、空を見上げる。雑居ビルに挟まれた、窮屈そうな空の中に、丸い月が、顔を覗かせている。
「今日はいい秋晴れだな、こんな日は月がよく見える」
俺はこの街に来て七年になる、俺は東京に憧れと、身を立てたいと思い、その第一歩として受験資金を稼ぐため夜の世界に飛び込んだ、当時高校二年生の自分には刺激的で、頭のネジ
の飛んだ人達の世界に初めは、面食らったが……。今ではすっかり夜の住人となってしまった。
立川の外れに明かりを灯すお店、BAR
俺には、分からないがフランス語で「明るい」と「月」を合わせた造言を
勝手にうちのオーナーが作った造語のようだ。
そして、俺はそこで、大した腕もない少しふざけたバーテンダーをしている。
地元でオーナに世話になった繋がりで、お世話になっている。
「今日は満月か……。こんな日にはのんびり酒でも飲んでるのが性に合ってんな」
吸っていたタバコを靴の裏に擦り上げ、もみ消して店に戻ろうとしたその瞬間、
向かいの雑居ビルの屋上から影が見えた。
「んだよ、身投げか?よそでやってくんねぇかなぁ……」
都心では話のネタにもならない上に、珍しくない投身自殺も東京郊外のこの街では話のネタにはなる。少し鬱陶しく感じつつも、俺は声を上げる。
「おいっ!そこの!あぶねぇぞ!」
月の光に照らされて、ふと浮かびあるリボンタイ。
懐かしい、地元の高校にもこんなリボンタイの制服あったな
(というか中高生かよ!こんな時間に、リボンタイも真面目にしているような子が、自殺か?穏やかじゃない事で……)
俺には知った事ではない、そう思って、店に戻ろうとした
どうせ、非行少女か、あるいは少しばかりマセた子が、たむろって良くないことでもしているのだろう。
「煙草も吸ったし、もう一仕事しますかね」
俺は踵を返して、店のある雑居ビルの階段に足をかけたその時、
瞬きをするくらいの一瞬の時間、その影は夜空に手を伸ばし、ただ宙に浮かぶ一点を見つめたまま、夜空へ跳んだ。
綺麗な緋色の髪が月明かりに照らされて重力に逆らうようにたなびきながらその影は、
自由落下実験の鉄球かのよう真っ直ぐに落ちてくる。
その美しい光景とあまりに予想外の事に、頭の中が真っ白になっていると、その影の正体がだんだん近くなる。
嘘だろ……。マジで飛びやがって!目の前で死なれちゃ、目覚めが悪い。
俺は慌てて足を踏み出し、少女のクッションになるように、影の下に身体を滑らせる。
「間に合えっ!間に合ってくれ!」
刹那、少女と俺の身体が触れ合った。
そして同時に、とてつもない力が身体にかかる、
「ごはっ……!」
ビルの屋上から、高さでいうと三階、四階相当の高さとは言え、そこから落ちてくる推定40㎏の物体(というか女の子なのだが)
を全身で受け止めれば相当な衝撃であるため、
情けなくも押しつぶされたカエルのような声を上げてしまった。
「ガラにもない事で、これはどっか逝ったか……?」
心の中で、反芻しながら俺は自らの意識を手放した。
夢を見ていた、親と喧嘩し行く当てなく彷徨って、
そして海から眺めた満月を、地元での俺の姿を知っている人も居ないこの地で生きてきてから、初めてこの夢を見る。どうしてこのタイミングなのだろうか……。
今の俺にはわからない。
そんなまどろみの中に身を置いて……は、いられなかった。
聞き馴染みしかないこの太い声によって意識を呼び戻される。
常連の一人谷川さんの声だ。
「……い!おーい!起きろ、酒!いつまで休んでんの!」
今日も今日とて酔っ払っている、聞き馴染みのある酒灼けした、野太いがらがら声。
『喧しい』の例を、俺が辞書に載せるとするなら、この事を載せようと思ってしまうくらいにやかましい。
「うるせぇ!って俺はなんで寝てたんだ……?」
「知らないよ、早く酒作ってくれよ!勝手に飲むよ?というかその側の子は知り合い?」
俺は飛び降りてきたこの子の下敷きになって、気を失っていたのか……。
