Disc.4 少年少女はびっくり箱の中にいる

Sat., Oct. 7

20. 居心地悪い再会

 真っ白い廊下。平たい空間。なにもかもが直線で出来てて、居心地が悪い。

 病院に、義体用の集中治療室があるなんて知らなかった。あのドアの向こうにユウヒが運び込まれて、もう1時間以上経ってる。それでもドアが開く気配はないし、その間私はずっと、黙り込んだドアをベンチに座って眺めてた。


 すると、ベンチがどさりと揺れた。隣を見ると、そこにいるのはクリストファーだった。


「よお、地味子」

「あ……。うん」


 クリストファーの手元で、画面が光ったまま映ってる。前に、私がユウヒを病院に迎えに行った時と同じメモ。ただ、書いてある文字が違った。


「……“病院より伝達事項有り”?」

「ああ。だからわざわざ俺が来たんだよ。寮長だからな」

「あ……、そうなんだ。同室の子じゃないんだね、こういうの」

「他の男子寮がどうだか知らねえが、うちは同室でペアみたいな意識が薄いからな」


 そういう男子の事情って、今まで、考えたこともなかった。私の世界は、1週間前までもっと狭くて小さくて、穏やかで平和で、平坦だった。

 私がメモを読み上げるまで、それが表示されっぱなしだったのに気づかなかったみたい。クリストファーは今になって、やっと画面を消した。


「くだらねぇ呼び出しはフロアの誰かに任せるが、病院からのは、俺がやるようにしてる」

「どうして?」

「滅多に無ぇが、生身の体だったやつが、いきなりほぼ全身義体で戻って来るなんてこともあるからな。寮内ですっ転んでたら、笑ってねぇで助けてやれってこと程度は、本人が戻ってくる前に、全員に言わねえとな」


 いつも通りの、乱暴なものの言い方。でも、言ってることはそうじゃない。クリストファーだって、コガネみたいな正義感を持ってると思う。表に出す時に、ちぐはぐな表現になるだけで。

 なんて変だよね。だって、私がこの人と話すようになったのって、ほんのつい最近だもの。


「……あなた、面倒見いいんだね」

「馬鹿か。恩は売れる時に売るんだよ」


 凛々しい顔は、力なく笑う。病院の蛍光灯のせいか、その顔色は、外で見るより青白かった。




 ドアが口を開いたのは、それから少し後。重たい銀色のドアが動いた時、私よりも先に立ち上がったのはクリストファー。でも、声を上げたのは私の方が早かった。


「ディアナ?」

「あら、もう来て……」


 カウンセリングルーム以外で彼女の顔を見るのは、この8年で初めてのこと。あの静かな部屋で見る姿とは少し違って、ブルネットヘアを頭の後ろでひとつにまとめたディアナは、白衣姿でこっちを見てる。


「そうだったわね、野菊。あなたが、彼を連れてきてくれたんだものね」

「そ、それはそうだけど……」


 ディアナの後ろから出てきたのは、見たことのない男性。こちらも白衣を着てるから、ユウヒの治療をしてたのはこの2人なんだろう。

 ディアナは手元に画面を表示してから、クリストファーと見比べた。


「あなたが、寮長のクリストファーね。あなたは彼……、義体技師のピーターと2番カウンセリングルームへ入って。野菊は、私と1番へ」


 てきぱきとした口調に、私は混乱する。最初から、私も呼び出されるはずだった? だって、ディアナは私が来てるのを見て、驚いていたもの。

 それでも、言われた通りに目の前のカウンセリングルームに入る。あんなに苦手だったクリストファーでさえ、今は離ればなれになるのが、少しだけ心細い。



 いつもと違う部屋。ディアナのカウンセリングルームには、観葉植物が多かった。でも、ここにはなにもない。カウンセリングルームとは名ばかりで、ただの診察室みたいな使われ方をしてる部屋なのかも。


