魔女と不思議な写し絵の旅

雨空レイン

旅の始まり

天界の海

『この先魔女の森、決して立ち入るべからず』


 遥か昔に立てられたのであろう。古びた看板に赤く書かれた文字が目に止まった。

 昔、僕の父が言っていた。この森には魔女が住む。迷い込んできた者を言葉巧みに家へと誘い、体を貪り食うんだとか。

 誰がそんな噂を広めたのかはさておき、この森に近づく者はいなくなったようだ。魔女は人喰いだとか、悪魔の遣いだとか。魔女に対する悪い印象が人々に浸透してしまったのも原因だろう。


「ごめんねユアン君。待たせちゃったかな?」


 看板の前でそんなことを考えながら時間を潰していると、森の奥から女性の声が届いてきた。


「時間ピッタリですよクレアさん。僕が少し早く着いちゃっただけです」


「それならよかった。久しぶりに外へ出ることもあって、準備に時間がかかってしまったの」


「100年ぶり、って言ってましたもんね」


 森の奥から姿を現したのは、全身を黒で包んだ女性、名前はクレアさんだ。つばの大きな黒いとんがり帽子に黒いローブ。暗闇の隙間からは風を受けてひらりと舞う白銀の長髪。

 そして、黒い装束の間から覗く紅い双眸は魔女の証だ。


「うん。まさか、また森の外へ出る日が来るとは思わなかったなぁ」


 クレアさんはその紅い瞳で空を見上げた。そして微かに目を細め、口を緩める。何だか嬉しそうだった。


「さ、それじゃあ行こうか!」


 そう言ってクレアさんが杖を取り出したかと思うと、コツン!と地面を叩く。すると、偶然近くにいた黒猫の体が突如光りだした。

 何をしているんだろうと思っていたが、光に包まれた黒猫がみるみると大きくなっていくのを見ると何となく予想がついてくる。


「まさか猫に乗って行くとか、そういうことじゃないですよね?」


「察しが良いね!折角の旅なんだもん、楽しく行かなきゃ」


 まさかもまさかであった。人が簡単に乗れそうなほど大きくなった黒猫は、キョロキョロと動揺した様子で首を動かす。そりゃあ、いきなり大きくなったらビックリするのも無理はない。


「よろしくね、クロちゃん!」


 クレアさんに促されて恐る恐る黒猫……たった今クロと名付けられた猫の背中に乗る。意外にも乗り心地は悪くなく、ふさふさの毛が暖かい。


 最初は動揺していたクロも、クレアさんの声を聞くと安心したように『みー!』と鳴いた。人間の言葉がわかるのか、僕達の意図を汲み取ったようにクロは地面を蹴った。そして、


「う、うおおおお!?」


「優雅な空の旅の始まりだよー!」


「ぜ、全然優雅とはかけ離れていますけども!?」


 凄まじい勢いで空へと飛び出すクロの体にしがみつきながら、思わず叫ぶ。


 猫って、空が飛べるんですね!!


 ☆☆☆


 もちろん普通の猫が空を飛べるわけもなく、これもクレアさんの魔法の力のようだった。


「ふぅ、ようやく落ち着いてきたね。……って、ユアン君大丈夫?」


「だ、大丈夫れす……」


 最初は吐きそうだったが、ある程度高度が上がってくると猫の走るスピードも落ち着いてきた。

 まさか、生きているうちに猫に乗って空を旅する機会があるとは思いもしなかった。自分の暮らしてきた街を見下ろす、というのも良いものだ。


「それならよかった。これから向かうのは『天界の海』って場所なんだけど、少し時間がかかるから空の旅を楽しんでてよ!」


「クレアさんもなんだか楽しそうですね」


「そりゃあもう!なんたって100年ぶりだからね!」


 100年ぶり、という言葉に僕は思わず反応する。


「……100年、かぁ」


 遠のく大地へ目を凝らしてみると、どこかで煙が上がってるのが見えた。恐らく人間と魔族の争いだ。僕が生まれるずっと前、100年は続いている戦争らしい。


「100年経っても終わってないんだね。もう、いつまで無意味な戦いを続けるんだろ」


 前にクレアさんから聞いたことがあった。元々人間と魔族は仲が良かったが、ある日を境に突然戦争が始まったのだと。

 それをきっかけに人間と魔族の血、両方を持つクレアさんの立場が危うくなり、人の目の届かぬ森の中で暮らすようになったと。


 そしてこれからも、戦争が終わらない限りその生活は変わらないのだろう。

 だから僕は、この戦争を終わらせたいと、そう考えるようになっていた。


「僕に、出来ること……」


「なぁに神妙な顔をしてるのさ、ユアン君」


 思いふけているとクレアさんが僕の方を向き、ニカッと笑顔を見せる。


「君の力はきっと誰かの役に立つよ。このお姉さんが約束しようじゃないか!」


 その笑顔が何だか眩しくって、少し自信が湧いてきた。


 僕には生まれた時から不思議な力があった。この目で見た景色であったり、記憶に残っているものを別の物に写し出すことができるのだ。


 1番わかりやすいのが紙に写し出すことで、絵とはまた違う、よりリアルなものを描くことができるのだ。


 試しにと、僕はリュックから1枚の紙を取り出す。微笑むクレアさん、空を駆ける黒猫、そして雲に覆われた空。目にした景色が脳裏に刻まれると同時に紙を手にして静かに念じる。