なんでこうも、性に合わないことをしてしまったのだろうか。
「あ、あぁ、なんか向かいのビルから飛び降りて来てな」
「なんだ、それ、空からお前の人生のヒロインでも降ってきたの?けど、この子制服だよ?りんくんロリコン?」
のっけから、おっさん全開の発想に辟易する。
「ちげぇよ、人を勝手に特殊性癖の人間に仕立て上げるな」
どうして、ありのまま起きた事を言ったら、おっさんに頭の心配とロリコンの心配をされりゃならんのだ。確かに、普通ではないことなのだが、少しイライラしてきた。この酔っ払いどうしてくれようか……。
「でも、この制服はここらの高校じゃないし、制服でサービスしてくれる風俗あった?」
この酔っ払いはダメだ、なんでそんなことしか頭にねぇんだろうか。そう嘆きながら、淡々と答えた。
「風俗嬢が身投げなんて話なら珍しくもないからね」
何という汚い会話だろうかと頭を抱えた。そこで記憶の底から思い出す、この制服、見覚えがある、東京ではなく地元の街で。思い出したくもない事と一緒に思い出してしまい、ちょっと不機嫌になりながらもこの子の名誉の為にも口を開く。
「この制服……。広島のお嬢さん達がたくさんいるとこの制服だ」
「広島?ここは東京だよ?てことはそれをパクった制服を、着てる風俗とかなんじゃないの?」
どうしてこのおっさんは風俗の事しか、頭にねぇのか。と突っ込んでやりたかったが、ぐっと飲み込む。
「まぁ、いいや、とりあえず、店の中運ぶか……。店の中、今誰か居ます?」
「僕と、楓香ちゃんだけ」
「常連さんが二人か……」
「よし、じゃあ、眼を覚ますまではうちに置いとくか。ここに放置ってわけにもいかないでしょうし」
「なんだ、優しいところあるんじゃないの」
下卑た笑みを浮かべる常連のおっさん。
ここでこの酔っ払いを追い出そうと一瞬思ったが、今の俺はそれよりもこの眠り姫をなんとかするという使命がある。とりあえず、この不思議ちゃんから事情と下敷きになった時のケガの治療費でもふんだくってやろうと決意して、気を失ったこの子をお店へ抱えていくのだった。
軽自動車がやっと通れるような路地の中にある雑居ビル、今時、白熱灯に照らされた急な階段を、女の子を抱えて歩くのはかなりの重労働である。
「身体痛てぇのに、なんで俺はこんな事をやってんだよ」
「眠った女の子を救うのはいつだっていい男の子なんだよ、そのくらいなんとかしなよ」
谷川さんが得意げに言う。
俺は一瞬イラついたが酔っ払いに構ってさらに体力を削がれるわけにはいかない。まだこの店の営業時間であるというのに。ここは無視してドアを開けてもらうのが先だ。
「いいから早く階段上がってドア開けてくださいよ、この子軽いからいいけど、流石にしんどいんですから!」
「はいはい、すまんって、今開けるから」
「りんく〜ん、おそい!一体どこまで煙草吸いに行ってたの?」
俺が店内に入るタイミングで店の中から谷川さんより酔っ払った女性の声が聞こえる。
谷川さんと同じくこの店によく入り浸っている玖波楓香さんだ。普段はエンジニアをしているらしい、酔っ払って面倒になったところしか見たことがないので、こんな人が、スマートフォンの普及したこの世の中のインフラを支えるシステムに大きく関わっているなんて、ちゃんとしている時間があることを個人的に信じたくはないが、どうやら事実らしい。しばらく外で寝ている間にだいぶ深いところまで行ってしまったらしい。はぁ、こうなると面倒くさいんだよなぁ。
「あー、はいはい!色々あったんですよ!てか、俺が居ない間に酔いすぎでしょ!その分もきっちり金は払ってもらいますから!」
「え〜、けち!りんくんが、居なくなるのがわるいんじゃん!……ってか、その子だぁれ?知り合い?」
「あぁ、色々あって拾ったんですよ!とりあえず、そこのソファーに寝かせますから、ちょっと黙っててください」
俺は適当に流しながら、拾った女の子をソファーにゆっくり降ろし備え付けのブランケットをかける。
