2. 知らない名前

 声をかけてきたのは、顔のない男の子。黒くて、光沢のない円筒型の機械頭。そのせいなのか長身のせいなのか、細身のスーツは彼によく似合ってた。

 私の隣の席に軽く座ると、彼は手のひらをこちらに向けて、ひらひらと揺らして見せる。


「もしかして、聞こえてない?」

「聞こえる、よ。ごめん。信じられなくて」


 機械の頭には顔がない。目もなければ、口もない。でも、彼がこっちを見ているのは分かる。彼は、肩ごと私の方に体を向けて、首を右に傾けてる。


「信じられないって、なにが? 僕の顔がないこと?」

「ちっ、違う! そ、そんなこと思ってない!」


 彼の反応で気づいてしまった。どうしよう、変なこと言った。最悪のスタートだ。この年で、男の子に声かけられたくらいで慌てるなんて!


「か、かっ、賭けてたの! あなたが、私に話しかけてくれるって。だからおど、驚いてるの!」

「賭けてた? 僕に?」

「と、友達と、それで、私、あなたに……」


 ああ! もう! 最悪!

 言葉がボロボロと口から溢れ出す。勝手に。勝手に! なんでそんなこと言うの!


 男の子は、弾むような声で肩を揺らしてる。笑ってるってこと? 怒ってない?


「なんとなくわかったけど、それ、僕以外の男子には言わない方がいいよ? 気を悪くするかも」


 ああ、もう……。怒ってなくても最悪だ、最悪。それどころじゃなく、私、単なる嫌なやつじゃない?


「ごっ、ご、ごめん! ごめんなさい! あなたをからかってたんじゃないの、あなたに、か、賭けてたのは私だけで、その」

「ああ、別に。君が僕に賭けてくれたなら嬉しいよ。僕だって、さ」


 彼は、肩をすくませると困ったように両方の手のひらを上げた。


「それで、僕の質問に答えてほしいな」

「えっ?」

「暇なの?」


 顔なんてないのに、彼はあんまりにもわかりやすい。それにつられて、私はすとんとうなづく。だってそうすれば、彼はほっとしたように肩を下ろすから。


「じゃあ、君をダンスに誘っても平気だね」

「え、あ、うん……」


 気づかれないように、目だけで辺りを見渡す。メイリたちの姿が、彼の向こうに見えた。あの子たち、他人事だと思って大盛り上がり。「いけいけ!」っていう声援が、音楽の向こうから聞こえてきそう。

 はしゃいでる3人を見たら、なんだか少しだけ落ち着いた。


「僕は、ユウヒ。君はええと」

「の、野菊」

「野菊、僕と踊るのは嫌?」

「い、嫌じゃないよ」

「それじゃあ、決まりだ」


 もしかして私たち、最初から約束してた?

 そう思えるくらい自然に、ユウヒが私の手を取った。まるで当たり前のことみたいに、ダンスフロアをかき分けて進んでいく。


 壁際のメイリたちは、賭けなんて忘れて大喜び。でも、それも人混みに紛れてしまえば、もう見えない。その代わり、何もないユウヒの機械頭が、私の目の前で肩を揺らして笑っていた。


「ほら、踊ろう。どうせなら、楽しい方がいい」



 音と光と人の波の中、私たちは向かい合って踊った。音が肌をくすぐるむず痒さを、振り払うように。

 照明が点滅して目がちかちかする。ほっそりしたユウヒの腕が、時々私をかすめていく。黒い顔に落ちた照明の輪郭ははっきりしていて、彼が笑って出来た光みたい。


 曲と曲が重なって、周りから歓声が沸く。それに合わせて手を叩き、体を揺らす。

 ユウヒもそうしてる。私だってそう。耳栓越しに聞こえる音に、体をくすぐる音楽に、足は踊り続ける。

 永遠に踊りを止められない、赤い靴を履いてるみたいに。


「あっ」


 誰かに背中を押されて、ユウヒにぶつかる。レモンの葉っぱを千切ったみたいな香りがして、思わず私は顔を上げた。機械頭の黒いふちが見える。もし人型の頭だったら、ここに顎があったのかな。機械頭と人間の体の境目は、襟に隠れて見えない。


