第64話 まるで新婚さん?
「その日は特に風が強い日でさ。バスタオルとかの大きめの洗濯物が凧揚げの凧みたいに風を受けて、物干し竿ごとフワッと浮いたんだ」
「それでそれで?」
「慌てて物干し竿を支えに行ったけど間に合わなくて、そのまま庭に落ちてさ。結局その時の洗濯物は全部洗い直しになった」
「うわぁ、もう一回全部洗うところからやり直しとか、想像するだけで溜息が出ちゃいそうだし」
春香がしょぼくれた子犬のような顔をする。
「俺も悲しかったよ。なにせ洗い直す間は、1時間くらい遊びに行けなかったからな」
「せっかくの休みだったのにね」
「男子小学生にとって、休日の遊び時間は何事にも代えがたい至福の時間だったからなぁ。洗濯がいつ終わるのか、何度も洗濯機を見に行った記憶があるよ」
「それわかる~。何度見に行っても、洗濯機は決められた時間をしっかり守って動き続けるのに、気が急いてる時はそれがわかってても何度も見に行っちゃうんだよねぇ」
春香も似たような経験があるのか、その言葉にはなんとも実感がこもっていた。
「ま、そういうこともあってさ。うちは物干し竿をしっかり縛って固定するようになったんだよな」
多分だけどこの辺りの川沿いのお宅はみんな、物干し竿が飛ばないようにビニール紐なりロープなりでしっかり固定しているはずだ。
「うちもそうだよ。ロープでしっかりくくってあるもん。ってことはわたしが知らないだけで、もしかしたらうちも強風で物干し竿が落ちちゃったことがあるのかな?」
「かもしれないな」
「今度お母さんに聞いてみよっと……ふふっ」
と、そこで春香がやけに楽しそうに笑った。
いや、楽しそうというよりかは嬉しそう、だろうか?
「なんで笑うんだよ?」
「こういうの、なんかいいなぁって思って」
「え? 洗濯物が風で飛ばされて洗い直すのがか?」
「違うし! それは溜息出ちゃうって言ったじゃんか!」
「だ、だよな」
人の好みは千差万別とはいえ、洗濯物洗い直しマニアはさすがに特殊性癖を極めすぎていて、平凡な男子高校生には共感するのが難しい。
「もぅ、こーへいってば、バカなことばっかり言うんだから」
「悪い悪い。で、結局なにが良かったんだ?」
わざとらしく頬を膨らませて怒った振りをする可愛い春香に、俺は幸せな気持ちになりながら先を促した。
「だからね。洗濯物の話で盛り上がるなんて、まるで新婚さんみたいだよねって思っちゃったら、なんだか楽しくなっちゃったの、えへへ」
「い、いきなり新婚さんとか言うなよな。さすがに恥ずかしいだろ」
いや、実を言うと、俺もちょっと思ったりはしたんだけどな?
洗濯物の話題で盛り上がるなんて『なんだか新婚さんみたいだな~』とか、ちょっとは思わなくはなかったんだけどな?
でもそれをリアルに口に出して言っちゃうと、なんかこう一気に恥ずかしさがマシマシになってしまうわけでだな。
ただでさえ春香は今、俺の腕を抱きしめるようにくっついてきているのだ。
そのせいで、年頃な男子高校生心はいろいろと意識しちゃっているんだよ。
柔らかさとか、むにゅむにゅとか、柔らかさとか、むにゅむにゅとか。
「ね、ねぇこーへい」
と、春香が俺の耳元に口を寄せるようにして小声で呟いた。
「どうした?」
俺にだけ聞こえるように小声になった春香の様子から、なにか特別に言いたいことがあるんだろうと察した俺は、足を止めて春香に視線を向けた。
しかし春香から出たのは、俺の想像をはるかに超えた一言だった。
「ねぇこーへい、キスしよ?」
「ぶふうッ!?」
その言葉に、俺は思わず噴き出してしまった。
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