「えぇ〜、なんか雑だなぁ〜、もしかして痴情のもつれとか?入れ込んだ夜の女の子とかぁ〜?というか拾ったってどういうこと?」
さっきの谷川さんと同じような下卑た笑みを浮かべながら、予想通り面倒くさい解釈をされてしまう。どうしてこうもここの客は下世話なのだろうか。
「違いますよ……。だいたいお金払ってまでしたいとか思いませんから!それにお金払わなくても酔っ払ったあんたにたくさんキス迫られますからね!それに、文字通り拾ったんですよ。目の前の通りで」
この楓香さんは酔っ払うと特定の人(主に年下の男、まれに女子)にキスやボディータッチを迫るキス魔なのである。全く男がやったら即通報されてもおかしくないのに、なぜこの人は問題にならないのだろうと心の中で悪態をついていると、
「だって〜、りんくんも、まだまだお年頃でしょう?溜まってるんじゃないかなぁって思って……サービスってやつ?」
呂律の回ってない口調で、さもこっちが喜んでいると決めつけたように言った。
「あー、はいはい!そうですね!これでも飲んでください!」
このまま付き合っても、いいことがないのはいつものことなので、さっさと切り上げキンキンに冷えた水を出した。
「えー、冷たい!いつもの二割り増しで冷たい!」
「え?水ですか?そりゃ今日は氷多めですから、これが俺の気持ちですね」
「というか、そろそろあの子の事教えてよ?知り合いなの?それともただの自殺未遂?」
谷川さんが聞いてくる、全く……。助けるならもっと早くに助けてほしいものだ……。まぁ、酔っ払いにそれを求めるのは酷というものか、無駄に知識と知恵のあるマセた子供を、相手にしているようなものだし……。
ここで変なことを言ってしまうと、後々面倒になるし、かといってありのまま、「空から降ってきた」と言っても、理解はされないだろうし、どう伝えようか迷っていると、
「なんや、騒々しいのう……なんかあったんか?」
奥からこの店の名付け親で主の鈴衛竜宏(すずのえ たつひろ)が顔を覗かせる。
「あ、じじいおったんかよ。おるなら、ちゃんとこの酔っ払いの相手してくれや……」
つい俺は不満を漏らす。それを不服と思ったのか、厳つい顔をさらに険しくする。
「クソジジイとはなんや!今日はお前の日やろ!それに外で制服姿の女の子と乳繰り合って寝とったやつに言われるような事はないわ!」
ジジイとは言ったが、クソジジイとは言ってないし、乳繰り合ってもないのだが、ここで争うと、外野の谷川さんや楓香さん達も参戦して、いよいよ収まりがつかなくなるので、
「悪かった」と一言だけ呟き、一呼吸置くために煙草に火をつけた。
「それでよ、ちょいと聞きたいことがあるんだが、今、いいか?じいさん」
「あの子の事か?」
近くにあったウイスキーをいつのまにかグラスに注いで飲んでいるこの店の主が答えた。
「あの子の制服、ここの谷川さんと楓香さんは知らないのは当然やろうが、あれは広島の学校の制服やろ、しかもかなり格式高い名門女子高の」
「おかしいと思わんか?ここは東京やぞ、それに夜の店で使うにしてはデザインは、ちょいと物足りたくないか?いや、その物足りなさがええんかもしれんけど」
突然酒を飲むのをやめた主がどこか、懐かしむような声で言う。
「あの制服は本物や、あの子は家出なのか、なんなのかは知らん。やけど広島からこの街まで流れてきたのは事実やろうな、あのきたねぇ街に流れついた昔のお前みたいに、この子も訳ありなんやろうよ」
そう言ってウイスキーを一口で飲むオーナー。よくもまあ、あんなにガバガバとストレートで飲めるものだ、普通もっと味わって飲むものだろうに、その銘柄はスコットランドのアイラ島で製造された中でも熟成年数も長い代物で結構、値が張るんだけどな。
「その子は、案外お前と似た者なのかもしれんな……」
懐かしそうにつぶやくその横顔は、完全に孫を見るジジイと変わりない。