「そんなに見られると、溶けちゃいそうだ」


 ユウヒの声が私と彼の体に響く。私は、彼の腕の中にいた。そんなこと気付かなきゃよかったのに! 急に心臓がばくばくはしゃぎ出す。顔が熱くなる。


「ごっ! ごめんなさい」

「いや、全然。もう少し、こうしててもいいよ?」

「あ、えっと」


 体を離せば、ユウヒがわざとらしく肩をすくめた。表情がない代わりに、彼の手元は忙しい。両手をパッと開いてから、人差し指で景色をなぞるように円を描く。


「ねぇ、君ってどこの出身なの? この辺り?」

「う、ううん。19地区」

「僕は12だよ。近いね」

「そ、そう?」


 それを近いって括るのは、パンとスパゲティは小麦粉で出来てるから同じって言って、スパゲティをトースターで焼くくらいの強引さがあるけど……。


「この後どうするの? まだここで踊る? それとも、抜け出して外へ遊びに行く?」

「えっ?」

「君が、キングとクイーンに興味があるなら、話は別だけど」

「それは、興味ないけど……」


 今日キングとクイーンになったって、プロムまでの繋ぎじゃない? そんな風に思うけど、言わないでおく。


「どうせここにいても、キングの下手くそなDJに付き合わされるだけだよ」

「そ、そうなの?」


 音楽を口実に、ユウヒは首を縦に振る。そうしてまた、手をひらひらと揺らしながら笑った。


「カスカスのバンズにタバスコをたっぷり挟んだハンバーガーもどきを、コーラもポテトもなしに、延々と口の中に突っ込まれてるみたいなプレイだ」

「そ、それは……」

「それがキングさ」

「誰がキングになるか知ってるの? は、発表まだだよね?」

「知ってるよ。前座で出てくれって頼まれたんだ、あんな感じで」


 細長い指が差したのは、今プレイをしているDJ。学年は違うけど、こういう学校でのイベントには顔を出すから、なんとなく見覚えがある。


「で、でも、出なかったんだね」

「いくらで? って聞いたら、断られた」


 思わず笑っちゃう。だって、ホームカミングパーティでDJなんて。普通の子じゃ、なかなか出来ない大役なのに!


「なにそれ! いいね、かっこいい」

「かっこいいわけじゃないさ。そこまでお人良しじゃないってだけだよ」


 やれやれ、とでも言いたそうに、ユウヒは手のひらを上げて、肩の辺りで揺らす。そうしてプレイ中のDJを見上げると、手を振ってわかりやすい歓声を上げた。


「あなた、DJ出来るの?」

「そうだね。普段は、クラブで回してる」

「い、意外だね」

「意外?」

「特進クラスの常連なのに、夜遊びなんてするんだね」


 すると今度は、機械頭がぴたりと止まってこちらを見た。怒っているのか、笑っているのかわからない。でも、きっと彼は私のことを見てる。

 機械頭に照明が当たる。光の線が、何度も黒い顔をひっかく。傷口はすぐに消えるけど、また次の光が点滅する。

 ユウヒは首をかしげた後で、また手をひらひら揺らした。


「なんだ。僕のこと、知ってたの?」

「同じ学年だもん。見たことくらいあるよ」

「ああ、か」


 その声色が、少しだけしょんぼりして聞こえた。


「ごっ、ごめん! い、嫌だった?」

「何が?」

「わ、私が、あなたを見たことがあって」

「別に? 特進クラスの常連って言われるよりはマシさ」


 ほんのわずかに下がる語尾に、私よりも本人がびっくりしたみたい。機械頭はぐるりと揺れて、突然私の腰に手を回したかと思うと、そのままくるくる回り出す。


「えっ、ちょっと、あの」

「今日は楽しかったよ。また遊ぼう」


 そのまま人の波を進んだ私たちは、気づけばダンスの輪の外にいた。

 薄暗い中、音楽は同じ大きさで鳴っているのに、もうどこにもないような気がする。それはまるで、読み終えたおとぎ話、過ぎ去った映画のエンドロール。


「君は楽しかった?」

「あ、うん。た、楽しかった」

「じゃあ、これ僕のコード」


 耳元でぽこんと着信音が鳴って、目の前にポップアップ画面が現れる。


“ユウヒ・スズキ・クロフォード を登録しました”


「僕の名前に見覚えは?」


 私は首を横に振る。ユウヒは、嬉しいとも悲しいとも言わない代わりに、冗談みたいに続けた。


「特進クラスの僕が上手にDJやってるところを、今度見に来てよ」

「……ごめんなさい」

「あれ? ダンスは嫌い?」

「そうじゃなくって、あの……。“特進クラスの常連なのに”とか言って……」

「ははは、言うほど気にしてないから平気だよ。そっちこそ、気にしないで」


 ユウヒは人差し指を軽く振ってから、笑った。


「さっきの“楽しかった”がお世辞じゃないなら、“また遊ぼうね”くらいは連絡してよ」

「あ、うん……」

「それじゃあ、またね」


 遠くで歓声が上がる。音楽は鳴り止んで、人の群れの歓声と熱気が耳栓越しに聞こえる。


『この後は、今一番イケてる男女! キング&クイーンの発表です!』


 ヒールの足音が3人分。水の上を跳ねるように近づいてくる。


「のーぎくっ!」

「わっ」


 飛びついて来た妖精はメイリで、クララとビアンカも一緒だ。3人は、砂糖を見つけてはしゃぐ蝶々みたいに次から次へと聞いてくる。


「ねえねえ、なに喋ってたの?」

「次、いつ会うの?」

「って言うか、コード交換した?」


 私が答えるより先に、“?”がどんどん湧いてくる。3人にもみくちゃにされながら答えていれば、メイリの声だけが、やけにはっきり聞こえた。


「ねえ、アイツどうだった? まさか、“靴しか覚えてない”なんて言わないよね?」


 ぴたりと体の動きを止める。それにつられて3人も止まって、私の顔を覗き込む。

 もう思い出になってしまったユウヒの影を思い出す。

 黒い機械頭に映る、ミラーボールの光。ひらひら動く指の長い手、きちんと絞められたネクタイ。よく笑う肩、受け止めてくれた細身の体、レモンの葉っぱの香り。


「靴かあ……」


 何色だったのか、靴紐はあったのか、ちゃんと磨いてあったのか。

 ああ、そっか。

 私はずっと、ユウヒのことばかり見ていて、うつむいている暇がなかった。


「……覚えてないや」


 そんなの、初めてのことだった。

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