 ディアナと向き合って椅子に座る。彼女はこっちを向くと、口角を上げて笑みを浮かべた。いつも通りのえくぼが出来る。


「規則だから、自己紹介だけさせて頂戴」


 空中にIDカードを表示して、ディアナは続ける。


「私は、ディアナ・サマター・ミドルセン。犯罪被害者や遺族のメンタルケアを担当しているカウンセラーで、ユウヒ・スズキ・クロフォードを担当してるの。そんな事務的なこといいわよね。驚かせてごめんなさいね」

「う、ううん……。大丈夫です」


 ディアナは微笑む。何度も見てきた笑顔なのに、今日はいつもよりも平らに見える。どうしてだろう。ディアナの顔を見て、こんなに胸騒ぎがするなんて。


「今回は、ユウヒのカウンセラーとしてあなたと話がしたいんだけども、大丈夫かしら」

「あ……。はい」

「ありがとう。事前に了承してほしいのは、あなたとのカウンセリング内容は、ユウヒへの処置に関与していない。つまりー……」


 ここにいるのは、私のカウンセラーとしてのディアナじゃない。そう理解できたのは、この時だった。ディアナは普段、言いよどむことがない。こんな風に、ほんの少しだけ私から目を逸らして黙るなんて、そんなことしない。


「つまり、今から説明する彼への処置は、ユウヒの生存確率や今後の生活、ユウヒとの同意内容やご家族の意思を最優先にして決定したということ。それをよく、覚えておいてほしいの」

「……はい。わかりました」


 胸騒ぎは、正しかった。だって、これはきっと私にとって、楽しい話題じゃないから。

 ディアナは、小さくうなづいてから口を開く。


「端的に言うと、彼が使っていた義体は本日をもって使用停止。最新型の人型の機械頭に移行することで、ご家族とも同意してる。もっとも、ご両親はとっくにそうしたかったんだけど、彼がそれを拒んでいたの」


 願掛けをしてる。両親からもらった最後の物。ユウヒは、あの真っ黒な機械頭を、そう言ってた。


「……頭が変わること自体に、彼は同意してるんですか?」

「ええ。今回みたいに、再起動が難しい状況にある場合はね。昔からユウヒには説明してあるし、契約書にサインももらってるから、その点は安心して」

「再起動が、難しいって?」

「生身の頭で大まかに言うのなら、昏睡状態といったところかしら。昔の機械で例えるなら、こちらからの信号を受け付けないで、無意識のままプログラムが稼働し続けてるコンピューターみたいなものね」


 ビアンカが言ってた例えが、また脳裏をよぎる。本当に、あの機械頭は古い機械みたいなものだったんだ。それがボロボロになりながら、必死に動き続けてた。


「この前みたいな、軽微なエラーによるシャットダウンだったら、ある意味、正常な動きと言えるの。全部ピタッと動きが止まってるから、こちらから再起動の信号を送れば目を覚ます。時々記憶に若干のブレは出るけど、生身の頭にもよくある誤差の範囲」

「……じゃあ、今回は違うんですか?」

「そう。このまま放っておくと、彼は永遠にこのままの状態になる。いずれ生身の体が朽ちても、永遠に」


 箱の中に閉じ込められた少年ジャック

 びっくり箱ジャック・イン・ザ・ボックスの蓋を、こじ開けることも出来ない。


 今のユウヒは、びっくり箱の中にいる。誰かが蓋を開けるまで、彼は箱の中でずっと、ばねの動きだけでゆらゆら揺れて、動けない。


「そんなの嫌です、ユウヒが、そんな……」

「そうよね。私も、そう思ってる」

「ど、どうやったら、ユウヒは助かるんですか?」


 私が聞けば、ディアナの黒い瞳が小さく揺れた。ほんの少しだけ、彼女の呼吸が浅くなる。胸元が上下して、ディアナは私をじっと見て、ようやく、答えた。


「あなたに関する記憶を、全消去する」

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