「まぁ、あとはあの子に聞いてみるんやな、わしは裏で寝とるから、あと頼むぞ、あと、ハプニングバーじゃないけぇの、夜這いはしちゃいかんで」
「誰がするか!さっさと寝ろ、クソジジイ!」
どうしてここの住人共は余計な一言が多いのだろうか、余計な一言を言わねば強制退店などのルールでもあるのだろうか、そのくらい客も店主も一言多い。
「あの野郎。起きたらぜってぇ問いただしてやるからな」
突然空から落ちてきて、さらに俺をクッションにして気絶させておいて、呑気に人のお店のソファーを贅沢に使って眠りについていた太い神経のしたこのシチュエーションにしてヒロイン感ゼロに眠りこけていた少女に対して息巻きながら、俺はもう何年お世話になっているかわからない銘柄のタバコに火をつける。
「まぁまぁ、いいんじゃない?それにさっきも言ったけど女の子を救って怪我するなんて、いいことじゃないの?」
さすがに今時そんなくさい芝居のあるドラマなんかは受けないと思うけどね。と付け加えてメディアの業界人こと谷川さんは、上機嫌でいつものお酒を嗜み、なんとも言えない顔で俺を見る。
「それでさ、さっき話してたけど、やっぱりこの子は本物の女子高生なんだよね……。しかも広島の。なんで東京のこんな外れのネズミしか居ないような街に居るのかな?」
再び口を開いた谷川さんが怪訝そうな表情でそう聞いてくる。
俺も確かに気になる、制服も綺麗に着こなしていて、おしゃれをしたいであろうお年頃の子にしては、制服に手を一切加えていない様だし、恐らく真面目な子なのだろう。
真夜中の三時という最も夜の住人の活発な時間であり、昼の住人には最も縁遠い時間に、東京の外れの街の煤けたような路地の奥に立つ雑居ビルの上にいたのか、そんな疑問ばかりが頭の中でハイボールの中を泳ぐ炭酸ガスの気泡のように浮かんでは消えていく。
再び考え事のお供に火をつけ、煙を燻らせていると、楓香さんが苦くも、甘酸っぱいものを齧ったような普段からは想像できない顔で口を開く。
「まぁ、この子にも色々あるんじゃないの〜?私も家出した事はあったけど、地元の街から遠いところには行った事はなかったし、それだけの勇気を出してこの年頃の、しかも女の子がしてるんだから、起きたらゆっくり聞いたらいいんじゃないのかな?まぁ、夜の男のお供の女の子の可能性もまだあるけどね〜、緋色の髪だし、地毛じゃないでしょうし。あとは本人から聞かない?……そろそろ彼女、起きそうだし」
俺と谷川さん、そして楓香さんは一斉にソファーでタオルケットをかけられた、少女へ目を向ける。彼岸花のように綺麗な緋色の髪を滴らせ、少し幼さを残す整った顔付きをした眠り姫。
閉じた瞳がすっと開き、少女と視線がすれ違う。煙草の煙の蔓延したこの店の空気を変える新たな風が吹いた瞬間であった。
馴染みのある、そして好きじゃない匂いがする。ナス科タバコ属の葉を乾燥させて紙に巻いたり、パイプに入れて火をつけて吸う、あの煙草の匂い。
しばらく目を閉じて、記憶を辿る。確か私は、何を思ったかオンボロのくたびれたビルの屋上で月を母親の愛したこの街の月に手を伸ばし、そして母親の命日の今日、月に母親の幻影を見て飛び降りたのだ。
(私死んでないんだ、死んじゃえば良かったのに……)
自分のことながらあまりにも興味のない仕草を浮かべ。そして、目を開けて、むくりと起き上がる、自分の旅立ちの邪魔をした人物の顔を拝むために。
☆
「お兄さん、ほんまにタバコ臭い、私タバコの匂い好きじゃないんやけど」
開口一番、起きた冷たい少女の一言。なんでこんなにも可愛くねえんだろうか。ここがどことか、なんで生きてるのかとかそんなもん気になんねぇのか。
「けっ、ここは俺の店だ、それに空から降ってきた自分を救ってやったんだ。感謝されこそすれ、なんで貶されんといけんのじゃ!」
先ほどのお返しとばかりにトゲのある言葉を投げつける。その瞬間俺の後頭部に金属の円盤が衝突する、ここの店主が投げつけた灰皿が直撃したのだ。