「うーん、相変わらずその力は凄いね。絵画ともまた違う、景色をそのまま1枚の紙に落とし込んだような……」


「いい例えですね、それ」


 紙に写された絵を見てクレアさんは言う。実際、彼女の例えは的を得ていた。それほど、この絵はあまりにもリアルすぎるのだ。僕自身ですら驚いてしまうほどに。

 景色をそのまま写し込んだような絵、というわけで『写し絵』と呼ぶことにしている。良い呼称だね、というのはクレアさんの言葉だ。


「その『写し絵』の力で争いを止めるのが、ユアン君の夢だったよね」


「はい。夢もまた夢だけど、僕にできることをしたいんです」


「……きっと叶うよ、その夢」


 彼女の声には不思議と、本当に叶うのではないかと思わされる。

 僕の夢は『写し絵』をみんなに見てもらうことだ。もちろん、人間にも、魔族にも。世界にはまだまだ僕達が知らないような場所がたくさんあって、幻想的な景色があって。

 それを見ればみんなの心が一つになって、争いを止めたらな、なんて。父には無謀だなんて笑われたけれど、クレアさんだけは僕の夢を笑わずに真剣に聞いてくれた。そして、その度に彼女は『きっと叶うよ』って優しく笑みを浮かべる。


「さぁ、そろそろ第1の目的地に着くよ!一気に高度を上げるから気をつけてね!」


 元気に満ち溢れた声でふと我に返る。旅を始めてだいぶ時間が経っていた。目の前には分厚い雲が広がり、このまま雲の中へと突入していくようだ。


 大きな風を受け、僕は咄嗟にクレアさんの体を掴む。クロのスピードかどんどん増していくと、雲を突き抜け、一筋の矢のごとく駆け抜けていく。そして、その先にあったのは。


「どうかな?ここは特に私のお気に入りの場所なのだけれど」


 ……言葉を失った。

 雲を通り抜けた先にあったのは、一面の『海』だった。

 雲海だ。陽の光を受けて夕焼け色に染まった空はあまりにも美しく、今すぐにでも飛び出して雲に埋もれたくなるほどだ。

 太陽があまりにも近く感じる。それもそのはず。僕たちがいるのは雲の上なのだから。

 時間という概念を忘れてしまいそうなほどに、美しい。目が釘付けになって、僕の意識は全て雲海へともっていかれた。クレアさんがお気に入りだというのにも納得だ。


「す、すごいです。世界にはこんなにも美しい場所があるだなんて」


「ふふーん、そうでしょうとも!世界中を旅して周り、数多の秘境を巡ってきた私がおすすめする場所なんだもの。いつまでも変わらない美しさがここにあるよ!」


 あぁ、この景色をみんなにも見てもらいたい。武器を捨てて、共に手を取り合って。そうすればきっと、争いなんてバカバカしくなるだろうなぁ。


「ほら、あそこを見て。何が見えると思う?」


 クレアさんが指さした先には謎の影があった。

 大きい。僕達なんて簡単に飲み込んでしまいそうな程に。何かがいるのか?と考えた瞬間。


 ぐぉぉぉ!と、空の世界に谺響する声。クロが思わず身震いし、クレアさんが僕の肩に手を乗せた。


「え」


 僕は驚愕のあまり、声を漏らした。

 巨大な影の正体はクジラだ。でかい、でかい真っ白なクジラが、雲の海を泳いでいる。その巨体が雲にぶつかると雲海の形が大きく変わる。

 空の世界で、そのクジラは生きていた。その事実がとても信じられなくて、何度も瞬きをした。目をゴシゴシと擦っても、景色は変わらない。


「さて、ユアン君。雲海の旅はどうだったかい?」


 どれほどの時が経っただろうか。クジラの姿は雲の向こうに消え、太陽も徐々に落ちてきていた。


「正直、想像以上です。雲の上で生きるクジラがいるなんて、知りもしませんでした!」


「そりゃあそうでしょうとも!君だけじゃなくて、地上で生きる者たちの誰もが知らないだろうね」


 ふふーんと誇らしげに胸を張り、そして笑う。風を受けて飛びそうになった帽子を脱いだ彼女は、いつもより笑顔が美しく見えた。


「君の知らない場所が、絶景が、この世界にはまだまだ沢山あるんだ!」


 彼女は楽しそうに語る。思い出話を友達に聞かせるかのように。


「決して退屈な旅にはさせないよ。だから……きっと叶えようね、君の夢を」


 言葉と共に差し出された手は、白くて小さい。少しだけ躊躇いつつその手をとる。ひんやりとしているけど、どこか頼もしい。そりゃそうだ。だって彼女は魔女なのだから。魔法の力で空も飛べる。クレアさんとだったら、どこへでも行けそうに感ぜられた。


「それじゃあ、『写し絵の旅』、ここから本格的にスタートだよ!」


「おー!」


 茜色の空で僕達は拳を突き上げる。こうして僕たちの旅は始まったのだ。

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