「いっ〜つぅっ!おい!クソジジイ!何投げてくるんだよ!てめぇのその腕力でそんなもん投げたら死人がでるぞ!あほが!」
「やかましいわ!あほはお前じゃ!そんなこれからお客さんになるかもしれねぇし、そんな可愛い子にそんなトゲのある事言ったバチが当たったようなもんじゃろが!飲み物の一杯でも出さんかい!お前の給料から引いとくけぇ!早うせい!」
先ほどの少女の言葉が可愛いレベルの罵倒と理不尽の嵐である。
これ以上言うと本当に給料を引かれかねないので、少女を見据えて観察する。全体的に大人びた印象の出で立ち、多分何を着ても似合うのだろう、加えてその髪、綺麗な緋色の髪、染めているにしてはずいぶん綺麗な髪の毛である。女の魅力というやつを持っている、むかつくやつではあるが。ある程度観察したところで動く。
グラスにクラッシュした氷を入れ、カシスリキュールを手に取り、少し注ぐ、そして炭酸水を入れ、バー・スプーンで炭酸が抜けないようにステア、スライスしたレモンを添えて、彼女に差し出した。
「カシス・ソーダだ、こいつは基本のカクテルでアルコールもそんな強くねぇ、それにどことなくお前の髪の毛の色に似てるだろ?」
俺はこの少女のファーストインパクト(物理)、一連の流れから思った印象をカクテルに込めた。あとはどんな反応をするのか。
「私、お酒飲めませんけど、十六ですし」
「「え、こいつ本物の高校だったのか!」」
恐らく周りも同じ反応だったのだろう楓香さん以外の男の声が同時に木霊した。
「どう見ても可愛い高校生でしょ、なんで男はこんなにも鈍感なんだろうね、そんなんだからここの男はまともに結婚生活出来ないのよ、特にそこの離婚歴を二度お持ちの谷川さん?」
オーナーと谷川さんを挑発的な目線で貫きながら語る楓香さん、相変わらず容赦ねぇなぁ。
「まだ離婚してません〜!調停中なだけだから!」
「仕方ねぇだろ。それにもう結婚する歳でもないやろ」
達観したオーナーと対象的に、谷川さんはなんて子供っぽいんだろうか、その言い方駄々っ子と同じなのに。それに調停中ってほぼ離婚してるものじゃないか。と頭の中でツッコミをいれながら、リキュール無駄にしちまったなぁ……。あんまり好きじゃねぇから飲みたくないんだよなぁと少し辟易とする。
「まぁ、お嬢さんや、うちのホープが作る一杯や、それにお嬢さんのイメージから形にしたこいつの苦労に免じて一口くらい飲んでくれんか?」
静かな孫に語るかのような優しい口調で促した。無言で少女を見据える。俺だけでなく、楓香さんも谷川さんにも見据えられ、さすがに気が悪くなったのか、カシスソーダの入ったグラスを見つめ、手に取った。
「そこまで見られたら、飲みますよ。お酒飲んだことないからちょっと楽しみです。不味かったら嫌ですけど」
「俺が作ったんだ、不味いわけないやろ、いいから飲め」と自信を持って促すと、
グラスを傾け、口に含み、そして喉を鳴らして嚥下する。表情の変化は見られない。グラスを置き、少し間を置いて少女が口を開く。
「美味しいです、優しい味ですね、悔しいですけど」
「そうやろう、俺が店を任すバーテンダーやぞ、不味いもんなんか出さんよ!」
オーナーが先に言う。
俺の台詞を取らないで欲しいものだ。台詞を取られてしまったので、作る時に込めた想いを話すことにした。
「カクテルには花言葉みたいにカクテル言葉ってもんがあってやな、お前に作ったのはカシスソーダって言うベーシックなカクテルや、カクテル言葉は『貴方は魅力的』やから。まぁ、いけすかない奴やけどな」
「これだから色男は、困るよね……」
「ほんとほんと!さっきまでは『治療費ぶんどったるわ!』とか言ってたのに」
俺が得意げに語っている途中で常連さんの年上二人組に横槍を入れられる。
すると、少女は突然笑い出す。
「お兄さん気持ち悪いわ。それに、治療費って……ほんまに怪我しとんやったら悪いことしたなって思いますけど、してないんやったら高校生から金むしろうとする悪い人にしか見えんよ?」
やっぱり可愛げがない少女である。まるで昔の俺を見ているような気分になる。
「うっせぇな、お前をここまで担いでくるのどんだけ大変やったか考えてみろ!それに打ち身なのはほんまや!」
「やかましいわ!広島の男やろ!俺はお前にそんな事教えてないで!」
俺の正当な請求に対してオーナーから物言いが付いた。全くそんな無茶な、と思う、身体は事実痛くて仕方がない。ここで言ってもまた人をこの世から無限の旅へと誘う灰皿が飛んで来かねないので、口を閉じることにする。命は大事だ。
喧しく店側の人間と常連さんの人間がやりあっている最中、少女が再び口を開く。
「けど、お兄さんが作ったこのお酒、なんだか、あったかい味でした、美味しいです、あと魅力的って言われてちょっと嬉しいです、ありがとうございます」
魅力的な顔で、はにかんだように言われたちょうど、この彼岸の時期に咲く彼岸花のように笑顔が咲きほこる。大人びたように見えてもこの子はまだしっかり高校生なんだと思わせる可憐なはにかんだ顔見て少し安心したような、切ないような、絡み合った気持ちを抱きながらも、どこか安心した自分がいる、俺がこの歳の頃はどこか冷めていただけでなく、世間を斜に構えて穿って見ていた、そのせいで酷い目にたくさんあったことを思い出しながら、彼女に聞いた。
「お嬢さん、お名前は……なんて言うん?」
「秘密。知らない男に名乗る名前なんか持っとらんもん」
は?秘密?何を言っているんだ、いけ好かないこの感じ、自分の武器というやつをちゃんとわかってやっているのか、様になっているのがよりムカつく。
俺の心情でもわかっているのかのようなタイミングで彼女は言った。
「だって……また明日来ますもん」
「明日は休みだぞ」
「「「は!?」」」
「俺の店の休みは俺が決めるわ!あほんだらぁ!!」
「いっってぇぇぇなぁ!物投げんなや、クソジジイ!」
ふざけたカウンターに面食らって咄嗟に反応したせいで危うく俺の頭が二つになるところだった。おまけに常連二人も変な反応してるし。
すかさずオーナーが少女に真実を伝える。
「明日もやってるから、いつでも来てくれや。この店は行き遅れた独身女と思って仕事にかまけるバツ2の中年のおっさんみたいな客しか来んから、お嬢ちゃんみたいなのが来てくれた華があるってもんよ。今日の代金はこいつの給料から引いとくから」
さらっと減俸宣言されてしまった上に常連二人が巻き込まれて不服そうな表情を浮かべているが、余計なことを言うと、三度灰皿が飛んで来そうなので黙っておくとしよう。『言わぬが花』という諺もあることだし。ここは適当にお茶を濁す事にする。
「まぁ、そういうこった、気をつけてかえりーよ」
「ありがとうございます。ごちそうさまでした!」
そして一瞬の間、緋色の髪を従えながら振り返った、
「ねぇ、お兄さん。私を買ってくれませんか?」
可憐な華は、最後にとんでもない爆弾を残して、扉の外へと夜の街に溶けて行った。
一体今の言葉は、何を伝えようとしていたのか、買ってくれなんて、文字通り売春なのか、あるいは、何か彼女にしか分からない何かなのだろうか。
まぁ、何にせよ、あの子が生まれて初めて飲むお酒をいい思い出にできてよかった。それにあんなストレートに『美味しい』と伝えられた事がこんなに嬉しいとは、出会った時はあんなにツンケンした態度で面白みもない子だと思ったのに、なんだよ。ちゃんと色んな表情を持ってるんじゃないか。けど……あの子の可愛げのある一面を引き出せてよかった。バーテンダーでよかった、来てくれたお客さんを笑顔に出来て、存在意義を持てるような気がして。
初対面の天から降ってくると言う奇想天外な出会い方をした女の子さえも笑顔に出来て本当に良かった。
そんなまだ暖かな風吹く初秋の夜更けだった。
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